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鬼のセンチネル
降りしきる雨の中、男は傘を持たずに走っていた。
軍服の袖は雨を弾き、宙を舞っている。
大正、帝都の街並み。ここは浅草。街には車が走り、市電も通っていた。
街灯の数は増えて夜も明るいが、男の顔は焦りが生じている。街を歩く通行人を避けて、ぶつからないように走る。
「ハァ、ハァハァ……」
前髪が雨と汗で濡れて顔に張り付く。男は目にかかった部分を後ろにかき分けた。藤色の瞳が雨と涙で濡れていた。
「早く、早く帰らないと……」
男は明るい浅草の街から外れ、月明かりしかない街の外へ走っていった。
***
山奥にある一軒家。藤は木のドアを開けた。靴を脱ぎ散らかして部屋に上がる。
ふすまを開けると、布団の中に誰かがうずくまっていた。
布団をめくり上げれば、白髪で長髪の男がいる。頭から二本の白い角が生え、耳は鋭くとんがっている。ただ、頭が痛いのか、抱え込んで苦しんでいるようだった。ううう、とうめき声を上げている。
「玖賀……」
藤は玖賀に寄り添い、布団に寝転んだ。
センチネルという生き物は、特出した身体能力を持っている。だが、それと引き換えに精神が弱い。使いすぎた肉体に比例して中身が壊れていく。
センチネルの壊れる中身を修復するのが陰陽師である藤の役割。陰陽師はセンチネルを治癒できる唯一の存在と言われている。たとえ、能力の強いセンチネルでも同じセンチネルを治癒することはできない。
藤は耳を塞いでいる玖賀の顔に近づく。
玖賀の固く閉ざした唇に舌を入れた。
「んっ……」
藤の唾液を感じたのか、玖賀が意識を取り戻したようだ。玖賀は耳を塞ぐのをやめて藤に勢いよく抱き付いた。ピチャピチャと藤の唾液を貪むさぼり始める玖賀。藤は玖賀の勢いに押されていた。
センチネルの治癒方法は『粘膜や体液を介しての接触』が効果的だ。つまり、キスやセックスといった恋人同士の触れ合いである。
「く、玖賀……も、もういいだろう……」
藤は玖賀を押し返した。
「私をまた心中させる気か?」
玖賀の茜色した瞳に見つめられる。藤は三ヶ月前の玖賀との出会いを思い出した――。
***
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