【休載】ババア×アイドル-ババイドル-

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 十四時半。  門田から指定された六階建ての雑居ビルは高度成長期から取り残された様な外観で、外壁に多数見受けられるひびに益々不安に駆られながら、けいこは立ち尽くしていた。 「なんで来ちゃったんだろ……」  数時間前の自分を後悔しながらビルのガラス扉を押し開ける。  エントランスには赤茶色のタイルが敷き詰められた壁に整然と並ぶ所々錆がついたアルミのポスト。  そのポストにはテナントを埋めている会社の名がちらほらと表記されている。  その中で門田の名刺に書かれていたエイティイエイトプロダクションの文字は四階フロア全てを使用しているらしく、同じ階のポストには他の事務所等の文字は見当たらなかった。  実在していた安堵感と、本当に来てしまったという焦燥感に支配されながらけいこはエレベーターのボタンを押す。  頭上に光る数字を眺めていると、下降する数字は四階で一旦停止し、再度下降しだした。  古い型を感じさせる機械音を立てながらエレベーターの扉が開くと、中から肩まである焦げ茶色の巻き髪をひとつに纏めたスポーツウェアのような服装の女が気の強い眼差しを一瞬だけ向けて、小さく会釈をしながらけいこの脇をすり抜けるように降りていく。  すれ違っただけでも鼻をつくキツい香水の残り香に無意識にけいこは眉をしかめた。  案の定四階へ向かうエレベーターの中は先程の女の香水のにおいが充満し、たった数秒その箱の中に居るだけでけいこはくらくらと目眩をおぼえる。  四階に到着するや否や飛び出すようにエレベーターから降りたものの、残念ながらそのフロアにもあの香水の香りが漂い、あの女がこのフロアを行き来していた事を如実に表していた。  ハンカチを鼻にあてがいながら、壁に書かれた「事務所・受付」の文字とそれに添えられた矢印に沿って褪せたクリーム色の味気ない廊下を歩いていくと、その先に廊下と同じく味気のないすりガラスの扉が見える。  扉の前でひとつ深呼吸をして、けいこはドアノブに手をかけた。 「私じゃやっぱり無理です! とりあえずアケミさん呼びに行ってきます!」  ほんの少し扉を開けて中を覗いたけいこの耳に、悲痛に満ちた可愛らしい声が飛び込む。 「でももうマネージャーが決めてしまった事ですし」  そこへ少し突き放すような凛とした声がしたか思うと、続いて慌ただしい足音が事務所奥の方から、扉からまだ体の半分も入っていないけいこの元へ近づいてきた。 「あら? 貴女は?」  入るに入れずまるで扉から首だけ覗き込むような体制のまま固まっていたけいこに、先程聞こえた凛とした声がかけられる。 「あ、あの……」  突然のことに、奥からやってきた二人の女を前にしてけいこは狼狽えた。 「さきえさん!」 「はぁ。アケミさんの事は放っておきなさい。子供じゃないんですから」  やや遅れて現れた可愛らしい声の主はけいこより少々小柄な女で、栗色のボブカットと声のイメージ通りの可愛らしいその顔に今は焦りの色を浮かべてけいこともう一人の女へ交互に目を向ける。  そんな彼女を宥めていた、先程けいこに声をかけたさきえと呼ばれた女は、身長はけいこと同じくらいで髪は真っ黒のひっつめ髪、すらりとした……と言うよりは痩せ型の骨ばった体格とでも言うのだろう体格で、更に無感情ともとれる表情が相成って冷血そうな印象を受けた。  二人とも、先程エレベーターですれ違った女と同じく動きやすそうなスポーツウェア姿だ。 「いきなりすみません。何かご要件でしょうか?」  依然として傍らでおろおろする小柄な女を差し置いて、さきえはけいこに落ち着き払った声と視線で話かける。 「その……えっと。門田さんから……」  対象的な様子だった二人の女は、門田の名前を出した途端、目を丸くして顔を見合わせた。 「もしかして、スカウトされてきた方ですかぁ?」  おおきな目をぱちくりさせながら、小柄な女はけいこに向き直り優しい笑顔をたたえて子供にするように言葉をかける。 「す、スカウ……ト、と、言うか。あ、あの、今日はとりあえず見学を……」  自分より遥かに若く見える小柄な女にスカウトと言われ、改めて気恥しさを感じながらけいこは目を泳がせ小さな声で答えた。 「そうだったんですね。お見苦しい所をお見せしてすみません。申し訳ないですが、まだ門田は戻っておりませんので、とりあえずそちらのソファで待っていて下さいますか?」  さきえは手馴れた様子で奥にあるパーテーションで区切られただけの応接間にけいこを案内しながら、状況を説明する。  小柄な女に反してにこりともしない女だったが、ここまでの怒涛の時間を思うとけいこにとってはその淡々としたさきえの態度が冷静さを取り戻すのに丁度よかった。 「じゃあやっぱりアケミさん呼んできた方が良いですよねぇ?」  来客用のお茶を入れるさきえにぴょこぴょことついてまわる小柄な女は先刻までの焦りはどこへやら、にこにことさきえに話しかけ続ける。 「そうね。多分そろそろ煙草も吸い終わっただろうし……」  さきえは軽くため息をつくと根負けした様に〝アケミ〟という女を呼び戻す事を承知した。
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