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土間涼介は玄関で靴を脱ぎ捨てると自分の部屋のPCの前に直行した。鞄を床に置くと、椅子を引きながら電源を入れた。滑り込むように椅子に座ると、起動画面に視線を向けたまま体をねじってジャケットを脱いだ。それを鞄の上に放り投げる時も画面から目を離さなかった。
マウスを握り、カチ、カチ、カチと何度もクリックを繰り返す。
デスクトップ画面にアイコンが表示されるや否や、ダーク・ディメンション・オンラインを起ち上げる。
ログインボタンを押し、背筋を伸ばし椅子に座り直した。
画面には風にたなびく草原が広がっていた。
涼介は自分のキャラクターであるドラゴンナイトを操作し、待ち合わせ場所までテレポートさせた。
すでに仲間のダークエルフと、魔道騎士が待っていた。
「リョウちゃん、コンバンワー」
「待ってました!」
「お待たせー。ごめん、どうしても残業で帰れなくて」
涼介がキーボードをたたくとドラゴンナイトの頭上に噴出し文字が現れた。
「すげぇ、ミスティオ装備を揃えたんだね」
「カッコいーー」
ダークエルフと魔道騎士が賞賛の言葉を掛ける。
「二人とも、アップグレードしてるじゃん」
三人ともこれで装備は十分なはずだった。
「今日こそ、冥王を倒せるね」
「絶対、倒すぞー」
「うん、うん」
二ヶ月続いた冥王戦イベントは今日が最終日だった。
ゲーム内で知り合った二人の上級種族とパーティーを組み、連日、冥王に挑み続けた。
十日経つと、冥王宮の前の五つの門は難なく通過できるようになっていた。それぞれのゲートキーパーは強敵だったが、何度も挑み続けて攻略法を見極めていた。
だがどうしても冥王には歯が立たなかった。冥王が持つ巨大な暗黒剣の物理攻撃も、数々の魔法攻撃も強力で、攻撃を仕掛ける間もなく一瞬で全滅させられていた。
冥王へは一日に一回しか挑戦できなかった。二十連敗した後、三人で話し合い、装備を十分すぎるほど整えて、最終日の挑戦に賭けることにしたのだ。レア装備で挑まなければ何度やっても同じ結果になるだけだと判断したのだ。
「この一週間は、装備を整えることだけに注力したからね」
「ワタシは、リエーの海底神殿に篭りっきりだったよ。それでこのグリフォン・レイガンを手に入れたよ。ちゃんと防具無効化、麻痺付与、発射中の受ダメ無しのオプション付きだよ」
涼介も、低確率だが高スペックの武器が入手できる敵のアジトを軟百回も攻め入った。それでミスティオ防具は揃ったが、昨日までミスティオ武器は手に入らなかった。
結局、最終日の今日に間に合わせるため、昨日は徹夜だった。職場で居眠りして反省文を書かされたが、その甲斐はあった。
明け方になって激レア武器のミスティオブレードの合成に成功したのだ。カード決済で課金し、合成宝石を買い、武器の合成を繰り返した。深夜に合成でゴミ武器ばかりしか出て来なかった時は泣きそうだった。
最初、一万円掛ければ手に入ると思っていた。それが三万円になり、五万円になっても合成は成功しなかった。そこまで投資するともう途中で止めることは出来なかった。結局、投資金額は十五万円を超えてしまった。
だが苦労は報われた。
ミスティオブレードが画面に現れた時は、椅子から立ち上がり嬌声を上げてガッツポーズをとった。
自分のドラゴンナイトのミスティオ装備姿に惚れ惚れしてしまう。
「さぁ、さっそく、ハーデスゲートに行こう」
三人は冥王が待つ宮殿の入り口にテレポートした。
イベントの最終日ということもあって、他のパーティーも続々と集まっていた。しかし、涼介たちのパーティーほど派手で色鮮やかで、それでいて洗練された装備を揃えているパーティーはいなかった。周りから賞賛の声が上がっていた。
数万人のプレイヤーの中で、冥王を倒したパーティーは二組しかいなかった。
「準備はいいか?」
「よし、入ろう」
他のパーティーに続いてゲートの中に入った。中では他のパーティーとは会わない。それぞれ別々に冥王と戦うシステムになっていた。
涼介たちのパーティーは順調に門番たちを倒していった。三人の種族からなるパーティーの誰か一人でも倒されるとそこで終了となり、その日の挑戦は終わるのだ。しかし、その心配は不要だった。
