竹の花の咲く頃に

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「ばかやろう」  言い放った言葉と裏腹に、腕が固く美奈を抱き締めていた。  強く、強く。  二度と離さないと語るかのように。 「美奈……生きてくれ、頼む」  柔らかな髪に頬を当て、抱き締めながら呟いた言葉が、震える。 「ごめんね、たかちゃん」  腕の中で美奈が声を絞る。 「助けてくれようとしてくれているのに、ごめんね。でも」  身を寄せながら美奈は言葉を続けた。 「私が贄に選ばれていたら、たかちゃんはきっと最後まで側にいてくれた」  違う?  というように、美奈が問いかける。 「私も生きてって、たかちゃんにお願いしたと思う。でも、きっと聞いてくれない。私が最後まで寂しくないように、ずっとたかちゃんは離れずにいてくれる」  愛しそうな呟きが、腕の中に響いた。 「同じだよ」  同じだよ。  その言葉に、胸が震える。  当たり前のように、美奈との未来を信じていた。  結婚して、家族が増えて。孫が出来て、お互いの皺と白髪の数を笑い合って。  それが断たれる悲しみよりも、美奈が生きてくれる方が嬉しかった。  だから、迷わず贄を受けたというのに。  けれど。  美奈の言う通りだった。  もし、贄に美奈が選ばれていたら――  自分は決して彼女を一人にしない。  魔物の牙が命を断ち切る瞬間まで、美奈を抱き締め続けている。  寂しくないように。  恐がらないように。  最後まで、彼女の命を腕に包んでいる。  ふっと心が軽くなる。 「そうか。同じか」 「同じだよ。何年一緒にいると思っているの、たかちゃん」 「不思議だな」 「何が?」 「あと少しで、魔物の腹の中に入るっていうのに――」  ふふっと静かな笑いと共に、誉司は呟いた。 「今、どうしようもなく幸せだ」  互いの鼓動と温もりだけを感じ合う。  永遠にも思える時が流れた。 「一人じゃないよ。ずっと側にいるよ」  ぽつりと呟く美奈の息の温もりが、服に触れた。 「大好きだよ、たかちゃん」 「美奈」  大切な人を抱き締めながら誉司は呟いた。 「愛している。永遠に――」  どうして自分が贄に選ばれたのか。  なぜ魔物がこの世にいるのか。  ぶつけたい怒りも思いもたくさんあった。  だが今はただ、腕の中の命が愛しかった。  それだけで全てが許されるような気がした。  次。  竹の花が咲く頃には――  誰が贄となるのだろう。  その者が恐がらなくていいように、寂しくないように。  束の間、誉司は祈った。    空が茜に輝く。  山の端の残照が消えて、やがて闇が世界を支配し始める。  魔物が目覚め、この村にいる唯一の贄の存在に気付き、喰らいに来るまで――  誉司と美奈は固く互いを抱き合い、命の音に耳を澄まし続けていた。 (了)
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