<第十六話・叫>

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――焼死って、あらゆる死に方の中でも一番痛い死に方だって聞いたこと、ある。人間、焼かれたって簡単には死ねないって。だからいつまでもいつまでも、痛くて苦しい思いをし続けなきゃいけないって。  そして、自分ももうすぐ同じような目に遭う。  焼かれるとは限らないけれど、それと同程度の苦痛になるよう、手酷い拷問を受けるのだ。どれほど理不尽でも、耐え難い仕打ちでも、承服できずとも、全てはもう決められてしまっているのである。そう。  みかげさま、の名前をこの地で口にした時点で、もう逃げ道などとうに失われてしまっていたのだ。 「讃えよ、讃えよ、おみかげさまの名の元に……」  お経のようなものの合間に、そのような祝詞が聞こえてくる。神官らしき者達が錫杖のようなもおのを振りながら練り歩き、やがて琴子の前にずらりと並んで見せた。白い装束の集団、まさに悪夢の中で見たものと同じだ。違うのは、悪夢の世界の神官達とは顔ぶれが違うということか。まあ、当然と言えば当然なのだろう。彼らは全て、あの世代の子孫。最初に“御影様”が捧げられてから、今の代まで何度も代替わりしているのだろうから当然だ。  ああ、思い出す。自分が調べた、あのブログの記事。 『1720年まで、現笹下村がある笹原盆地は数多くの天災に見舞われていたそうです。  特に1720年7月頃、笹原盆地で起きた大規模な土砂災害は、数多くの犠牲者を出したことで有名でした。この地域はどういうわけか、日照りで作物が育たない年も大雨に見舞われる事も多いという、一種呪われた地域であったわけです。特に現笹下村がある場所は、地元の人間には“忌み地”のようなものとして扱われてきました。このへんの原理が定かではないのですが、盆地の鬼門に位置する場所にあり、悪いものが一気に澱んで集まる場所が現笹下村の付近であったそうなのです。  笹原盆地は、悪いものを溜めてしまう性質があり、笹下村はそれを上手にあの世の方へと流すための関所として役割を担わなければならなかったということですね。  その役目を徹底するようになった1720年以降、ぱたりと盆地を襲う大きな天災はなくなったのだとか』
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