<第二十四話・飢>

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<第二十四話・飢>

 あの時のことを、篠崎夏音は思い出していた。  後から知った事ではあるが――生贄をほぼ同じくして二人捧げる場合、片方は磔になり、片方は地下で死ぬまで彷徨う処分を与えられることが多いのだという。それは、結界を様々な方向から補強しようとする祭祀達の意図なのか、それとも本当にそういった内容の籤が引かれて決まるのかはわからない。ただ、自分達姉妹の場合もそうだったというだけだ。妹の秋乃は磔にされて、全身を“裂”かれて死んだ。そして夏音は、地下に送られて閉じ込められ、最終的には“餓”死して死んだのである。  妹に比べたらマシな死に方、であったのかは正直わからない。  出口が塞がれた洞窟を延々と彷徨い歩き、最初に問題になったのは当然トイレだった。当然だが、あの場所にそういったものはないし、当たり前だが紙なんてものもない。何時間?何日?彷徨ったのかは覚えてないが、ずっとトイレを我慢して歩くなど不可能だった。当然衣服は汚れてくるし、そもそもこちとら裸足である。歩き続ける足の裏も汚れ、傷だらけになり、どんどん状態は悪化していった。  水が湧いている場所はあったので水の確保はなんとか出来たが、山の湧水は必ずしも安全とは限らない。むしろ、綺麗に浄化された日本の水しか慣れてない一般人の体は、そこまで頑丈にはできてないのだ。この場所が“生贄送り”に使われ続け、腐敗した遺体なども長らく置き去りにされたりすることが珍しくないのなら、そこに流れる水が綺麗なものとは到底思えない。  喉が乾いて水を飲むたび、お腹を下すことになり、より最悪な結果を招いた。それでも、ボウフラやゴキブリが沸いていたかもしれない水でも飲まなければ生き延びられない。――世界の、水道が整備されていない国の貧しい人達の気持ちがわかった気がする、なんて本当に洒落にもならない話であったが。 ――誰も助けてくれなかった。こんなに苦しいならいっそさっさと死んでしまった方がいいんじゃないかとも思った。でも。  下手な拷問よりも、こういった真綿で首を絞められていくような仕打ちの方が堪える時もあるかもしれない。少なくとも、自殺というものがちゃんと頭を過ぎった時にはもう、その気力さえなくなっていることが大半だろう。なんといっても、体を拘束されているわけではない。歩き続ければ出口を見つけ、生き延びることができるかもしれないという希望も持ってしまう。結果、自死することもできず、環境が絞め殺してくれるまでその迷路を彷徨うことになるのである。それこそ、自分達を生贄送りにした連中が思う通りに。
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