記憶にて記録を継ぐ

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記憶にて記録を継ぐ

 記憶にて、記録をつけようと思う。私の中にある、歴史の残滓を記録として残したいのだ。そうして私は『先生』の姿を借りて、山田農業事務所跡の硝子戸側に今日も陣取る。小作人たちが(今ではこの黒田原の地を立派に守っている住民たちの先祖が)先生に寄贈した文机に向かい、原稿用紙を広げる。  硝子ペンにインクを浸せば、月光が原稿用紙を照らして書くべき事柄を閃かせてくれるのだ。思い出すのは自分が筆を執るこの建物の記憶。私自身の記憶だ。  それを記録としてとどめようと思う。私が朽ちてしまう前に、私がなくなってしまう前に。  私の中に生きる黒田原の人々の軌道を、私は記録として残したい。  私は、山田農場事務所跡とも呼ばれている、朽ちる寸前の建物だ。  私はこの地一帯が黒田原農場と呼ばれていた頃に建てられた。私を構成していた二棟あった宿舎の内一棟は、老朽化のため既に朽ちている。  残るは、客間として増築された比較的新しい部分と、朽ちなかったかつての宿舎の跡地のみ。残された宿舎部分も立ち入ることはできなくて、客間ですら縁側から入って床を踏めば、ぎしぎしと不穏な音をたてるのだ。建物自体が小さくゆれることすらある。  私は、確実に朽ちようとしている。その前に、遺したいことがある。  ここにいた人々の営みを、ここにいた人々の生活を、作家のように書き残すことは建造物の私に許されることであるかどうかわからないが。  私は、私の記憶を記録として残したい。  先生がそれを望んだから。  この黒田原の地と山田家がどのようにかかわりを持ち、どのような歴史を刻み、どのような道筋を歩んできたのか。私の最後の主人がそれを記録に残すことを望んだから、私は机に向かっている。  その『歴史』を記す前に、先生は亡くなってしまった。私の最後の主人であり、戦後の農地解放に至ってはことごとく小作人たちにその地を分け与えた先生。  先生と慕われ、この地を誰よりも愛した山田家の人間。その人がこの地に至る理由を、それまでの軌道を、私は私の記憶をもとに『記録』として残したい。  それが、これから朽であろう私にできる、最後の仕事だからだ。  さあ、今宵も私の記憶を、記録として残そう。                ※  朽ちかけようとしている廃屋の客間に人影がある。ぼうっと浮かび上がるその姿を見て、福子は思わず庭の桜の木の後ろに身を潜めていた。  鍵がかかっているはずの廃屋に、人がいるとはどういうことなのだろうか。  古すぎて、戸を揺らせば鍵がとれるようにでもなってしまったのだろうか。それとも、これは白昼夢なのだろうか。眼の前にいる青年は、あまりにも生前の夫に生き写しだった。それも、若かりし頃の夫にだ。  ほっそりとした体に甚平を羽織って、細面の顔には瓶底を想わせる厚い眼鏡をかけた青年は、廃屋にしまってあった硝子ペンを手に何やら熱心に書き物をしている。  その硝子ペンも夫が大切にしていたものだ。そのペンが、まるで蛍の明かりのようにぼうっと光るものだから、福子はじっとその光を見つめていた。  その光に照らされて、彼が文字を書きつけている紙が浮かび上がる。それは廃屋にしまってあった古い原稿用紙だ。夫が買ってきた原稿用紙の束。その原稿に、夫は必死になって何かを書きつけていた。そして、原稿を完成させることなく、夫は亡き人となってしまった。  福子がその人影に気がついたのはいつからだろうか。朽ちかけた山田農場事務所跡の客間の中に、その青年の姿を幾度となく見た。それが亡き夫――山田顕貞の若かりし頃の姿――に似ているのは気のせいだろうか。  山田家は日本のナポレオンと称された山田顕義の流れをくむ家柄だ。その山田家の流れを継ぎ、福子の夫はこの黒田原の地を守り、先生として地元の人々には親しまれてきた。そんな若かりし頃の夫が、今は使われていない母屋の客間で、文机に向って何かを書いている。  蛍の明かりのように光る硝子ペンは、光り輝く流麗な文字を原稿用紙へと落とし込んでいくのだ。  それまるで、夢のように幻想的な光景だった。  彼が何を書いているのか福子には分からない。そうして、それが夫の形をした夫でない何かであることも福子には見当がついた。  