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最後の日
信吾は朝、快適に目を覚ますことができた。
昨日のだるさはなくなり、風邪も治ったようだった。
うんと背伸びをする。
少しずつだが、選択が少なくなっているのを感じる。
迷わなければいい。
その気持ちが少しずつ、信吾に芽生えつつあった。
でも、時折、選択は現れる。迷わないことなんて、やっぱり無理だ、信吾はそう思った。だから少しずつ、自分のペースで選んでいく。
あと1日、最後の自分の人生を。
今日は土曜日。2時間だけ授業をして、2時間だけ部活をする。
みんなと過ごせる最後の時間になるだろう。
「最後の時間、って言われてもなあ」
「おはよう井浦信吾君」
エリーが姿を現す。
「おはよう」
「あと1日、頑張って選択してね」
「ああ」
信吾はそうエリーにつぶやく。
「エリーと一緒にいられるのも、あと1日なわけか」
「あら、鋭い!」
エリーが嬉しそうに微笑む。
「私のことまで考えてくれるなんて」
「だって、色々考えなきゃだろ」
信吾がそういうと、考えるべき選択がずらっと目の前に並んだ。
信吾はあまり目もくれず、全てに『いいえ』を選択していく。
「考えなくてもいいの?」
その様子にエリーが不思議そうに尋ねる。
「いいの。また今度で」
信吾がそういう。
「とにかく今は、学校にいく。それだけ考えてればいい」
「なるほどね!」
エリーは今日も楽しそうだ。
「エリーはいつも楽しそうだね」
信吾はつい、そのことを口に出してしまう。
「あら、落ち込んでもいいのよ?」
エリーがそういう。
「でも、一緒にいるやつがくらーくて、落ち込んでるやーつだと、信吾君、いやでしょ?」
エリーが言った。
「ほんとだな」
「でしょー」
エリーはそういうと、Vサインをして見せた。
「私ってば、超かしこい!」
「ほんと、ほんと」
信吾はそれを受け流していく。
「あー、ひどい!」
エリーとも段々仲良くなってきたような気がする。天使と仲良くなっていいのかわからなけど、それも、今日で終わり。
「今日で終わり」
「そうだね」
信吾の言葉にエリーが返事をする。
「でも、問題は」
エリーがそういう。
「自分に正直になるか、だろ?」
「せいかーい!信吾君、かしこい!」
エリーが嬉しそうに微笑む。
なんとなくわかってきた。自分の最後のことが。
「うっしゃ、学校行くぞー!」
信吾がひとり大きな声を出す。
「おー!」
エリーがそれに返事をする。
そして、信吾は階下に下っていく。
母親がいつも通りに朝食を作って待っていてくれる。
「おはよう」
信吾は挨拶をする。そう、選択する。
「おはよう、風邪、大丈夫なの?」
母親がそういう。
「うん、よくなった、ありがとう」
信吾はそう、お礼を伝える。
じっと、母親のことを見つめる。
「なによ、ぼーっとして」
母親がそれに気が付いたのか、信吾に声をかける。
「なんでもない」
「おっはよー!」
妹の美咲が起きてくる。
「朝からうるせーなー」
信吾はそう妹に文句をいう。
「だって、今日は土曜日だよ!」
「だからなんだってんだよ」
「別になんにもないけどー」
「ふたりとも、お父さんにも挨拶して」
「はーい」
ふたりの声がかぶる。
お父さん、お父さん、とつぶやきながら、美咲が仏壇の方に近づいていく。
信吾は先に朝食を食べることを決める。
母親も、準備が整ったのか、食卓に着く。
ご飯と、みそ汁と、焼鮭と、サラダ。
いつもと変わらぬメニュー。
「いっただきまーす」
信吾はそれを元気よく食べ進める。
その様子を母親が見つめている。見られていることを信吾は強く感じていた。
母親の心配そうな顔が、みなくても、目の前に浮かんできた。
しかし、何も言わずにいてくれる。
信吾には、それが嬉しかった。
「ねえ、母さん」
信吾は母親の目も見ずに、問いかける。
「父さんって、どんな人だったの?」
「どんな人って……」
少し考えこんでいるのか、言葉が詰まる。
「馬鹿な人だったわ、本当に。死ぬ直前まで仕事ばっかりして。そのせいで、車に引かれちゃうなんて」
「そうなの?」
信吾は、目を合わさない。
「ええ。休みの日だからって仕事で疲れてるのに、あなたを連れて公園に行こうとして……はあ」
そういって、母親がため息をついた。
母親の呼吸音が聞こえてくる。
「でも、」
小さく、母がしゃべりだした。
「優しい人だったわ。いつも何かの心配をしてて。死ぬ前もそう。ああ、きみが心配だ、信吾が心配だ、美咲が心配だ、いつもいつも言ってて。本当、自分の心配をしなさいって思ったわ」
