161人が本棚に入れています
本棚に追加
/76ページ
「……君が光流様?」
藤は光流に抱きしめられたまま聞いた。
「あぁ! そうさ。ずっと僕だけのガイドを探していたんだ」
光流は藤の頭を犬のように撫で回した。藤は撫でられる行為に照れくさくなり、光流を突き飛ばす。
「どうした? 恥ずかしいのか」
「うっ……」
気持ちを見透かされて藤は戸惑う。玖賀は藤の気持ちには鈍感だ。初めて他人に心の中を言い当てられて動揺が隠せない。調子が狂う。
「君は今日から八重だ」
光流は懲りずにまた藤の頭を優しく撫でにきた。
「はい?」
藤は顔を引き攣らせた。いきなり名前をつけるだなんて変なやつに決まっている。
「八重、返事は?」
光流は藤の髪の毛を掴む。それと同時に光流の後ろから巨大な黒豹が姿を現した。藤に鋭い牙を向けて唸り声を上げる。
「八重じゃない。僕は藤だ」
藤は黒豹に対し、一瞬ひるんだ。だが、名前は母がつけたものだ。嘘でも返事はしたくなかった。
「ここで暮らしていくからには藤の名前は捨ててもらう」
光流が言い終わると同時に黒豹が藤の足に前足を置いた。ミシミシと藤の骨が軋む。黒豹は加減をしていると思うが、かなり痛い。藤は足を動かそうとしたが、びくともしなかった。
「さっきから何様のつもりだ。すぐに玖賀はここに来る。お前なんか一ひねりだ」
身体を動かせない代わりに声で藤は反抗した。黒豹は前足を退けて、ノシノシと藤の顔まで歩み寄ってくる。黒豹が口を開ければ、藤の頭は一飲み込みされそうだ。
「残念だけど、鬼は来ないと思うな」
光流は無邪気に笑った。
「なぜだ?」
自信満々に言う光流に藤は疑問を持った。曲がりなりにも政府公認のセンチネルのボスならば、獅堂から報告を受けているはず。玖賀の執着振りを知らないはずがない。
「鬼門除けをしているし、ここは鬼にとって苦手な場所だ」
それは庭にあった豹の銅像のことを言っているのだろうか? あんなものに玖賀がおじけづくはずがない。
「玖賀は鬼だが、元は人間だ。神仏を祭ったって効きはしない」
見たことは無いが、完全なる鬼ならば効き目があったかもしれないだろう。玖賀は苦手なはずの神社に封印されていたし、陰陽寮にも行けた。
たとえ、煉獄の数珠で能力が使えなくなっても玖賀はきっとここに来る。
「じゃあ、人間だった玖賀にとって苦手な場所と言えばいいかな」
「玖賀が人間だった頃の……?」
光流は若いが、玖賀の何を知っているのだろう? 玖賀の知り合いか? 頭の中で謎が謎と絡み合う。だが、持っている情報が少なく一向に解けそうもない。
「ここじゃ落ち着かないし、僕の部屋に案内するよ」
光流はチラリ、と横を見た。ここにはまだ藤を連れてきた男達がいた。
「連れてきてくれた三人には報奨金を与える」
光流は三人と知っていた。玖賀が引き留めたであろう一人の存在も知っている。男から報告があったから? いや、男は一緒に屋敷に入った。何かで報告を受けた様子はない。男が常に二人組で行動しているならば別だが。
ふと、光流の眼帯が視界に入った。……目が悪い? ということは、玖賀が『耳』がいいのと同じように光流は『目』がいいのかもしれない。
「八重、こっちだ」
光流は藤の手を握った。藤は意地でも命令を聞きたくなくて、握り返さなかった。
「今回のガイドは素直じゃないなぁ……」
光流は藤を引っ張り、どこかに連れて行こうとする。
「僕の他にもガイドがいるのか?」
光流の言葉に引っかかる。
「まぁね、予備だよ。予備」
笑いながら言う光流に、藤はカチンときた。まるで道具扱いだ。
「……そんな顔しないでよ。八重はガイドの力が強いから一番だよ。手を繋ぐだけでも力が安定する」
困ったような顔をする光流。藤は弟と重なった。自分より幼い存在には強気に出られない。
困ったな……少しだけ光流くんの傍にいて隙を見て館を抜けだそう。今は館の構造を把握しておくか。
グイグイと引っ張る光流の手を引っ張り返しながら歩く藤。長い廊下を歩きながら窓の外を見た。広い庭園だ。噴水があり、精神動物と思われる動物が複数存在している。
犬か……自分のにおいを嗅ぎつけられるのは困る。逃走するにはにおいが流れやすい雨の日がいいかもしれないな。
光流がどこかに移動する途中で、上ってきた階段の下を見れば宍色の髪が見えた。獅堂だ。
「獅堂!」
藤は光流から手を離して手すりに寄りかかる。手を上げて獅堂に手を振った。
「藤……」
獅堂はフイ、と気まずそうに目線を外した。獅堂の足下にはトテトテと鶏が歩いている。獅堂の精神動物だろうか?
「なぁ、獅堂! 無視するなよ、その鶏が獅堂の精神動物なのか?」
藤は獅堂に話しかける。だが、獅堂は生半可な返事ばかりで会話にならない。獅堂は藤から逃げるように、館の外へ行ってしまった。
「なぁ、獅堂……「八重」
光流の声に藤は身体を震わせた。人の声で萎縮するなんて初めての経験だった。
「もういいだろ」
短い言葉、それだけで光流が怒っていることがわかる。
「獅堂に煉獄の数珠を渡したのは光流くん?」
本当は直接獅堂の口から聞きたかった。だが、光流がいる限り獅堂は接触してこない。
「あぁ、そうだ。玖賀は喜んでつけると思ってな」
クククッと楽しそうに笑う光流。
「あれは新しいものに興味を示す。だから、騙されて鬼になった」
時折、光流は子どもらしかぬ発言をする。見た目は子どもだけど、中身は違う存在に感じた。
「光流くんって何歳?」
「さあ、千は超えていると思うぞ」
「千……」
急に光流の存在が怖くなった。幼い顔だが、中身はよくわからないもの。
「何を萎縮する必要がある? 玖賀と同じようなものだろう」
光流は藤の手を握った。藤は光流の手を弾く。
「八重、僕と手を繋げ。そうすれば玖賀の『むかしばなし』をしてやるぞ」
光流は脅すように、藤に手を差し出した。
「むかしばなし……」
正直、光流と玖賀の関係を知りたい。本人がいないところで過去を探っていいものか悩んだ。だが、光流の情報もほしい。
「わかったよ」
藤は光流の手を握った。なんだかゾクリと背筋が凍る。人間なんだよな……。
「くくっ、鬼は怖がらないのに僕が怖いのか」
光流は藤の手を引っ張った。藤は少し遅れて付いて行く。
最初のコメントを投稿しよう!