北上する学者と治癒師のプレリュード

2/5
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
「――それに、さっきまであそこでノルド地方の蛮族の皆さんとテーブルを囲んで、楽しそうに話してらしたから。てっきりノルドの蛮族の方かと思っていました。……あ、蛮族だなんてごめんなさい」  思わずエリシアは口許を押さえる。フローレンス王国の人をノルドの蛮族と勘違いするなんて、フローレンス王国の常識的には失礼なことだった。 「全然大丈夫だよ。でも、そんなに溶け込んでた? 自然にノルド人に見えていたんだ? 僕もなかなかやるなぁ〜」  そう言って、メルティはトパーズのように澄んだ目を細めながら愉快そうに笑う。  エリシアは思わず顔を上げて、その青年の表情に見入る。 「――嫌じゃないんですか? ノルドの蛮族と間違われて?」  声を潜める。 「――全然?」  メルティはエリシアに付き合うように、顔を寄せて、声を潜めた。 「全然ですか?」 「うん。全然」  フローレンス王国の人々にとっては、ノルド地方の蛮族は未開文明の種族という認識だった。「蛮族たちは人間の言葉さえ喋れない」と蔑んできた。  しかし、一年前の戦役を経て、この港湾都市ブーレンを始め、いくつかの街と村々が蛮族達の支配下に入り、ノルドの蛮族は支配者層へ、フローレンス王国の民は被支配者層へと変わったのだ。 「未だにフローレンス王国の多くの人が誤解しているけどさ。背格好や言葉は違っても、彼らだって、僕らと何一つ変わらない『人間』なんだよ?」 「やっぱり……そうなん……ですか?」 「そうなんだよ」  戦役で全てを失ったエリシアが、半年前にブーレンに流れ着いて目にした蛮族達の姿は、学校で教えられていた『人ならざるもの』としてのイメージとは随分と違っていた。  意味は分からないものの、彼らは彼らの言葉を交わし、貨幣を使い、笑い合い、助け合っていた。もちろん、喧嘩もすれば、暴力を振るう光景も少なからず見られた。でも、彼らはとても「人間」だった。  そんな自分の持った印象を、エリシア自身、どう受け止めたら良いのか分からずにいたのだ。メルティという学者の澄んだ肯定が、エリシアの胸の奥に一滴の雫を落とし、波紋を広げていく。 「――なんだけど。……って、聞いてる?」  顔を覗き込まれて、エリシアは我に返った。  知らない間に一人で考え込んでしまっていたようだ。 「あ……ごめんなさい。何でしたっけ?」 「うん。治癒(ヒーリング)魔法のこと。ちょっと噂に聞いてね。君、治癒師(ヒーラー)なんだってね。昨日、足をやっちゃってさ。魔法なしだと回復に一ヶ月近く掛かりそうなんだ。これから旅に出る予定だったから、あまり、この街で時間を潰したくなくってね。できれば治癒して欲しいんだ」  そう言って、メルティは左太腿を持ち上げて見せる。痛みに少し眉を寄せながら。 「旅……ですか。それは大変ですね」 「この足で、長距離の旅はちょっと厳しいよ」    エリシアは「旅」という言葉でふと昔のことを思い出す。戦役の間、そして、戦役の後、自分がしてきた旅のことを。  辛かった道程。旅立ちこそ使命感に駆られたが、そこに楽しかったことなんてほとんどなかった。失ってばかりだった。失って、失って、失って、失った。自分は、あの日以来、目的も無いまま、流され続けている。そんな辛い思い出に蓋をするように、一度目を閉じた。  改めて、身体の中の魔力(マナ)を確認する。大丈夫そう。今夜一人分くらいなら治癒(ヒーリング)魔法を使えそうだ。 「お代金は頂きますよ?」 「幾らくらい?」  小声で標準的な金額を提示すると、トパーズの瞳の学者は「それくらいなら大丈夫」と頷いた。ホッとしたように。  メルティは酒場の上の宿屋に宿泊しているというので、店が終わってから自分がその部屋に行くとエリシアが言うと、彼は「分かった」と頷き、また、元のテーブルへと戻っていった。  ジョッキを片手に椅子を引くと、メルティは蛮族たちに笑顔で迎え入れられ、流暢なノルドの言葉で、そのテーブルの輪に入っていった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!