順調に第一ゲート、第二ゲートと最後のゲートも通過し、冥王が待つ王の間に辿り着いた。
すぐにラストバトルが始まった。
揺らめく黒い炎を身にまとった巨大な冥王が現れた。赤黒い甲冑に巨大なローブを纏っている。涼介たちパーティーのドラゴンナイト、魔道騎士、ダークエルフの三倍以上のサイズだった。
だが、勝てる。
揺らぎのない自信に満ち溢れていた。
第五ゲートまでの闘いは慣れたもので、ほとんどダメージは受けていない。ヒーリングポーションもマジックポイントにも余裕がある。
冥王の巨大ブレードの横なぎが来た。一撃即死の卑怯ともいえる必殺の攻撃だ。
三人とも一斉に、前転して避ける。
「なめるなよ」
「ワンパターン野郎め」
チャットが出来る余裕もある。
冥王の全身が光り出した。これは王族魔法を詠唱している合図だった。
「反射魔法の詠唱、ヨロ~」
ダークエルフだけが王族魔法を防御できるのだ。だが、冥王の魔法は強力で完全には防げない。ダメージが幾らか貫通するのだ。
画面がネガ反転して覆いつくすように黒い光の槍が現れた。それが三人を目がけて一斉に襲い掛かってくる。なんとか反射魔法のバリアーで防いだが、幾らかは直撃を喰らってしまう。
「スゲー。ほとんどダメージ、受けていない」
「ミスティオ防具のおかげだ。凄すぎる!」
冥王は王族魔法を出した後、一瞬、隙が出来る。
三人とも冥王に向かって同時にダッシュした。
まず涼介のドラゴンナイトがミスティオブレードの奥義技を繰り出した。冥王は大ダメージをくらった。そして奥義技のオプション効果により冥王は麻痺状態になった。
続いてダークエルフがグリフォン・レイガンの連射を浴びせた。
冥王の麻痺が解けるのと、魔道騎士の奥義魔法サイコクエイクが発動するのが同時だった。
完璧なタイミングだった。
冥王は攻撃の姿勢を取り始めているため、防御できないのだ。
サイコクエイクが大ダメージを与えた。
「いいぞ!」
「やったー!」
冥王が片膝をついて倒れた。
だが、追い打ちは危険だ。ここで調子に乗って攻撃を仕掛けると反撃をくらうのだ。
三人とも阿吽の呼吸で、後ろに下がった。冥王と距離を取る。
冥王が巨大な拳で地面を殴ると、地面から無数の槍が飛び出してきた。それぞれ禍々しい返しの針がついている。
「危ないところだったぜ」
今夜のこの一回しか、冥王に挑戦できる機会はないのだ。冥王を倒せるのはこの攻撃だけなのだ。
「慎重に行こう」
今まで、何度も焦って攻撃を仕掛け、結果、全滅させられていたのだ。
また巨大ブレードの横なぎがきた。これも同じように回避する。続いてまた同じパターンで王族魔法の攻撃がきた。それも防御し攻撃を返す。そしてすかさず回避。
冥王のライフゲージが五分の一に減っていた。
冥王が同じパターンで攻撃してきたせいもあるが、何と言っても三人の防具・武器が最高級品で揃っているせいだった。
冥王が巨大ブレードを構え、突進してくる。巨大な甲冑姿が画面一面に迫ってくる。
「しまった!」
ダークエルフと魔道騎士は上手く避けたが、涼介は避け切れなかった。ごっそりとライフポイントが削られてしまった。瀕死状態になり動けなくなってしまった。
この冥王戦は誰か一人でも倒されるとそこで終了となってしまう。
冥王がまた突進してくる。
「わぁっー!」
涼介は回避ボタンを連打する。キーボタンがカチカチカチと狂ったように鳴り続ける。
涼介のドラゴンナイトの身体が緑色に光った。
やられたと思ったが、回避していた。ダークエルフが掛けてくれた回復魔法が間に合ったのだ。
冥王がまた突進してくる。
「落ち着いて!」
そうだ。躱せない攻撃ではないのだ。一呼吸おいてタイミングを計る。
突撃をかわされた冥王はまた方向転換し、再度、突進してくる。ひたすら突撃が繰り返されるが、三人は落ち着いて避け続けた。
冥王は突撃をやめ、王宮の間の中央に立ちクルクルと回転を始めた。
また攻撃がくるのだ。
ここも我慢だ。
真・王族魔法がくる。ダークエルフと魔道騎士が同時にバリアーを張る。
真・王族魔法の光の流星攻撃が三人を襲った。バリアーを通過して幾つかの攻撃が三人にダメージを与える。