あの人だったら、絶対に生前の姿のまま姿を現すはずだ。わざわざ若い頃の自分になる必要がない。  声をかけようといつも思って、躊躇う。彼の顔に浮かぶ焦燥がそれを押しとどめるのだ。近く、この建物は老朽化のため取り壊すことが決まっている。彼がここで書き物をできるのも、あとほんの少しの期間のみだ。  福子はそれを知っているから声をかけない。ただ、夜な夜な桜の木の後ろに隠れては、彼の執筆作業を見つめるのが福子の日課となっていた。  彼は夫でない。けれど、懸命に机に向かうその姿は、在りし日の夫を彷彿とさせる。戦時中にこの地に疎開してきた福子は、夜な夜な文机に向かっては難しい顔をしながら書き物をする夫を見守ったものだ。  彼が、何を書いていたのか知る由もなかったが。そうして、夫の姿をした彼が、何を書いているのかも福子には分からない。何を書いているのか、知りたいとは思うけれど、今はそのときではない。  そっと待とう思う。彼が、筆を置くまでそっと。  福子は天を仰ぐ。青々と茂った桜の葉が目に飛び込んできて、福子は思わず微笑んでいた。  彼にちょっとした贈り物をしよう。そう、思いついたからである。                   ※    竜胆が文机を飾っていた。竹筒に入れられたそれは、月光に蒼く輝いて私を魅了する。ご婦人が先生を偲んで活けたものだろうか。先生の妻であるその人は、美生流という華道の師範代であるという。その流派も本家が廃れ、今では朽ちていく私のようにひっそりとしたものだという。  この黒田原の地も、最盛期に比べるとずいぶんと人が減った。みな、農業をやめて都会に勤めに出ているそうだ。かつてはこの辺りの大通りであった音羽町通りも、今では往来の面影すらない。  この音羽通りの由来が、また面白い。私の第一の主人である山田顕義は東京の小石川区音羽町に邸宅を構えており、そこには明治天皇と皇后陛下がご来臨されたこともある場所だという。今では出版社として有名な講談社があるその場所が、私の第一の主人が住んでいたところであった。  山田家がこの黒田原の地を天皇より賜ったのは遠い昔、明治二十四年の頃となる。若かりし頃は吉田松陰に学び、幕末の動乱にて様々な武勲を建てた顕義は、岩倉使節団とともに海外へと視察に出かけ、そこでナポレオン・ボナポルトを知った。  ナポレオンは十七世紀に生きた人だ。では、何が彼を動かしたのか。武将たるナポレオンが同時に優れた治世者でもあり、ヨーロッパ各地に影響を与えたナポレオン法典を作ったことに感銘を受けたのだ。  帰国した彼は、徴兵制を推し進めようとする政府要人に徴兵制の延期を申し出る。兵は凶器なり。そう顕義は言ってみなを説得した。  すなわち、軍は国を守る道具に過ぎず、すべてを優先して取り掛かるべき事柄ではない。国の礎たる法の整備こそ最優先すべき事項であるとみなを説得したのである。  これが、彼が日本のナポレオンと言われる由来だ。その後も、彼は法に携わる人間を育成すべく日本大学を設立。少し遅れて、日本の神官を育成する國學院大學も設立する。  フランスに倣った彼の法律の草案が日の目を見ることはなかったが、彼が日本の司法に与えた影響はとてつもなく大きいといえるだろう。  そんな人物が私の第一の主人である。そのころ、この黒田原の地はすすきで覆われた原野だった。その原野が明治の初めに有名な華族たちにより次々と開拓されていったのだ。  私は事務所兼、開拓民の宿舎として建てられ、多くの開拓民をその身に受け入れた。今でも褌一丁で、私の側に沸いていた井戸から水を汲んでは仕事の後に水浴びを愉しんでいた男衆たちの姿を思い出すことが出来る。  逃げ出した馬が私の側までやってきて、水浴びを楽しんでいた男衆たちを追い回したこともある。   たまたまその様子を視察にやって来た主人が見て、苦笑を漏らしていたのが懐かしい。彼は多忙な人で、私の中で休むこともめったになかった。  ただ一つ、帝都から持ってきた茶釜で茶を沸かし、私の中で飲むことが何よりの楽しみだったようだ。彼の側には、いつも那須野原の草花が活けられていた。 「この美しい草木が、人々を豊かにする農作物になると思うと心躍らないか?」  そう、彼が私に語りかけてくれたことがある。何を思ったのか、彼は教育の大切さや、この地の開発によって人々と国がより豊かになる未来について私に滾々と語ってくれた。  