その言葉に、信吾の箸が止まった。
「おれたちのこと、心配してくれてたんだ」
「ええ、そうよ」
「そっか」
信吾は数回うなずくと、またご飯を食べ始めた。
「何の話―?」
美咲が食卓に着く。
「早く食べないと遅刻するわよ」
「はーい」
そして、ふたりでなにやら話をしている。
今日、美咲がやけにハイテンションなのは、テレビに好きなアイドルが出るかららしかった。授業終わりに、友達とそのテレビを見るらしい。
「本当に、超かっこいいの!!」
美咲が熱を持って語っている。
「はいはい」
母親はそれを軽く流してく。
信吾は、顔をあげてふたりの顔を見る。
いつもと変わらない、風景だった。
「ごちそうさま」
信吾はそういうと、席を立った。
そして、父親のいる仏壇の前に向かった。
今日は線香なんか焚いてみた。
そんな気分だった。
じっと、仏壇の中にいる父親の顔を見る。
死ぬ直前まで、自分たちのことを心配してくれた父親。
けれど死んでしまった。
「おれ」
信吾はゆっくりと、言葉を選んでいく。
色々な言葉の選択が、信吾の前に現れる。
その中から、信吾は言葉を選んでいく。
「おれ」
信吾は選び取っていく。
「できる限りのことをするから」
そういって、席を立った。
そのまま着替えて、家を出て行った。
1日が、始まる。
家を出ると、すぐに環奈と出会った。
今日は信吾の方から
「おはよう」
と声をかけてみた。
昨日のことで環奈が心配そうに
「大丈夫?」
と声をかけてきた。
信吾はそれに
「大丈夫だ」
と伝えた。
そしてふたりは一緒に電車に乗って、学校に向かった。
その間も、環奈がなにやら信吾に話しかけてきた。
信吾はそれを、ああ、ああと話半分に聞き流していく。やがて環奈がそれに気が付き、怒りだした。いつものことだった。信吾にはそれが面白くて、少し笑った。
学校につくと、拓郎も心配そうに声をかけてくれた。
拓郎にも、環奈と同様に
「大丈夫だ」
そう伝え、笑顔を信吾は作った。いつも通り、何も変わらない。
土曜日には、小テストがある。信吾はそれを忘れていて焦った。でも、決めた。できる限りのことをするって。
だから、信吾はできる限り、その問題を解いていった。結果なんか見たくない。そんな出来映えだったけれど、それでよかった。よかったと信じたかった。
気が付けば、授業は終わっていた。信吾は拓郎と環奈と一緒に、体育館に向かった。
すでに準備をすすめている部員たちがいる。信吾はそれに合流し、いつも通りの練習メニューをこなす。来月には練習試合があるから、それに向けてのメニューを考えないといけないな、そうキャプテンに声をかけられ、
信吾は
「はい」と
そう返事をした。
部活もあっという間に終わってしまった。
信吾は帰る前、みんなに、部活のチームメイト全員に声をかけた。
お疲れと。何も変わらないように。
時折、信吾は叫びたくなる気持ちを懸命にこらえていた。
涙が出そうになるのを、懸命にこらえていた。
時間の流れる速さに、信吾自身が驚いていた。
「なあ、ゲーセンいかね?」
部活終わり、拓郎がそう声をかけてきた。
「いいねー」
気が付けばそこにいた環奈がそう返していた。
「しんちゃんもいくでしょ?」
環奈がこちらをむく。
「ああ」
信吾は、そう答えた。
ゲームセンターでは、全くダメだった。
拓郎が得意なゲームをひたすらにやり、信吾は全戦全敗。驚くほどの負け込みようだった。色々な気持ちが、頭をよこぎり、集中することができない。
「お前、今日弱すぎじゃね?」
拓郎がそう声をかけてくる。
信吾は涙を懸命にこらえる。
「病み上がりだからな」
「そうだったな」
拓郎がそういう。
「ちょっと早いけど、帰るか」
拓郎のその言葉に、信吾の目の前に選択が現れる。
もっと一緒にいたいんだ。
信吾の心が、そう叫んでいる。
ずっと一緒にいたいんだ。
しかし、信吾は選んでいく。明日の死に向かって。
「そうだな、帰るか」
やりたいことがある。最後に、どうしても。
「しんちゃん、しんちゃん」
ゲーセンを出る前に、環奈が信吾に声をかけてきた。
「これかわいい!」
クレーンゲームだ。今はやりのペンギンの人形を指さし、環奈がそういった。
「あ、ほんと。環奈ちゃんによく似合いそう」
拓郎がそう言った。
信吾の目の前に、選択が現れる。
取れっこない。それに早く帰らなければ。
でも。
「よし」
信吾はそういうと、カバンから100円玉を取り出し、ゲームを始めた。
クレーンが、勢いよく、動いていく。
