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軽い眩暈を覚えた私の視界の片隅に、わずかに動くものがあった。濡れたガラスの向こう側に彼女の気配を感じた私は、傘を持たない右手で小さくガラスを叩いた。
「蘭子さん、いるのかい……?」
ゆらりと揺れたカーテンの隙間から彼女の顔が覗いた。そっと窓を開ける彼女の左目には白い眼帯がつけられていた。
「このところ会えなかったから心配していたよ。その目は、怪我でもしたのかい……?」
「病気なんです……目の」
いつにも増して口数少なげにそう言うと、彼女は口をつぐんでしまった。少し痩せたように見えるその顔には以前にはなかった翳りが見られた。
「私は盲いたことがないけれど、なかなかに大変なのだろうね。早く良くなるといいね」
なんと声をかけてあげたらいいかわからずに、やけに明るく喋ろうとする自分を白々しく感じた。こんな時、何か気の利いた言葉でも言えたのならと、己が恨めしかった。
「そ、そうだ、目の病気が治ったら一緒にでかけよう。一度くらいなら、いや一日とは言わない、少しの時間ならきっと君のお母さんも許してくれるさ。良く晴れた日に、どこか、そうだな、どこか空気の良い場所に」
ざあざあと降りしきる雨の中、自分の声だけが妙に響いた。
「良く晴れた日に一緒にでかけられたら、それはとても素敵なことね」
彼女は独り言のように呟いた。
「そうだよ、だから……」
「でもだめなんです!私の目は治らないし、ここから出ていくこともできない!」
それは嘆きと諦念とがないまぜになった言葉だった。吐き出すようなその言葉に本当の彼女を見た気がした。
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