いましめと傷

2/5
535人が本棚に入れています
本棚に追加
/142ページ
 その晩セスは日が昇るまでひたすら寝返りを繰り返しながら〈神の使い〉のことを考えた。出会ったときに見た涙に濡れた瞳や、敵意のない打ち解けた態度はすっかり消え失せてしまった。今夜の彼からは怒りと落胆しか伝わってこなかった。勝手に親近感を抱いて、彼の近くに行けることを楽しみにした自分が馬鹿みたいだ。  それから一週間、セスは同じことを繰り返した。日に二度、精一杯の(ぜい)を尽くした食事と酒を運ぶが、男は一切口をつけようとしない。部屋に置いている水瓶の水がわずかに減っているところから見れば、水くらいは飲んでいるようだが、セスが美しいと思ったしなやかな筋肉は栄養不足ですでに枯れはじめている。汚れが浮いてきた髪の毛や体に触れようとすると野生の獣のように激しい抵抗を見せるので、セスは彼の体を清めることすらできない。  ぞんぶんに食べさせ飲ませること。清潔と快適を保つこと。〈神の使い〉を迎えるにあたって集落に求められることの何一つ満たすことができていない。精一杯差し出しているものを断り完全に心を閉ざしている男が神の使いであるようには思えず、セスはとうとう兄に弱音を吐いた。  ——あの人は本当に〈神の使い〉なの?  セスは、胸にうずまく不安そのままに普段より小さい文字で記す。黙ってはいてもセスの悩みに気づいていたのだろう、スイは小さなため息を吐いてから労わるようにセスの頭をぽんぽんと叩いた。 「皆で見極めた結果だ、間違いないよ。心配するな」  小さい頃からセスが悩んだり落ち込んだりしているとスイはこうやって慰めてくれた。その記憶があまりに鮮烈であるからか、いい大人になってもセスはスイの手の感触を髪に感じると心が穏やかになる。しかし、今は優しい手と「心配ない」という言葉だけではセスの心のもやもやは解消しない。  だったら、どうして何もかも拒否するんだろう。食事も酒も、体を清めることすら拒んで、一週間のあいだに彼は痩せて汚れてしまった。僕のような話せない者が世話役でいるのも不満みたいだ。 「そう思い詰めなくたって〈神の使い〉にはよくあることだ。最初はそうやって、俺たちを試すんだよ」  スイは、自分だって最初のうちは上手くいかなかったから、もう少しだけ待ってみようとセスを説得した。完全にその言葉を信じたわけではないが、兄にそう言われればセスはうなずくしかない。集落の人間がどれだけ真剣に尽くそうとしているかを試すために、一定期間つれない態度をとる。それは本当なのだろうか。時間が経てば褐色の男はセスに心を開いてくれるのだろうか。
/142ページ

最初のコメントを投稿しよう!