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目が覚めたのは、乱暴に戸を叩く音でだった。寝ぼけ眼を擦りながら診察室を出ると、カウンターの向こうの玄関に、自動ドアを叩く男の姿があった。
一体何事かと、万吉は小走りで自動ドアへ駆け寄った。自動ドアと言っても、これは壊れているらしく、隙間に指をねじ込んで開けなくてはならなかった。
「ど、どうしました……?」
男は鋭い目で、万吉をじろじろ見つめた。男の表情は正直言って怖く、まるでやくざのようだ。人を二人くらい殺ってそう……口には出さないが怯える様子は顔に出てしまった。
「診療所が出来たって聞いたんでな。おめぇが医者か?」
「へっ、は、はぁ、そうです……」
息がおかしな所に入って、上手く返事が出来なかった。男は、ふぅん、と口を鳴らすと、こんな事を言った。
「じゃ、俺を診察してくれねぇか」
「……えぇっ!?」
男は、川辺 元則と言った。この町で長年大工をしているのだという。
「俺も年だろうが、どうも最近腰が痛くて敵わねぇ。何とかならねぇか、これじゃ仕事にならない」
顔の割に、頼んでくる事は単純なものだった。万吉の専門は内科だが、取り敢えず応急処置だけ施す事にした。
「と……取り敢えず、鎮痛剤を出しておきますね……。飲む量は袋に書いておきますので、きちんと守ってください。あとは、湿布を……」
万吉は視線を逸らしたまま説明を続け、薬や湿布を元則に渡した。元則は一切目を合わせない万吉を不審がっていた様子だったが、渡されたものを受け取ると、そのまま帰って行った。
彼が出て行くのを確認して、万吉は漸く、伏せていた顔を上げた。
「……はぁ」
一度様子を見てみて、と万吉は言ったものの、残念ながら元則の腰は良くならないだろう。だって彼の腰には、落ち武者が恨めしそうに抱きついているのだから。
万吉にはどうしても慣れない事があった。それは、診察中に患者に取り憑いている幽霊の類が見えてしまう事である。しかし彼も医者ではあれど霊媒師ではないから、下手に攻撃しては自分に危害が及ぶ。いつもそうして見て見ぬしている事が、愛想がないと言われる一番の原因だった。
その時、彼のポケットの中で何かが震えた。一瞬驚いてびくっと跳ね上がったが、携帯だという事に気付いて取り出した。画面を見ると、相手は仁だった。
「……もしもし?」
「あっ、先生。おはようございます。よく眠れました?」
「はぁ……まぁ」
「そうですか。朝ご飯、何か食べられました?」
「いえ、まだ……」
「でしたら、ウチへいらしてください。大したものはありませんが、良かったら」
昨晩乱暴に断ってしまったのに、仁はちっとも気にしていない様子だった。万吉は少し気にしてはいたから、今回はお言葉に甘える事にした。
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