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―漆黒の美人―
雨の日に公共の乗り物を使用するのは、いつも少し憂鬱になる。
特にもうすぐ梅雨という時期の通勤バスなどは、本当に乗りたくない。
「今週から、合同練習始まるねぇ」
頭の冴えない中、停車するまでの車内は密閉され、端の端まで湿気が行き渡り、社会人のスーツや、学生達の制服が一種独特な気を放つ。
「こっちのグラウンド使うってホントかな」
互いに濡れないように気遣い合う者。または、そんな事も一切の構いなく乗ってくる者、一緒くたに車内に詰め込まれ運ばれる。
「ホントらしいよ、輝星学園の先生達と学校会議してたじゃない? あれあれっ」
特に顔馴染みの生徒が乗っている路線バス内は、自校の教師が乗っていても、ちっともお構いない彼女達の弾む声が車内に響き、何とも心臓に悪い。
「ちょ、ちょっと、君たち」
堪りかねて声を掛けようとした時、パァンと、派手に手を打ち鳴らす音がバス内に響き渡った。
「朝から、ピーピー、ピーピーうっせぇよ、小雀ども」
驚いて振り返ると、バスの最後部座席に座っていた男性が立ち上がっていた。
「そこのお前も、こいつらのお守なら、ハッキリ注意しろ」
どうやら、こちらが声を発しようとしていた事に気付いていたらしい。
「まったく、ごもっともです。申し訳ありませんでした」
彼を中心に車内に謝って頭を下げると、女生徒達が慌てた。
「穂咲ちゃんは関係ないよ。悪かったのは私達なんだから。ごめんなさい」
最初はこちらに向いていた言葉が周囲への謝罪の言葉に変わり、彼女達も頭を下げる。
その先を見遣ると、さっきの彼はもう座席に座り、こちらを見て嗤っていた。
「おぉ、紫苑様の微笑みだ。拝め、拝んでおけ」
「朝から珍しいもの見たぁ。すっげぇウザかったけど、あの女子達に感謝だな」
本当の美しい微笑みを知っているのかと不安になる、男子生徒達の静かなざわめきが広がる。
女子高の輝星女子学園と、男子校で兄妹高校の輝星学園。その生徒と教師達で埋め尽くされる路線バスの車内は、前半分を女生徒達が、後ろ半分を男子生徒達が、色分けするように乗車している。
「穂咲ちゃん、本当にゴメン」
先程の子達がまだ小声で謝ってくる。
「教師を公衆の面前で〝ちゃん〟付けで呼ぶんじゃないよ。その時点で反省感無しだね」
苦笑しながら言ってやると、人前で怒られて少し固くぎこちなかった彼女達の顔が、ほんのりと和らいでいく。
「今度からは、気をつけます」
「はい。そのようにね。知り合いが多くても、公共の乗り物だよ。わきまえなさい」
微笑んで頷いてやると、彼女達は自分達の輪に戻っていく。
「お嬢様達を扱うのも難しいね。穂咲」
「叶」
隣で成り行きを黙って見守っていた腐れ縁の、鶴見叶がコソリと耳打ちしてきた。
「うちの子達は、まだ素直な方だよ」
「良い先生を持って、輝星女子の生徒は幸せだなぁ」
ふざけた物言いに、叶の脇腹を肘で突いて抗議していると、さっきの彼と目が合った。
慌てて目礼して、先程の事を重ねて詫びたが、冷え切った怜悧な視線を向けられ、無表情のまま視線を逸らされた。
「あ……」
不快感を露わにされ、彼の中で教師として駄目な奴だと烙印を押されたようだった。
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