北上する学者と治癒師のプレリュード

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 トパーズの瞳は澄んでいて、ずっと先を見ていた。  レオンもいつも遠くを見ていた。でも、メルティがその澄んだ瞳で見ている未来は、レオンの見ていた未来とは、また違う未来なんだと、なんとなくそう思う。 「――どうして? 蛮族の地に向かうなんて危険じゃないんですか?」  エリシアがそう尋ねると、メルティはゆっくりと首を左右に振った。 「違うよ。彼らは『蛮族』なんかじゃない。言葉を喋れないなんて大嘘だよ。彼らは彼らの言葉を持っているし、きっと彼ら自身の文化を持っている。それが、僕らフローレンス王国のものと違うだけなんだ。それを、僕らが勝手に『分かり合えない』って決めつけて、争い続けているだけなんだ」  確かに「そうかもしれない」とエリシアは思う。このノルド占領下にある港湾都市ブーレンに流れ着いて半年。自分自身、必要に駆られて彼らの言葉を少しだけ覚えた。それは自分たちの使う言葉とは音の種類だって、リズムだって全然違うのだけど、でも、それはやっぱり、自分たちの言葉と同じようなものに思えた。 「でも、やっぱり、言葉が通じないと『分かり合えない』ですし、ノルドの人々がどうして国境を越えて攻めてくるのか、人々を殺しにくるのか分からないと、戦うしか仕方ないじゃないんですか……?」  だから、レオンは戦っているのだ。私を捨てて、王都に残って。  それでも、メルティは首を左右に振る。 「だからこそ、『知る』んだよ。ノルド領域に行って、彼らの言葉と文化を『知る』んだー。言葉が通じないっていうのは不安を連れてくる。それは、やがて恐怖を生む。恐怖が人を戦いに駆り立てる」  確かにそうかもしれない。言葉の通じない蛮族。人ならざるもの。そんな恐怖が、自分の中に無かったと言えば嘘になる。  すれ違いが争いを生み、争いが全てを狂わせる。 「エリシアさん。確かに剣と魔法は力だ。国を統べる力になる。でも、本当に大切なのは『知る』ことなんだよ。世界を知り、お互いを知る。それが本当の意味での平和や、豊かで穏やかな社会を作っていくのだと、僕は信じているんだ」  エリシアはメルティの言葉に耳を傾けた。  心の中で冷たく固まっていた何かが氷解していくのを感じる。  自分が何をすべきか、何のために生きているのかが分からなかった。  レオンが世界のために戦っていても、ただそれは、人を殺すことでしかなくて、それでもレオンが『勇者』と祭り上げられる光景に、虚しさと、寂しさばかりが募った。  傷ついた人を『治癒(ヒーリング)』で癒やしても、傷つく人自体は減らない。  どうすれば良い? どこに行けば良い?  そんな問いは、心の奥底で、ぐるぐると回り続けていたのだ。    やがて、最後の光が消えて、メルティの傷は綺麗に消え去った。  エリシアは、そっと、青年の太腿から手を離す。  「終わりました」と言って見上げると、自分をじっと見つめるメルティの瞳と目が合った。「ありがとう」と口にしたメルティは、一呼吸開けて、続ける。 「エリシアさん。もし良かったら、僕と一緒に来ませんか? ノルド領域へ。危険な旅になるかもしれません。言葉だって通じないし、不安かもしれない。でも、君さえよければ、一緒に旅してみませんか? ――君はきっと、世界を知るべき人だ」  真摯な瞳は、トパーズに輝いている。その視線を受けて、エリシアは目を細めた。 「私が、……そう言ってもらえるだけの人間なのかどうかは、よく分からないです。でも、本当は、私こそ一緒に行かせて欲しいって、お願いしようと思い始めていたんです。――是非、私を、連れて行ってください。ささやかな治癒(ヒーリング)魔法しか使えませんが、足手まといにはならないように、精一杯頑張ります」  そう言って、エリシアは右手のひらを上に向けた。握手を求めるように。 「――それから。ノルドの言葉は私だって少しは話せるんですからね。伊達に、半年、酒場の看板娘をやっていたわけじゃありませんから」 「これは失礼しました」  やがて、笑いながらメルティの右手が伸びる。  広げたエリシアの右手に、届く暖かな体温。 「学者の旅への治癒師の合流を心から歓迎しますよ」  メルティとエリシアは笑顔で手のひらを重ねると、強く握りしめた。  レオンに引きずられるように旅立った一年前の旅立ちとは違う。  エリシアは自分の意思で、そして、自分の想いを胸に旅立つ。  『知る』ことで、世の中を少しでも癒やすために。  自分たちが知る世界よりも、遠くへ。  ――遠くへ行きたい。
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