ヒーリングポーション使用ボタンを連打する。回復薬を全て使ってもライフゲージは半分までしか戻らなかった。
どうする? タイムロスしたが冥王が次の攻撃に移るまでまだ0.5秒ほど間があるはずだ。体制を立て直すか? だが次の攻撃を喰らえばヒーリングポーションは無く、ダークエルフの回復魔法だけが頼りになる。しかし強力な回復魔法はもう一、二回しか使えないはずだ。しかも一度に一人ずつだ。三人が同時にダメージを受けると間に合わない。
ここはミスティオ装備を信じて、そして仲間を信じて、一気に畳みかけるしかない。
「パパぁ、どこ? パパ―、パパ―」
二歳の息子の悠斗の泣き声がした。
寝ている筈の息子が目を覚まして、涼介を探しているのだ。
「まったく、美奈は何してるんだ!」
今は、子供の面倒を見ている場合じゃないのだ。
冥王を倒すか倒されるかの瀬戸際なのだ。いや、倒されるという選択肢はあり得ない。
「うえっ、うぇーーん、パパ―、パパ―」
階段を降りてくる鳴き声が近づいてくる。悠斗が二階の寝室からこの部屋に向かっている。
魔道騎士が全身を黄金色に輝かせて冥王に向かっていった。自分に攻撃力強化の魔法を掛けているのだ。攻撃力が二倍になる代りに、防御力が半分になる。
最後の攻撃に賭けたのだ。
すぐ後を追うダークエルフの姿も黄金色に光っている。
涼介は出遅れてしまった。冥王の反撃が来る。このままでは全滅してしまう。
涼介は咄嗟にF3キーを叩きATR砲を放った。冥王にはほとんどダメージを与えることはできなかったが、怯ませることには成功した。これで涼介のドラゴンナイトも他の二人に追いつくことが出来る。
ドスンと音がして、悠斗の鳴き声が激しくなった。
暗い階段で足を踏み外して転んだのだ。頭から滑り落ちたのかもしれなかった。
「なにやってんだ! 馬鹿!」
涼介は、悠斗の鳴き声を打ち消すような怒声を上げた。
画面のドラゴンナイトが冥王に向かいかけた姿勢のまま止まっていた。
ミスティオ装備に身を包んだ涼介のドラゴンナイトだ。
五年以上、何百時間も掛けて育ててきたゲームのキャラクター。十五万円以上の課金をして揃えた装備。
どうしても冥王を倒したかった。そこで手に入る褒賞の経験値やアイテムポイント、上級合成宝石、そして、冥王装備やゲートキーパー装備が欲しかった。
それに仲間と一緒に、努力して敵を倒す爽快感、達成感を味わいたかった。数万人の中のトップになりたかった。冥王を倒した時、興奮状態で自分がどうなるのか確かめたかった。
「くそっ!」
涼介は椅子から立ち上がり、ドアをあけ息子の元に駆け寄った。
頭から下になって階段にうつぶせになって泣いている。もう二、三段で床に着くが怖くて身動きがとれないようだった。
階段の電気をつけるとすぐに悠斗を抱き起した。
「馬鹿、何やってんだ! 探しに来るなよ! パパは忙しいんだぞ」
悠斗は大声で泣き続けている。
「どうしたの?」
美奈がパジャマ姿で降りてきた。
見上げると、額に熱さましの湿布を張っていた。
その姿をみて、自分の妻が風邪を引いていると言っていたことを思い出した。
涼介は、今朝、言われてたそのことを、今まで全く頭に無かったことに愕然とした。
悠斗も怖い夢でも見たか、急に寂しくなったかしたのだろう。だが、母親が病気なことに気を使って、父親の涼介を頼って来たのだろう。
「寝てていいよ。悠斗は俺に任せて」
涼介は静かな声で言った。そして悠斗を抱きかかえたまま階段を上り、美奈を急かせて寝室に戻らせた。
「ゴメンよ、悠斗。パパが悪かった」
涼介の首に腕を回し、肩に頬をつけている悠斗にささやいた。
冥王との戦いは今日が最後だが、多分、本当の最後ではないだろう。また何らかのイベントはあるはずだ。
だが、二歳の息子との時間は一度過ぎたらもう二度とやってこないのだ。
「俺が馬鹿だったよ」
涼介は子供部屋のベッドに寝ぼけ眼の悠斗を寝かせた。自分も身体を曲げて悠斗の横に寝そべった。そして布団の上から息子の胸のあたりにそっと手を置いた。(了)
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