松陰に学んだ若かりし頃。戦乱に明け暮れた成人期、そして、夢破れたフランス流の法の施行。ときに涙しながら、ときに笑いながら、彼は人でない私に何時間も自分の人生を語ってくれた。  たぶん、彼には自分の行く末が見えていたのだ。  私が、彼とじっくり向き合えたのはこのときだけ。多忙な主人はめったに那須の地に寄りつかず、四十九歳という若さでこの世を旅立った。この地を拝領して一年後の、明治二十五年のことだ。兵庫県にある生野鉱山を視察中に帰らぬ人となったという。  その数年前に現代の日本大学と國學院大學を創立している活動力といい、私の第一の主は歴史に深々と名を遺す大義の人であった。彼が私の主人であったのは、ほんの一年だけ。それでも、この地を開墾する人々に優しく声をかけていた彼の姿は私の心から離れることはない。彼と共に、私には忘れられない人がもう一人いる。  彼の弟の繁栄だ。彼は、私の第二の主人といっていいだろう。  この黒田原の地を顕義と共に開拓していた弟の繁栄の方が、この地の人々と結びつきが強かったかもしれない。  彼は、灰土地帯であるこの地を、私財を投じて開墾した。もしかしたら、私を建てた金も彼の財産から出たものかもしれないが、それを調べる術はない。  ただ一つわかるのは、この地が本格的に開墾されるよりも前に、彼も兄の後を追うように逝ってしまったことである。  その後、この地と私は顕義の子である久雄が継ぐが、彼はこの地を踏むことなく亡くなってしまう。  ここまで書いて、ふと泣きそうになっている自分に気がつく。先生の姿を借りた私の眼から、はらはらと涙が落ちては原稿用紙を濡らしていくのだ。  何十年たっても、何百年たってもきっとこの悲しみは癒えない。私は廃屋となっても存在するのに、主人たちはもうとっくの昔に亡くなっている。  この竜胆の花咲く那須の地を楽しむ余裕もなく、那須駒を育てながら不毛な大地を開墾してきた人々とふれあう余裕もなく、彼らは時代の荒波に飲まれてその生涯を静かに閉じていった。  彼らの足跡を追えるものはどのくらいいるのだろうか。  たぶんそれは、私ぐらいだ。                                  ※    どうしてか、彼は泣いていた。光り輝く文字に照らされながら、その涙が虹色の宝石のように輝いて原稿用紙に落ちていく。福子はその様子を見て、大きく眼を見開いていた。彼が泣く姿を見たことがなかったからだ。  顔をあげ、彼は文机に飾られた竜胆をまじまじと見つめる。そうして薄紫の花びらにふれて、彼は眼鏡を退けて片腕でぐっと涙を拭ってみせた。  何が悲しいのだろうか。夫の若かりし頃の姿を借りたその人は、何を悲しんで涙を拭っているのだろうか。   思い悩んで、福子は閃く。  もしかしたら、彼の執筆を勇気づけるために飾った竜胆が悪かったのかもしれない。それが、彼に思い出したくない嫌な気持ちを呼び起こしてしまったのかもしれない。  書き物をしていた夫にも似たようなことがあった。毎夜、懸命に原稿用紙に向かう夫を見て、福子は慰めになればいいと夫の文机に竜胆を飾ったことがあったのだ。  みなが寝静まったころに夫はいつも書き物をする。その夫が花を見てどんな反応をするのか、福子は見てみたかったのだ。  狸寝入りを決め込んで、布団を被った夜。福子は、こっそりと文机に向かった夫を見つめた。  その竜胆の花を見て、夫はほろほろと涙を流していたのだ。                 ※  記憶を遡ることは、悲しみを遡ることと同義だ。  だから彼がこの地にやって来たとき、私にとって第三の主人と呼べる彼がやって来たとき、私はどれだけ嬉しかっただろうか。それを書き表すことは到底出来そうもない。書き物をしている建造物が、変なことを言う。  彼の名は英夫といった。顕義の娘、梅子の夫だ。婿養子たる彼の出身は驚くことなかれ、長州の萩で育った顕義とは敵対関係にあった、会津である。そこの藩主の家から彼は婿養子として山田家に迎え入れられたのだ。  その経歴から、彼は殿様と呼ばれ地元の人々に親しまれた。黒田原の地が山田家によって本格的に開墾されるのも、この頃だ。  私の中では、開墾を手伝いにやって来る若者たちが寝泊まりするようになる。『殿様』の評判が彼らを黒田原の地にひきつけたのだ。  私の第三の主人は、その出自から殿様と黒田原の人々に呼ばれ親しまれた。