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1、恋のはじまり
好き、という感情はどこから生まれるんだろう?
友井南奈はカプチーノの小さなカップを持ったまま、嶋永霧都の背中を目で追う。
細身だが華奢ではなく、肩あたりのラインは男らしい。手足が長くてロングエプロンがよく似合う体型だ。
霧都を知ったのは今年の春。
入学したばかりの大学の近くに蔵を改造したカフェを見つけ、雰囲気に惹かれて入ってみた。
蔵カフェ琥珀という名がぴったりのレトロな店で、居心地の良い空間だった。
だが、壁にかかった風景写真を目にした瞬間、南奈は倒れてしまったのだ。
その時、助けてくれたのが霧都だった。騒がずそっとスタッフルームへ連れて行き、対処してくれた。
「ご迷惑かけてすいません」
南奈は恥ずかしさと申し訳なさで泣きながら謝った。
「いえ、何か気にさわるものがあったのなら、こちらこそ申し訳ないです」
「そんな……私が勝手に倒れたんですから」
思いがけない言葉に、そのひとを見上げた瞬間、なんて優しそうな顔立ちなんだろうと、南奈は息を飲んだ。心を撃ち抜かれたような感じがした。
「原因を教えてくれる?」
「……川の写真です」
南奈は小さい頃、川で死にかけたことがある。
学校行事のキャンプ中、岩を飛び移って遊んでいて、深みに落ちたのだ。溺れて流されたのを、近くの人が飛び込んで助けてくれた。息を吹き返したものの、ひどい肺炎で生死の境をさまよった。
7歳の時で細かい記憶はないが、不用意に川を見るとパニック発作を起こしてしまう。
「何ていう川?」
「羽鳥川」
口にしたとたん、目の前が揺らぎ、ありもしない水しぶきが上がって水底に引きずり込まれる錯覚に襲われる。息が苦しい。
「ごめん、嫌だったね」
霧都は心配そうに南奈の顔をのぞき込んだ。
「あれは実家で撮った写真で、まさしく羽鳥川なんだ」
「え、じゃあ……」
「F県S市出身。同郷かな?」
南奈がうなずくと霧都は目を細めた。
「すごい偶然だね」
「私は親の離婚で引越したので、S市にいたのは小さい頃なんです。父は今もS市にいますが」
それでも同県出身と聞けば親近感を覚える。
「僕は嶋永霧都。ここの雇われ店長やってます」
写真は外しておくね、と霧都は穏やかに微笑んだ。
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