開戦

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開戦

オリンピックから数年後。 戦争は始まった。 誰もがその兆候を感じていながらも、それを止めることはできず、思ったより早かったな、と思っただけだった。 3機の戦闘機が並んで空を飛ぶのを見ながら思ったのは、そんなことだった。 言論統制は厳しくなりつつあったが、旧治安維持法の特別高等警察のようなものが復活すると思っている人は多くはなかった。その平和ボケした感覚と裏腹に、開戦と同時に軍の人間が各地に送り込まれ、徹底的に国民を統制し始めた。あっさりと、本当にあっさりと、日本は戦争体制に移行した。 日本人の規律に従う気質は長年の教育の賜物だが、それはこの非常時にでも同じだった。多くの者は軍の指揮のままに歩いた。 学校にも、職場にも、軍の人間が派遣されてきた。その支持に従って人々は歩いた。それはまるで刑務所の囚人のようでもあったし、銀行強盗かハイジャックにあった人質のようでもあった。 抵抗する者がいないわけではなかった。しかし、恐ろしいことに、国はあっさりと暴力で国民を支配した。抵抗する者は殺された。 開戦の兆候が明確であるのに、開戦の意図は不明確だというのが、私の感じるところだった。 戦争の歴史に詳しいわけではないが、明治以降の日本において戦争というのは、平たく言えば強い国になるためのものだったと思う。領土を増やし、資源を増やし、金を増やしたくて戦争をしていた。それが良いかどうかの判断は別として、列強の仲間入りをしたい意図があった。国益のため、国民のため、それが上っ面に聞こえたとしても、そういう意図をもってやっていたからこそ、国民の間にも戦争参加が正である気風が高まったのだろう。 しかし今回は何だ。戦争という非常事態は確かに経験がないが、こんな戦争の初期に、軍が街に出て半ば制圧するような形で市民に銃をむけ、実際に抵抗すれば殺すなどということがあるのだろうか。かつても、特別高等警察に連れていかれるということはあっても、その場で銃殺ということはなかったのではないか。法的にも許されないはずだ、と思う。これまでの日本の感覚で言えばすくなくとも。 開戦初日、午前のことだった。
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