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手の鳴る方へ
誰かが手を鳴らしている。大きな月が明るく照らす夜、遠くから聞こえてくる小さな音に気づいたセスは立ち止まった。
そこは普通であればたやすく迷ってしまうに違いない夜の森。しかし代々この山深い場所で暮らしてきたセスの集落の人間にとっては、複雑な地形も夜の暗さもほとんど問題にはならない。彼らにとってこの森は庭のようなもので、月明かりさえあれば昼間と変わらず軽やかに動き回ることができる。
「おい、何ぼやぼや立ち止まってるんだ。邪魔だ」
「言っても無駄だ、そいつにゃわからんよ」
足を止めたセスを嘲笑しながら集落の若い男たちがどんどん追い抜いていく。きっとあの音は自分以外の人間の耳には聞こえていないのだとセスは思った。セスは耳の良さには自信があって、他の誰より敏感に遠くかすかな音を聞き取ることができるのだと自負している。
セスは生まれつき声を出すことができない。
何の根拠もないが、自分ではこの聴力の鋭さは口の不自由さを補うために発達した能力なのだと信じている。口がきけないことを除けば体も頭も至って健康で、他人の話していることはちゃんと聞こえているし、物事を理解し考える能力も人並みにあるつもりでいる。
とはいえ自分の考えを声に出して人に伝えることができないというのはなかなかに厄介だ。狩りに出るには邪魔なので今は外しているものの、普段のセスは常に首から重い石の板をぶら下げて、ポケットには柔らかい石灰を忍ばせて生活している。これはいつでも筆談できるように工夫を凝らした結果ではあるのだが、集落の人間の多くは読み書きができないためセスがコミュニケーションを取れる相手はほんのわずかだった。そのせいで家族以外の多くの者はいまだにセスは白痴だと信じているようだ。
周囲が自分をどう思っているかを知りながら、それでもセスはできるだけ他の人々と同じように生活し、自分の所属する集団や仲間たちに貢献したかった。だから今年成人に達すると同時に、他の成人男子同様に狩りに参加したいと申し出たのだが、当初は誰一人賛成してくれる者はいなかった。
両親や兄弟は「おまえが獲物を見つけても、それを人に知らせるすべがないだろう」と言ってなんとかセスをあきらめさせようとした。だが、獲物の発見を知らせるのに声が必須であるとは思えない。笛を吹くとか何かを叩くとか方法ならいくらでもあるはずだ。しつこく食い下がってようやく参加が許されたはじめての狩りがこの晩だったが、人々はセスをまるで空気のように扱った。
もちろん狩りの仲間たちから歓迎されないことは覚悟していた。セスが人々の言葉を理解していることを信じない面々はあからさまに「白痴なんか連れて行ったって、ただの足手まといだ」と口にする。そして案の定、誰ひとりとして立ち止まったセスのことなど気にせず、置き去りにしていってしまったのだ。
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