<第二十話・潰>

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「ふぎゅっ……!」  舌を噛んだ。だが、恐怖と痛みから反射的に噛んだ程度の力で噛み見切れるほど、人間の舌はやわなものではない。むしろ舌にまで酷い痛みが走り、さらに薬指を砕かれる痛みが重なって余計な地獄を見ただけに終わった。  琴子はあくまで、普通の女子大生に過ぎない。しかも自殺など今まで考えたことのない、明るく割と健康的に、自由奔放に生きてきた幸せな人間の一人だ。勿論落ち込んだことなど人生で数えきれずあるし、悩みと呼ばれるものも少なくなかったわけではあるけれど――死ぬ方法なんて考えたこともあるわけないし、リストカットのような自傷行為など誰かがやっていると聞いただけで“痛そう、絶対無理!”と断言し首を振ってきたほどである。  痛みを受けて命を断つ方法など研究しているはずもなく、慣れているわけもない。だからわからないのだ。舌を噛めば死ねると言われても、じゃあどうすればいいのかなど。既に痺れるように痛む舌にこれ以上の一撃を加えるには、どれほどの勇気を振り絞ればいいのかなど。 ――もう、嫌……やだよお……美園ぉ……!  ぐちゃり、という音がした。気づけば薬指もミンチにされていたらしい。もうそちらを確認する度胸もなかった。事実なのは痛みながらも動くのがもう、右手は親指と人差指、中指だけになってしまったということだけである。 ――美園、美園……助けてぇ……!  友人に助けを求めながらも、不思議と彼女を恨む気持ちにはなれなかった。彼女が誘ったせいでこの村に来て、今こんな目に遭っている。それは事実だ。けれど、彼女が村の現状を知っていたとは思えないし、そもそも彼女もどこかで同じような目に遭っている可能性は極めて高い。何より、面白そうだと思って誘いに乗ったのは琴子自身だ。いくらなんでも、友人に責任転嫁などできるはずもない――まだそれだけの理性は、琴子にも残っていたのである。  助けて欲しい、と願いながらも。彼女もきっと無事ではないだろうという絶望感。同時に――無事であって欲しいと願うだけの人の心もまだ、琴子は正しく持ち続けていた。例え恐怖と狂気の中、今にも切れそうなほど細い細い理性の糸であったとしてもだ。 ――部長。新倉部長。……あたし達が危ないってこと、気づいたんですか?だから、あんな書き込みしたんですか。だったら……。 「ひぎいっ!」  喉が掠れて鈍い痛みを覚えるようになっても、悲鳴は反射的に迸る。きっと右手はもう、修復不可能なほどの有様になっていることだろう。何処がどう痛いのかもわからないほど、痛い。もう制御がきかなくなった下半身は、どろどろといろんなものを漏らして凄まじい有様になっている。舌を噛もうと思っても、段々顎の力さえうまく入らなくなってくる始末だ。  もうダメなのだろう、と。心の何処かで察しつつあった。 ――だったら。助けに来てください。もう、馬鹿にしたり……否定したりなんかしない、ちゃんと話を聴いたりもするから、だから。  恐ろしい宴はまだ、終わる気配など微塵も――ない。
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