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「どうでした?」
その後も彼女達は休みなくみっちり踊り、細かい動作をチェックし、更にそこから発声練習をしてレッスンは終了した。
くたくたになった彼女達が更衣室を使う間、また簡易の応接間に案内され門田と向かい合わせに座ったけいこは、感想を急かす彼の問いに苦笑いする。
「思った以上に本格的でしたね」
率直な感想だった。
十五時過ぎから約四時間。時計の針は今十九時過ぎを指している。
その間休憩はほんの僅かで、何度かさきえが座り込んだりもしたが基本的に彼女達は絶え間なく動き回っていたし、門田も忙しなく事務所とスタジオを行ったり来たりしていた。
「でしょう? 今日は彼女達だけのレッスンだったんですが、週に一回はダンスや歌唱の先生をお招きして練習しています」
また門田は嬉しそうに、そして自信ありげに説明する。
「出来たらあなたにも早めにレッスンに参加して頂きたいと思っています」
ところが、いきなり話の主軸が自分に向けられ、けいこは動揺した。
「えっと……」
「決してお遊びではありません。私はこのプロジェクトに人生を掛けてると言っても過言ではありません」
言い淀むけいこに門田は容赦なく追い打ちをかける。
「プロジェクトである以上仕事です。お金が動きます。綺麗事は言ってられません。大人の事情を孕みます。ですが私は仕事に人生の第二の青春を、誰かの希望を、あえての綺麗事を乗せてやり通したい」
恥ずかしげもなく力説した門田の目は、踊っていた時の三人と同じ目をしていた。
結局、全て濁して何も答えられないまま事務所を後にしたけいこは、雑居ビルを見上げて色味のない今の生活を思い返した。
半年前に有無を言わさずそれなりの慰謝料が振り込まれ、離婚へ応じざるを得なかった。
行かないでと泣く義理の娘に
「またいつか会えるよ」
と、きっともう会えない事を何となく感じながら、誤魔化した。
元々何も無かったけいこから母と妻の役割が突然取り上げられて、生活には暫く困らないが何もする気が起きず、けれども何もしない事への焦りが募ってとりあえず何でもいいからとパートをはじめた。
けいこはただ生きているだけだった。
「あー。今日もつっかれたー」
一体どれくらいぼんやりしていたのだろうか。
雑居ビルのエレベーターが開き、さっきよく聞いた声がけいこの耳に入った。
「あ! 門田に文句言うの忘れてた!」
「文句ですか。次回練習の時ミーティング時間取りましょう」
「あれ? 見学来てた人! お疲れ様です!」
けいこが慌ててその場を離れようとするよりも早く、不覚にもユミに見つかり声をかけられてしまう。
「お、お疲れ様でした……」
しまった。と言わんばかりの顔を取り繕う暇もなく仕方なしに返事すると、ユミはそれに気づきもしない様に、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「えっと、いつから練習参加なさるんですか?」
「えっ? えーと……」
無邪気に質問するユミに、けいこは思わず言葉を詰まらせる。
門田には後日返答するとだけ伝えた所だ。
「ちょっとユミさん。困ってらっしゃるでしょ」
遅れて傍に寄ってきたさきえに窘められて、ユミは不服そうにわざとらしく口を尖らせた。
「気になさらないで下さい。門田からは参加について保留していると聞いています」
そう言われてひとまずけいこは安堵したが、まっすぐとけいこの目を見て、続けてさきえは言葉を付け足した。
「ですが、デビューの日も既にアタリを付けている状況です。参加なさらないのであれば早めに降りて下さい。中途半端にされると私たちの練習にも響きます」
「え」
理路整然と放たれたさきえの言葉に、けいこは頭をガツンと殴られたような感覚に陥る。
少し離れた所で会話に入る気はさらさら無いとばかりの態度で話を聞いていたアケミが、目を見開いて固まった。
「ちょ、ちょっとさきえ? あんたいきなり何言ってんのよ」
「当然の事を言ったまでですが」
アケミに振り返りそう言ったさきえには本当に悪気など全く無かったらしい。
「いやそうだけど。そうなんだけど、もっと言い方ってもんがさ……えっと、ごめんね? この人、なんて言うか正論しか言えないって言うか……」
出会い頭にけいこを冴えないと言い放った事を棚に上げ、アケミは下手くそなフォローを付け加えたがけいこの頭には入って来なかった。
(そうよね。私が入ったって着いていけるか分からないし……それなら早めに断った方がいいわよね)
肩にかけた鞄を握りしめけいこは俯く。
(パートもあるし……私にとってパートってそんな大事だっけ……?)
「ほら、ねぇ。彼女凹んじゃってんじゃないの? 気にしないでね?」
空気に耐えかねて、アケミは矢継ぎ早にけいこに声をかけ続ける。
(今の生活を続けるのに、何も不満も無いし……何もしたい事も……したい事って何?)
「とりあえず今日は帰りましょっか」
場の空気をわざと読んでか読まずか、ユミが帰りを促す。
(そっちから呼び出しておいて、この人たちも勝手なことばっかり言うし……)
「あなたの事は何も存じ上げませんが、大事なものがあるなら、今の生活に支障をきたすなら、降りる事をお勧めします」
捨て台詞のようにさきえがとどめをさした。
(そうね。たしかに私には何も無いわよ。何も知らないでしょうね。そうよ。全部無くなったのよ。どうせ!何もないわよ!そんな私なんかが……アイドル!? どんな冗談よ!)
「あ、あの! 私っ! やりますんで!」
アケミ、さきえ、ユミがけいこを見つめて黙り込んだ。
けいこ自身も、自分の放った言葉が理解出来ずについ口を抑える。
「本当ですか! やった!」
そしてその言葉はよりによって、丁度事務所の戸締りを終えてビルから出てきた門田にもしっかり聞かれてしまった。
自分の言葉に唖然としながら、義理の娘を思い出して無意識にけいこは乾いた笑いを漏らす。
「またいつか会えるよ」
だってお義母さん、アイドルになるから!
ってか?
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