彼の人柄が、自然と周りをそうさせたのだろう。  日露戦争に従事した軍人でありながら、その人柄は温厚そのもの。  彼については、こんなことも覚えている。  帝都からやって来た彼が、酒を飲みながら私の中で小さな酒宴を開いていたときだ。妻の梅子夫人が彼の酌を預かり、彼は上機嫌で開発の進む上ノ原方面について語っていた。  そこに、病気の家族を抱える小作人の男が訪ねてきた。汚い身なりの男は、外で土下座をしたかと思うといきなり泣き出したのだ。 「母の看病もままならず、このままでは家族全員が飢え死にしてしまいます。どうかご慈悲を賜りたい」  そう言った彼に殿様は優しく語りかけ、同じ席で酒を啜るよう彼に勧めた。戦々恐々とする彼を宥め、殿様は彼の話を少しずつ聴いていったのだ。  働き手である家族が病気がちで、畑や田んぼの世話もままならないこと。作物の育ちが悪く、決められた小作料を支払えないこと。病気を診るための金が必要で、借金で頭が回らないこと。  貧しさゆえに来る窮状を、酒を飲みながら彼はぽつり、ぽつりと語っていった。そんな彼にようわかったと殿様は優しく微笑み、一年間の小作料を免除してしまったのだ。  その後、彼の息子の一人が殿様のつくった農耕馬の放牧場で働き始めるが、これも殿様の采配あってのものだったのだろう。  本当に、あの時代にあって黒原田の土地を治める山田家の殿様は、そこに住む人々のことを考え行動する立派な地主だったといえる。  多忙だった他の主と違い、殿様はよくこの地にやって来た。今では黒田原駅になっている那須駒のセリ場に行っては、馬たちの成長具合を視察したり、整地されて田んぼになった畔に咲く竜胆をとっては、随伴してきた梅子夫人に贈ったり。  彼は本当に、この黒田原の地の殿様だった。ふんぞりがえっているお偉いさんではない、本当の民草を守るための殿様。その噂を聞きつけて、この地に越してくる小作人もあったように思える。  彼の時代、黒田原の小作料は平均反当たり一俵を原則とし、他の農場より格安であったらしい。英夫は『トノサマは仁政を施すべし』との経営哲学のもとに、農地を運営していたらしいのだ。  彼の生涯は七十年余り。そのあいだにこの黒田原の地も随分と変わった。ぼうぼうとすすきばかりが生えていた地は、緑の生い茂る那須駒の放牧場と、青々とした稲の生い茂る田畑へ姿を変えていたのだ。  人々の住む町では山田家に感謝をささげる祖霊祭が、いまでもひっそりと執り行われている。そんな山田家の人々が黒田原に移り住んだのには訳がある。  時代の大きなうねりが、戦争という名の暴力が彼らを襲ったのだ。                                    ※  住み慣れた帝都を離れ、この山田農場事務所跡を見たとき、福子は心の底から驚いた。明治から建つというその家は、文字通り『お化け屋敷』だったからだ。  住み慣れた美しい邸宅とかけ離れたその家屋を見て、子供たちも同じことを思ったらしい。特に娘の南千子は泣きじゃくりながらこんなお化け屋敷は嫌だと、家に入ることすら拒んだ。それでもこの家に入った瞬間、福子は不思議な安らぎを覚えたのだ。まるで、温かな火鉢をぎゅっと抱いているような、そんな優しい空気がこの建物の中には流れていた。  福子を慰めたのは、それだけではない。  春になると咲く見事な庭の桜。青々と茂る緑豊かな稲穂。夜空を彩る蛍。秋を知らせる原野のすすき。  黒田原の地には、帝都にはない自然の息吹があった。その息吹に感化されたのか、子供たちもお化け屋敷と言っていた家を嫌がることもなくなり、のびのびと日々を過ごすようになったのだ。  ただ、自分たちを取り巻く穏やかな空気は、そこだけのものであることを福子はよく知っていた。連戦連勝を歌うラジオと新聞の報道を裏切るように、帝都をはじめとする日本の町は焼かれていき、配給制となった日々の物資は貧しくなっていった。  地主であった自分たちはまだましな方だったかもしれない。那須野が原に疎開に来る都会の子供たちは見るも哀れにやせ細っていた。  そうして福子は思った。この地に来てよかったと。この地を選んでくれた夫について来てよかったと。  その夫は、いつも暗い顔をしていた。思いつめたように泣き出しそうなこともあった。  先生と呼ばれ、この地の人々に親しまれていた彼は、どんな悲しみを抱えていたのだろうか。