神の使い

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 とても酒を飲みたい気分ではないが、長兄に注がれた酒を断ることはこの家では重罪となる。セスは盃を手にするとぐっと一息に飲み干した。喉を焼くような感覚、そして頭の芯がかっと熱くなる。  兄はじっと黙ったまま続けざまに盃を空ける。遠く建物の外からは人々が騒ぐ声が聞こえてくる。狩りの興奮のままに野外で酒盛りでもしているのだろうか。  何か言いたいことがあるのは間違いないのに兄が口を開かないので、しびれを切らしたセスは首からぶら下げている黒い石でできた石板を床に下ろすと、そこに石灰で文字を書いた。  ——スイ兄さん。何か言いたいことがあるのでは? 彼らに、僕がはぐれて迷惑だったと文句を言われた?  率直に訊くと、兄は困ったように頭をかいた。図星であるようだ。 「まあな。でも誰だって最初の狩りのときは上手くいかないものだ。俺だって緊張して、獲物と間違えて仲間に矢を放って危うく殺しそうになった。誰も傷つけず、おまえ自身も傷つかなくて、それだけで上出来だと思ってるよ。俺も父さんも」  セスの家族は優しい。(おさ)の家系にセスのような息子が生まれて、本来ならば恥ずべきこと思われても仕方ないのに、口がきけないならと早いうちから読み書きを教えてくれ、今もできるだけセスが普通の生活を送れるよう希望を尊重してくれている。だからこそ集落の人々の一部は「(おさ)の子だからといって白痴のくせに優遇されている」とセスに憎しみにも近い感情を抱くのだが、それでもかばってくれる家族の存在はありがたいものだった。  ——ごめん。音を聞いて、どうしても気になったんだ。 「音?」  ——そう。はぐれた旅人か何かだと思うんだけど……カイはどうして彼を捕らえてしまったんだろう。〈神の使い〉と言っていた。  セスは褐色の男について兄に話すのに、彼が泣いていたことを伏せた。きっと彼はあのことを誰にも知られたくないだろうと思ったのだ。
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