<第二十二話・焔>

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『このサークルは、単純なオカルトを研究するものではない。俺はむしろ、オカルトやホラーといったものに懐疑的、否定的である者も積極的に参加して欲しいと願っている。何故か?こういったものは、人の思想に大きく影響を受けやすい。“幽霊は存在する”と思う者が見れば幽霊が存在することになり、“幽霊は存在しない”と思う者が見れば幽霊が存在しないことになる。それでは、結局研究の結論は本人の主観にしか依らない。正しく、客観的な成果などは見いだせない。それでは意味がない』 『解明されていない“未知”を見た時、それを記録し解釈するのは人間だ。カメラで映像を撮影したところで、その映像そのものは公平かと平等に晒されたとしても……それを見るのが人間である以上、解釈は全て見た者の主観に委ねられる。森でうっすらと燃える火を見た時、それを人魂と呼ぶ者と、悪魔の儀式と言う者、はたまたただそこにいた誰かが焚き火をしただけと言う者、プラズマ現象がどうたらと言い出す者といるということだ。怪奇現象の特番ほど信用できないものはない。あれは大前提として“これから映るものは全て幽霊の仕業である”と銘打って物語をすすめている。見る者達に皆そういったフィルターがかかるし、本人たちだってそう、何を見ても幽霊にしか見えない下地が整っている。ゆえに俺は、こういうサークルの場で、偏った意見の者がかりの集団ができるのは極めて危険で、同時に退屈なものだと考えているんだ』  焔がサークルで、あのような講釈を垂れたのはつまりそういうことである。  同時に、身内では自分は“霊能力者である”ということで通っているらしいが、焔自身がそれを名乗ったことが一度もないのもつまり理屈だった。焔自身が、己に見えるものの正体をきちんと把握できていないため、霊能力者なんてつまらない括りで思考を止めていいものとは思えないからである。  自分が見えるものは、本来なら既に解明されている科学や医療で測れることなのかもしれない。それがただ、焔が持つ知識でわかっていないだけなのかもしれない。  どちらでも良かった。なんせ、焔に見える“異常”は、大学四年生になった今でさえ当たり前のように継続している代物なのだから。 「ちっ……馬鹿が」  サービスエリアの駐車場で車を止め、運転席で携帯を取り出した焔は、画面を見て舌打ちをすることになる。  自分に対して、堂島美園と木田琴子の二人が反感を持っていることはわかっていた。彼女らはどちらかというとオカルト否定派であったが、残念ながらオカルトを科学的に解明しようという意欲もなければ頭があるタイプではなかった。どちらかというと、つまらなくて刺激のない己の人生へのコンプレックスから来るものだということは見抜いていたのである。なんてことはない、彼女達は霊能力者という名の“特別なもの”を持っているかもしれない存在に嫉妬していただけなのである。焔自身が、一度も己を霊能力者などと名乗ったことはないにも関わらず。
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