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生まれてきたばかりの赤ん坊は、初めて目に飛び込んで来る景色をどう見るのだろう。泣き喚くのは、否応なく覗き込んで来る巨大な大人たちの顔に驚くからだろうか。
診療所のベッドの上で目が覚めた一は、まさにそんな気分だった。見覚えのない景色に、起き上がってきょろきょろと辺りを見回す。動き回って確かめたい気持ちもあったが、体が怠くてベッドから降りる気にもならなかった。それに何だか、頭もずきずきするような。
目の前の窓からは、朝日が煌々と射し込んでいた。その筋は自分に掛かっている真っ白いシーツに眩しく跳ね返り、一はその眩しさに顔を歪ませる。
「あ、起きた?」
その声に振り返ると、万吉が診察室へ入って来たところだった。
「具合どうだ?」
「……まだ少し、怠いっていうか」
そう呟く彼の顔は、まだほんのり赤らんでいた。万吉は机の上に常備してある体温計を一に差し出した。
黙って受け取り脇に挟んだ一を確認すると、万吉は傍の事務椅子に腰掛けた。
「少しずつでいいから、昨日の事話して欲しいんだ」
万吉はそう言って真剣な眼差しを彼に送るが、一は少し目を見開いたくらいで、相変わらずきょとんとしたままでいた。
「何でもお前一人で抱え込もうとするんじゃない。俺たちがいるのに。もう少し頼ってくれて良いんだよ」
「……はぁ」
その時、ぴぴぴっ、と体温計が鳴った。それを受け取り表示を見る。三十七度三分。平熱ではないようだ。いや、それより……
「……やっぱり」
思わず呟いたその言葉を、一が疑問を乗せて復唱する。万吉は少々気合を入れるつもりで、小さく深呼吸をした。
「お前……もう幽霊の身体じゃなくなってる」
もう昨夜から当然分かり切っている事だった。けれどこうしてまた見せつけられると、その度に気持ちが滅入ってしまう。
驚いているのか、一もぽかんと口を開けたまま言葉を返さなかった。
「一、お前一体何をされたんだ? 話してくれないか?」
尚も一は言葉を発さない。状況の整理が追い付いていないのだろう。けれどそれは、万吉も同じ事だった。つい早口になって、責めるような口調になってしまう。
「皆、お前の事心配してるんだよ。旭君なんかめそめそ泣きながら、一緒に探すって聞かなかったんだ。……なぁ、もしかして、オーナーが取引してたクライアントって、あの湯水とかいうインチキ博士だったんじゃないのか?」
我ながら核心をついた問いかけだと思った。ところが予想を遥かに下回って、一は尚も目ぼしい反応を示さない。
「旭君が前に言ってたんだ。お前そいつの前で大見え切って、実験するなら自分にしろって言ったらしいな? それを真に受けたんじゃないかって、旭君ずっと心配してるんだぞ。……こんな状況で、他に考えられる事もない。そうなんだろ?」
ところが、話を聞いているのかさえも分からないくらいに、一はぼんやりしていた。とうとう万吉も我慢ならなくなって、勢いよく事務椅子から立ち上がる。その時響いた音に、漸く一はびくっと身体を震わせ反応した。
「今からそいつの所へ行ってくる。解毒剤を貰って来るからな。お前が何を思って喋んねぇのか知らないけど――」
「あ……あのっ」
その時、初めて彼の声がした。少し、安堵した自分がいた。万吉の顔も少しだけ綻んで、ゆっくりと振り返る。
お前らしくない事をしたって無駄なんだ。だって俺はお前の親友。隠そうとしたって、何でも分かっちまうんだよ……。
「……先生」
ところが振り返った先の彼は、さっきまでと同じ、ぼんやりしているような、それでいて何処か不安そうな、いつもの彼が絶対に見せない表情をしている。
そして次に放たれる一の言葉は、万吉の胸を貫いてその脳天まで届き、彼の思考を一瞬にして消滅させた。
――僕の名前は、はじめって言うんですか?
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