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「ごめん、会いたかった」
少し息を切らした貴方は、私を見るなり抱き締めた。肌に貴方の体温が馴染む。半年も離れていた時間が、嘘みたいだ。
「奥さんは?」
背中に腕を回したい衝動を左手の拳に無理矢理収め、私は静かに口を開いた。前後不覚になるほど泣いた最後の夜。一緒にいた二年間、幾度となく繰り返した言葉。
「時間がほしい」というのが、あの時の答えだった。だから待っていた。この小さな町を出て、誰にも頼ることなく、一人で。
けれど貴方は少し言い澱んで、それから、
「今度こそ、ちゃんとする」
壊れたスピーカーのように、何度も聞いた言葉を繰り返した。
あぁ、やっぱり。
私は私の中の何かが急に、冷えていくのを感じる。
本当は、答えなんて判っていた。優しさが貴方の良いところだったし、変化を望まない性格も、ちゃんと知っていた。
本当は認めたくなかったのだ。自分が選ばれないことに。貴方の人生において、いつになっても私は脇役だということに。
山の向こうに、日の出を感じる。川のせせらぎが、心地良く耳に残る。馴染んでいた貴方の体温が、不快になる。握り締めていた拳の力を、静かに抜いていく。
「そっか」
私は貴方の身体を、ゆっくりと離す。それから貴方の喉仏を、唇を、瞳をもう一度見る。
本当に好きだった。それは覚えている。けれどついさっきまでの感情が、もう古い記憶のように霞んでいる。
「じゃあ、さようなら」
引き止めようとする貴方の手をかわし、私は踵を返し来た道を戻る。
何か言っていたが、全く興味が持てなかった。ここに来るまでのあの塞いだ感情が、嘘みたいだ。
私は、漸く夜明けを手に入れた。
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