<第九話・名>

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 ちなみに。琴子は美園以上に大雑把で面倒くさがりのはずなのだが、料理に限ってだけは何故か手を抜くということをしない。まあ、あれだけお菓子に限らず御飯大好きな食いしん坊だと考えればそれも妥当なところであろうか。彼女の家に何度か転がり込んでお泊まり会をさせてもらったことがあるが、そのたびにマトモな料理が出てきて驚いたものである。美園が素直に称賛を口にすると、“麻婆豆腐と餃子だけでそんなにびっくりされるとは思わなかった。これくらいみんな作れるでしょ?”と来たものである。彼女からすれば、これくらいは一般常識程度のスキルでしかないらしい。  で、美園はと言えば。現在台所で作業をしている彼女達を遠巻きに見ている時点でお察しだ。手伝いを申し出たら丁寧にお断りされてしまった。確かに不器用なので、洗い物をすれば皿を割るし湯呑は落とすしというテンプレを昔からそれなりにやらかしてきてはいるが。目玉焼きを作ろうとして、炭の一品料理を披露してしまい、フライパンを一つダメにしてしまうというとんでもない黒歴史も過去にはあったりもするのだが。だからといって、あそこまで全力で立ち入り禁止宣言をしなくてもいいではないか。 ――ふーんだ、私だってカップラーメンくらいはちゃんと作れるようになったし!目玉焼きだって、一応食べられるくらいにはコゲも少なくなったんだから!  それがまるで自慢になるレベルではないということに、美園本人が全く気づいていないのは言うまでもない。 「美園ー、そこでプラプラしてるくらいならアイザワ商店まで行ってきてーって美園のおばあちゃんが」  心の中でぶーたれていると、テコテコと琴子が歩いてきてそんなことを言う。大食いで大雑把でいい加減な残念美人、を地で行く友人は、エプロン姿だけは妙に様になっている。おたまを片手に、昔のオカンのような佇まいで冷蔵庫を指差した。 「暇なんでしょ。どうせ晩御飯までやることないし。牛乳とバター買ってきて欲しいんだって」 「えー、今からー?ここまで来るだけで疲れてるのにー」 「いいじゃん、どうせ今日は泊まり確定になったし、そもそも話聞きにここまで来たんでしょ。美園のおばあちゃんにはあたしから聞き込みしておくからさー」 「あー、一応目的は忘れてなかったのね」  少し意外そうに言うと、そりゃ心外だわー!と彼女は大袈裟に嘆いてみせた。 「あたしだって、あの偏屈部長を見返してやりたい気持ちでいっぱいなんだから!どうせなら商店の人達にもいろいろ聴いてきなよ、誰かは知ってるかもよー“みかげさま”のこと」  琴子がそれを告げた途端――一瞬、空気の温度が僅かに下がったように感じた。まるで刺すような、冷たい風。なんだろう、と振り向けば――美園はそこで、ぎょっとさせられることになるのである。  琴子の後ろのキッチンで。祖母が、筆舌に尽くしがたい表情をして、こちらを見ていたのだ。 ――え?  すぐに前を向いてしまい、“それ”を美園が観測したのは僅かな時間でしかなかったけれど。多分当面、美園は真知子のその顔を忘れることなどできないだろう。  眼をカッと見開き、口を引き結び――まるでおぞましい鬼でも見つけたように、凍りついたその表情。 「美園?どした?」  こちらを向いていた琴子には見えなかった筈だ。いや、と美園は首を振る。  何かの見間違いだ。そう信じたかった。生きた人間で、見知った関係の祖母であるはずなのに――それはまるで、初めて見た人種を見つけたような、奇妙な違和感と不審に満ち溢れていたものだから。 「な、何でもない。気にしないで」  美園の不安を煽るように、遠くで烏が一声鳴いた。まるで、人間が何かを叫ぶような、そんな声で。
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