横の位置は上手く決まった。
信吾は細かく、縦の位置を調整していく。
「もう少し後ろだよー」
環奈がそういった。
「うるせーなー」
信吾はそう口にし、環奈の言うとおり、少しだけクレーンを後ろにし、そして、
「えい」
ボタンを押した。
クレーンは下がって行き、そして上手く人形をとらえた。
そして、人形を持ち上げる。
いつもならぱっとそこでアームが開き、人形は落ちてしまう。
しかし、クレーンのアームはぎゅっと人形を握り締めたまま、穴のほうへと向かってくる。「よし、よし」
環奈がそう言った。
そして、ガコンという音を立て、人形は見事、穴の中へと落ちた。
「やったー!」
環奈が嬉しそうに、中に手を入れ、人形をつかんで見せた。
「おい、すげーな信吾」
そういって、拓郎も信吾のほうを見た。
信吾はそれに特大の笑顔で答えた。
「かばんにつけよー」
環奈はそういい、スクール鞄の取手にひもを回し、かばんに人形をつけた。
「かわいい」
「よかったなー、環奈ちゃん」
そして、拓郎と別れた。
「じゃ、また月曜日」
そう言った拓郎に、
「ああ」
信吾はそれだけ言った。
そして、電車をおり、
「またな」
環奈にそう声をかけて、ひとり家路についた。
途中、文房具屋に寄って、便箋を買って信吾は帰宅した。
「ただいま」
そういうと
「おかえり」
という声が返ってきた。
信吾はうなずき、家の中に入って行った。
そして、母親のご飯を食べ、風呂に入り、「おやすみ」と声をかけ、自室にこもった。
そして、先程買ってきた便箋を取りだす。
そこに、今までの思いを連ねていく。
母親に、妹の美咲に、拓郎に、環奈に、部活のみんな、クラスのみんな。様々な思いを巡らせながら、信吾は思いを書き連ねていく。
明日自分が死ぬことを。
上手くまとまってもいなかったし、何が言いたいのかさっぱりわからないだろうが、信吾は、今ある気持ちを、全て便箋に書き尽くした。
ゆっくりと、それを机にしまう。
どれだけの時間かかっただろうか。
「井浦信吾君」
エリーが声をかけてくる。
「いたの?」
「いたわよ、ずっと」
エリーだって、変わらない。出会ってからまだたった4日しかたっていないのに。
「やり残したことはない?」
エリーが優しく問いかけてくる。
それに、信吾は黙り込む。
下を向き、じっと、目を閉じる。
「たくさん、ある」
信吾は言葉を絞り出した。
信吾の鼻をすする音が部屋中に響いている。
やがて、信吾の目に涙があふれ、それはとめどなく、信吾の目から落ち、信吾の膝の上へと落ちて行った。
エリーはずっと、その様子をただ、見つめ続けた。
信吾が手で涙をぬぐう。
「色々あったけどさ」
そう、言葉を紡ぐ。
「ありがとうな、エリー」
信吾はそう言って、エリーに微笑んだ。
その笑顔に、エリーも笑顔で答えた。
「こちらこそ、ありがとう、井浦信吾君」
信吾は落ち着くために深呼吸をした。
納得いかないことしかないが、けれど、小さい、ない頭を使って、自分のこのたった4日間の選択に、悔いがないことを、信吾はなんとか、エリーに伝えて見せた。
そして、信吾は問いかける。
「おれは、これからどうなるの?」
「審判の時を迎えます」
「審判の時?」
「そう」
エリーはそういって、信吾の机に近づく。
「今からきみをいつものように眠らせます。そしたら、審判の始まりです。きみはもう二度と、目を覚ますことはないかもしれない」
エリーはそう言って、信吾の顔を覗き込んだ。
「始めてもいい?」
「よくないけど」
信吾は笑顔でそう言った。
「でも、今からやりたいこと全部やってたら、たぶん、おれ、睡眠不足で死んじゃうから」
そういって、笑ってみせた。
「うん」
そして信吾はエリーに導かれ、自室のベッドに寝転んだ。
エリーがそっと、布団をかけてくれる。
目の前に選択が現れる。
『眠りますか』
『はい』
信吾はそう、選択した。
「おやすみ、エリー」
そして、エリーにつぶやいた。
「おやすみ、信吾君」
エリーはそういうと、信吾の頬に口づけをした。
そして信吾は、いつものように、眠りの世界へと落ちていく。
目を開けると、そこには、白い空間が広がっていた。
靄が立ち込めているかのようで、何も見えない。
信吾はあたりを見渡すと、はるか上空に、何かが浮かんでいる影が見えた。
「判決を言い渡す」
空間全体に声が響き渡った。信吾はその大きさに思わず耳をふさいだ。
「井浦信吾、そなたの判決は……」
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