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 行先など決めていない。  だから、ふとあの()のことを思い出したのは、ただの偶然だ。  あの()。  暁が大学3年生のとき、サークルに入って来た、まだ幼さが残る一年生。  流行のファッションに身を包み、背伸びした化粧とヘアスタイルできゃっきゃしている女子大生の中で、その娘は少し居心地悪そうに見えた。  名前は、夕花(ゆうか)と言った。  ひっそりと咲く花のようで、日焼けを知らないような面長の顔、さらさらした黒髪が肩先にかかり、伏せ目がちに微笑む様子が「夕顔」のようだと思った。  夕顔は夜に咲く花だ。別名を、黄昏草(たそがれぐさ)と言う。  とくに何かがあったわけではない。  その頃、暁は同級生の一人とつきあっていたし、夕花は大人しく目立たない存在だった。  でも、彼女が北の方の出身だということは、なぜかいまでも覚えていた。  行ったことのない土地だ。だから行ってみようと思った。  ただそれだけだ。    新幹線を降りると、東京より数度低い大気が暁を出迎えた。  「遠くへ」と言ったって、結局この程度の距離だと、暁は自嘲する。    それでも初めて降りる駅は、案外、非日常の(たたず)まいをみせていて悪くない。  新幹線ホームを歩いて改札を抜け、在来線とをつなぐ構内を歩く。  駅の出口付近では、この土地の名産を紹介するコーナーが設けられており、ふたりの女性が観光客と思われる人々に声をかけていた。  「十久(とく)酒造です。十久酒造の新酒をお試しになりませんか?」  差し出された小さなお猪口(ちょこ)を受け取って、数名の客が試飲している。  その方向へ、暁も自然と足が向く。  「十久酒造です。十九酒造の…」  「え…」  相手が目を見開いて絶句した。  暁の顔にも、驚きの表情が現れて違いない。  「…暁、センパイ?」  「夕花、ちゃん?」  いやいやいやいや、さすがにそれはないだろう。  同人誌の素人小説でも無いベタな設定だ。  しかし、もう一度見直した顔は、確かに「夕顔」だった。  ひっそりとした少女が、はんなりと清潔な色香が漂う大人の女性になっていた。  「夕顔」のままで。  
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