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「……そうですか」
一がどう答えようと悟のしようとする事は一つ。銃口を向けたまま、その引き金に書ける指に力を込めた。
「じゃあ少し痛いと思いますが、堪忍してくださいね」
そんな冷たい言葉を飛ばしても、一は自信ありげに微笑むばかりだ。悟は段々とその表情に苛立ちを覚えた。その指が力強く引き金を引こうとした、その時――
「うわっ!?」
突然飛び掛かって来た影に驚き、尻餅をついてしまう。慌てて拳銃を向けようとしたが、その手に拳銃は握られていなかった。しまった、と振り返った少し先に、それは転がっていた。
ところが取りに行こうと動かしかけたその胸に、またも何かが乗り掛かって阻まれてしまった。
「わんわんっ!」
乗っていたのは、ポアロだった。悟と遊んで欲しいのか身体を捩らせている。鬱陶しく思われるのは当然であった。
「どけっ!」
そう怒鳴られると、ポアロも驚いたのか、びくっと小さく身体を震わせた。しかし尚もそこから動こうとはしない。悟は乱暴にポアロを弾き飛ばして、拳銃の方へ這って行った。
拳銃に手を伸ばし、それがあと少しで届くという所で――反対側から伸びた手が、それを摘み上げた。
「これ、あんたにも効くんだよな?」
見上げると、真っ暗な闇を抱えた銃口が真っ直ぐ自分の方を向いていた。その向こうで勝ち誇ったように微笑んでいるのは、鏡の万吉であった。
「……僕の遊園地で好き勝手にはさせない」
自分を見下ろす鏡の万吉を、悟は鋭く睨みつけて呟いた。
此方には万吉という人質がおり、この建物を支配しているのは自分なのだ。拳銃を奪った程度で自信ありげにされても痛くも痒くもない。
ところがその時、どしっと身体を押さえ込まれた。さっきの野良犬とは訳が違う、大人一人分のような……。しかし一たちの方を振り返っても、そこには鏡の万吉以外の全ての姿が確認出来る。という事は、今自分の上にいるのは……。
その時、頭上からぱらぱらと何かが落ちてきた。
「よぉ、次はお前が砂糖漬けになる番だ! 覚悟するんだな!」
にやりと笑って悟の身体を押さえつけているのは、まだ身体のあちこちに砂糖を残したままの、本物の万吉だった。
目を丸くして声も出せないでいると、背中の上の万吉は嬉しそうに微笑む。当然なのだが、目の前で銃口を向ける鏡の万吉と同じ笑顔があまりにも不吉に感じられてならない。
「どうしてって顔してるな? 答えは簡単だ。あんた全然周りが見えてない。よく見れば隙だらけだったんだ」
するとそう言った鏡の万吉の傍に、ポアロがちょこちょこと駆けて来た。その姿を見て、また悟は茫然とする。
ポアロの口には、自分が胸ポケットに差していた筈のあの花が咥えられていたのだ。
「思い込んでいたからさ。自分は絶対失敗しない、必ず自分の思い通りになるってな」
その言葉を聞いた時初めて、自分の周りの景色が、急に色づき始めたような、そんな気がした。
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