浅き夢

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「好きだ」  呟きは二人の間で溶けて、消えた。  抱きしめられた腕の中があまりにも熱かったせいもあるだろう。身動きも取れない抱擁に呼吸もままならない。まだ日も昇らない時間でなかったなら、道行く人の目を奪ってしまったに違いなかった。耳のすぐ傍で、荒い息遣い。何も告げずに部屋を出た私の事を必死に追いかけてきてくれたのだとわかる。  今この胸を満たす感情を、何と呼ぶべきだろう。愛しさか。切なさか。諦めでもある。その全てが坩堝のように占拠して荒れ狂っていた心は、忙しない彼の呼吸と熱に寄り添いたがって、けれど決して私の腕は彼を抱き返すことはない。それが答えなのだ。  いつの間にか肩越しに白んでいく空の美しさに眼が眩んだ。涙は零さない。泣きたいのは私ではない。言葉にすれば安易だけれど、この一瞬で時を止められたらと願う。差し出せるものは何を引き換えにしてもいい、どうか、と。  それでも回された腕の痛みに思い知るしかない。どれほど望んでも私たちが共にいることはもはや叶わず、互いに別の道を歩んでいくしかない事実を。いくら互いに手を伸ばしあっても、二人の体に流れる同じ呪いが赦さない。  ゆっくり、ゆっくりと時を刻むように夜は明ける。  山の稜線を際立たせて、光が暗い気配を追い立てて来る。  私たちの関係を恋と名付けるなら誰もが顔を背け、あるいは罵倒することだろう。  だけどこの胸がこんなにも愛しさに痛むから、誰にも私たちを笑わせない。  彼がまた呟いた。  私は幼い頃のように、俯く頭をゆるく撫でるだけ。あの頃と同じようで異なる空気に甘えてしまいたい弱さを内心で必死に振り払う。  微かに残る最後の夜を二人、迷子のまま立ち尽くしている。
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