夫亡き今、福子にそれを知るすべはない。  だから、福子は思う。  夜な夜な、夫の姿をして書き物をしてる青年は、何かを知ってるのではないかと。夫の浮かない顔の理由を、夫が竜胆を見て涙を流した理由を、彼は知っているはずなのだ。                 ※  私の最後の主人について話をしよう。東京から、この黒田原へ家族と共に疎開してきた『先生』について。  先生の名は顕貞という。殿様と慕われた英夫の長男で、この地にやって来た最後の山田家の人間だ。そうして、東京からこの地に安住の地を求めた人でもある。  戦争という名の災禍が彼を家族と共にこの地に招いたのだ。先生は文字通り先生でもあった。山田顕義の創立した日本大学の教授でもあり、この黒田原にある黒磯高校の先生でもあったかからだ。  彼は、黒磯高校でラグビー部の顧問もしており、その功績を讃えられて表彰もされている。私の中に、そのときのラグビーボールとトロフィーが仕舞われているのだ。  先生が、先生と言われた所以はこれだけではない。戦後の農地解放に伴い、先生は苦労して開拓したこの黒田原の地を他者にゆだねなければならない仕事も担っていた。  けれど、彼は嫌な顔一つせず、先祖代々の土地を人々に明け渡したのだ。今ある黒田原駅も、彼が勤めていた黒磯高校の土地も、元をたどれば山田家のものだったらしい。けれど、その割譲した土地の数は膨大で、正確な面積は分かっていない。  彼は温厚で優しい人でもあったが、よく泣く人でもあった。私が向かっているこの原稿用紙を小作人たちから貰った文机に広げては、ほろほろと涙を流していたのだ。  それは、晩年のことであったけれど。私はつい最近のことのように思い出すことができる。  山田家の人々を潤していた庭の井戸も枯れ、セリ場を持つ牧場もなくなり、日本の復興と共に若者たちはこの黒原田の地を離れていった。   そんな世の移り変わりの無常に、彼は涙を流していたのかもしれない。  ふと私は、視線を感じる。誰だろう。庭の桜の木の後ろから、私を見ている人がいる。  そっと私は硝子ペンを置いて、その人を硝子越しに見つめる。ぼんやりとした月明りの下に、たしかにその人はいた。  先生の大切な伴侶である福子さんが。                    ※  ほろほろとそのひとは泣いていた。あの日、竜胆を見つめて涙を流していた夫のように。若かりし日の夫の姿をしたその人は、私を見て涙を流すのだ。 「やめてください。私が悪者みたいじゃないですか」  そう言って苦笑すると、その人は眼鏡を退けて、そっと涙を拭ってくれた。 それを見はからって、私は山田事務所跡の硝子戸をあける。ぎょっと驚くその人が文机の向こう側にいて、なんだかおかしくなってしまった。靴を脱いで縁側にあがると、その人は居住まいを正し、私を見あげてくる。 「ずっと、気がついていたんですね」 「ええ、あなたが誰かは分かりませんけれど、ずっとずっと見ていました。あなたが、書き物をなさっている姿をずっと」  びっくりした様子でその人は大きく眼を見開いて、眼鏡をかける。恥ずかしそうに顔を逸らして、その人は黙り込んだ。 「何も言ってはくれないんですね」   そっと彼と眼線を合わせようとしゃがみ込んでも、彼は顔を逸らしたままだ。 「私が、お嫌いなんですね」  そう言うと、彼は大きく眼を見開いて、私を見つめてきた。綺麗な眼だった。月光に照らされて銀色に光り輝く、純粋な人の眼だった。彼が悪いモノでないことは分かっていたけれど、その眼を見て心の底からほっとした。  彼は、ここをずっと守ってきてくれたカミサマなのかもしれないし、本当に夫の霊なのかもしれない。  彼が何者か分からないけれど、私は彼に問いかけた。 「私の夫も、死ぬ間際まで何かを書こうと必死になって原稿用紙に向かっていました。それが何なのか分からずに、ずっと私は生きてきました。あの人ね、私が活けた竜胆の花を見ると泣くんです。何も言わずに涙を流すんです。その訳が知りたくて、あなたに話しかけたのかもしれません」  彼の眼が大きく見開かれる。牛乳瓶の底のように厚い眼鏡をそっと両手でかけなおして、彼はまた私を見つめてきた。彼の唇が震える。まるで、何かを恐がっているように。彼が消えてしまわないか心配になって、私は彼に話しかける。 「お願い。教えて。