明るい月の夜に

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「元気でね、セス」  別れを惜しむ兄弟の姿を眺めていたリュシカが涙ぐみながら言うと、スイが思い出したようにまだ背負っていた荷物を差し出し、二つまとめてアイクの腕に投げ込んだ。 「アイク、リュシカ。約束だ。脚が治れば旅支度を整え送り出すと言っただろう。これ以上長居しても、よそ者であるおまえたちに住みやすい場所ではない。余計な騒動に巻き込まれる前に出発した方が良いだろう。しばらくの食糧と、ささやかだが路銀も入れてある」 「確かにそうだな、リュシカ。そろそろ俺たちも先に進まなければ」  突然の話にリュシカは驚いた表情を見せるが、アイクは納得したように荷物を背負いうなずく。そういえばセスが渡した薬草が少しは効いたのか、いつのまにかアイクの脚はすっかり治っていたようだ。それでも、セスとクシュナンを気にして、人前では片脚を引きずって歩きここにとどまり続けてくれた。  クシュナンが、ふと二人に訊ねる。 「こんな山奥を二人でさまよっていたなんて。おまえたちも訳ありなんじゃないのか。行き先はあるのか? なんなら一緒に南に来たっていい」  するとアイクは小さく笑い、しかし首を左右に振った。 「……ありがとう。でも、大丈夫だ」 「そうか、またどこかで会えれば」  スイはその場に残り、あとは二人と二人に別れて逆方向に歩き出す。不安はあるが、クシュナンと一緒であればそれだけで生きていける。セスは強く自分に言い聞かせた。  しばらく歩き、名残惜しくて振り返る。こちらを見つめる兄がうっすらと笑い「いいからさっさと行け」と手を振る。そして、遠ざかる二つの背中。クシュナンが思い出したようにつぶやいた。 「ここに来る旅の途中、噂を聞いた。北の王都から〈少年王〉が逃げ出したのだと。それは真っ白い肌に銀色の髪をした美しい少年の姿をしていて、長い干ばつを鎮めるために焼かれそうになった彼を、黒い体に灰色の目を持つ大きく醜い獣が連れ去ったんだと」  ちょうどアイクとリュシカの影が藪の向こうに消えるところだった。確かにあの少年は白い肌に金色混じりの銀の髪を持ち美しく神々しい姿をしていたし、あの男は——ぼさぼさの黒い髪によどんだ灰色の目と大きな体。どこか野蛮な獣のようにも見えた。 「——でも、ただの噂だ」  その言葉にうなずいたセスはようやく心を決めて、兄にもう一度だけ笑いかけると再び前を向く。クシュナンと並んで前へ、ただ先へ歩き出す。  月が明るい夜だ。こんな夜は決まってクシュナンは不安定な様子を見せていた。彼の世話をしている頃はそれがなぜなのだかわからず、少し怖かった。でも、今のセスは彼が大きな明るい月に心かき乱される理由を知っている。  クシュナンはこんな夜には今もつらいことを思い出すだろうか。もちろん、思い出すだろう。だって彼は失った人たちのことを忘れたりはしない。  彼が悲しみに暮れるとき、自分は彼を少しでも慰めることができるだろうか。今日のこの美しい夜は、彼の悲しい記憶を少しでも薄めることができるだろうか。  セスの背中に手を触れながら、クシュナンはそっと天を仰ぐ。 「良い月だ」  そしてセスは愛する人のささやきを聞く。  ——セス、俺はもう、明るい月の夜に悲しいことだけを思い出さずにすむよ。 (終)
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