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カフェから亜実の自宅は徒歩十分もかからない。こんな時に限って信号にも引っかからずスムーズに進む。
カフェで話をしていたような、当たり障りのない話題ばかりで、お互い当時のことは綺麗なままでとっておくものだ、とそう思っているんだと思っていた。
「あれ?」
だが、口火を切ったのは亜実だった。
この先数メートル先にある交差点を右に曲がればすぐ彼女の実家がある。あと長くても数分。
それをどうしようか、と考えあぐねていると俺の隣に居た亜実がいつの間にか居なくなっていることに気がついた。
「亜実?」
振り返れば思いつめた表情で、今にも泣き出しそうなほど何かを懸命に堪えている亜実が立ち竦んでいて。
「……どう、した?」
「…惠ちゃ、」
付き合っていた当時ですら
彼女が涙する姿を見たことはなかった。
別れる時ですら
毅然として、躊躇う様子もなかった。
それなのに
今は笑みが消え目から大粒の涙がはらはらと落としている。
それを拭いながら何かを言いたげに小さな口を開けては閉じて、躊躇って。
「……後悔してるの、」
昔から夢だった通訳士になれた。絵本の翻訳という、新しい分野にも飛び込んだ。
カフェでその話を聞いて心からおめでとう、と思えた自分に少し驚きながらも、あの時、亜実の選択が正しいものだった、とすんなりと納得できた。
だからもうこの思いは手放さなきゃいけないんだ、と。
未練たらしく、女々しく彼女を想うのではなく、いい加減見切りをつけないと。
そう思っていたのに。
「……惠ちゃんの近くで夢を叶える方法がなかったのかなって、今でも、……ずっと、……ずっと考えてしまっ」
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