夫はなにを残そうとしていたの? あなたはなにを残そうとしているの? 私は、それが知りたい。だから、ね、消えないで。お願い。それを、私はあなたに教えてほしいの」 「記憶を……」  小さく彼が呟く。その声に、私は耳を傾けていた。月光に眼を光らせながら、彼はそっと言葉を紡ぐ。 「私の中の長い記憶を、記録にしています。ここでなにがあったのか忘れないよう。私が私であったことが分かるよう、私は私の中の記憶を、記録しているのです」  思いがけない言葉だった。どうして、夫の姿をしているのか、彼が何を思い、何を記録に残そうとしているのか、訪ねたいことが山ほどある。けれど、じっと私は彼の言葉を待った。そうしなければ、眼の前の彼は永遠に答えをくれないと思ったからだ。 「ずっと私はこの地にあった。ずっと私はこの地の人々を見つめてきた。あなたのこともずっと見ていました。若い頃はお美しかった。私の中を美しい黒田原の野草で満たしてくれたこともありましたね。それが、嬉しくて、私はずっとあなたを見ていた。今でもあなたは、あの頃のままだ。あなただけが変わらない……。だから私は、若い頃の先生の姿をしているのかもしれません。あなたに焦がれていたから……」 「私だけが、変わらない……」  彼の言葉に私はそっと目を伏せ、首を左右に振っていた。  彼が何者か分かった気がする。どうして彼が泣くのか、分かった気がする。彼はずっと、朽ちようとしているこの瞬間もずっと、私たちのことを見守ってくれていたのだ。 「私も随分と変わってしまいました。もうあとは、夫のもとに行く日を数えるのみです。あなたといられる日々も、もう長くない」  私の言葉に彼の顔が曇る。そんな彼に私はそっと微笑んでいた。 「だから、あなたを記録として残しましょう。いつまでもいつまでも。あなたは今にも崩れそうだけれど、私よりは長生きできるはずです。私よりずっと後の人に、あなたの中の記憶を、記録として届けることができるはずです」 「私が、記録になる……」  思ってもいない私の言葉に、彼は大きく眼を見開いていた。そっと彼は文机から距離をとって、私に頭をさげる。 「お願いします。どこまで持つかわかりませんが、私の中の記録を、人々に伝えてください。私が生きた証を、私のすべてを」  そう言って頭をあげた彼の顔は、本当にさっぱりとしたものだった。そういえば、涙を流した後の夫の顔もどこか清々しかった気がする。  夫は自分の生きた日々を思い、涙を流していたのかもしれない。目の前の彼のように。  まるで月明りに溶け込むように、彼の体は次第に透けていく。そうして完全に彼の姿が見えなくなった頃、桜の花びらが一つ、そこに落ちているのを私は見た。  後方を仰ぐ。  いつの間に咲いたやら、庭の桜が花開いて、月光に白く光り輝いているではないか。  まるで、彼の行く末を祝福するように。  私は微笑んで、山田事務所跡から出ていた。疎開した当時は我が家としても使っていた思い出深い建物から。  そうして私は考えを巡らせる。  どのように彼を残せばいいのかを。彼の中にある記憶を、どうやって記録として人々に伝えればいいのかを。  彼が書いていた文章にヒントがあるかもしれないし、彼の中に閉まってある夫の遺品の中から思いがけないアイディアを得るかもしれない。  やることは、山のようにある。歳をとってから、こんな生きがいができるとは思いもしなかった。  私は笑みを深め、桜を見あげる。見事に咲く夜桜は、私と彼の行く末を祝福しているようだった。                  ※    そうして廃屋だった私は、資料館として生まれ変わる。  私の新たな名前は山田資料館。  黒原田の地に貢献した、山田家の人々の記録を残す資料館として、平成二年に私は資料館として生まれ変わった。  今ではそんな私の記録を見学に、日本中から人々がやって来る。  そんな人々の姿を、私は夜な夜な記録する。彼らが何を思い、何を考えているのかを後世に残したいから。  福子さんがいなくなった今でも、私はあの文机に向かって原稿用紙のマス目を埋めているのだ。  私の中のかけがえのない記憶を、記録とするために。彼女のことを後世の人々が忘れないために。  私は記憶を、記録にする。
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