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ー30ー
澤田の病室に溢れていた見舞品や花籠は、綺麗に片づけられていた。パソコンからプリンター、スキャナまで揃え、オフィスのようになっていた部屋は、今は持ち運び出されて、がらんどうの病室に戻っている。
その中で澤田はぽつんとソファに腰をおろし、見るともなしに窓の外を眺めていた。痩せた背には年相応の老いがあり、整えられた髪も、すっきりとしたラフなスーツも、落ち着いた好々爺のようだ。
これが本来の澤田の姿なのか、一時的なものなのか、吉本には判断が付かなかったが、精神的な深い痛手が、そのわびしい背中から漂うのを、小さなため息一つでやり過ごすしかできなかった。
「退院を喜ぶ患者には見えませんね、教授」
振り返った澤田の顔色は悪くない。ただ表情が薄かった。
「ああ吉本君、世話になったね。迎えが来たかな?」
「下のロータリーで車を待たせています。スタッフ達も花束を抱えて待ちかまえてますよ。ちょっとしたスターですね」
「やれやれ、大げさにしないでくれと言ったのに」
「マスコミは入れていませんが、院内広報部のカメラマンが数枚写真を撮りたいと言っています。許してはもらえませんか」
「構わないよ。その時はにこやかに笑ってみせるよ」
そう言って寂し気に笑った。
頬に刻まれた笑い皺に、憐れなような陰りがよぎる。人は、大切な何かを失った時、こんなにも憔悴してしまうものなのか。
澤田にとっての生きがいは、今や生命科学界を牽引することでも、跡を引き継ぐ者の育成でもなくなったのかもしれない。
可愛がっていたペットが逃げ出して行方知れずになった。あんなに愛していたのに、その仕打ちは彼のアイデンティティをも崩しかねない。いったい何が悪くて、どこで間違えたのかと。病は癒えても、澤田に刻まれた傷は今もギリギリと痛み、あの綺麗なペットを求めて、切なく疼いているのだろう。
逃げられた。裏切られた。ぽっかりと空いてしまった虚を塞ぐ気力も無くなった。そんな空虚な笑みだった。
「慰めになるかどうかはわかりませんが」
吉本は、ファイルから一枚の紙を出して澤田に渡した。
「沢渡哲郎の元愛人を突きとめました。ヤメ検の弁護士です。霞が関では有名な人物でしたよ。見てお分かりの通り、ハッとするような美形ですからね」
興味無げに書類を受け取った澤田の目が、見る間に細くなる。当然だ。一目でわかる美貌は、明らかに佳澄に似ているのだから。
「佳澄はやはり、謀られていると思うかね」
「私には沢渡哲郎の真意はわかりません。身代わりを求めたのか、それとも惹きつけられる何かがあったのか、ただ、小津原先生は自分からあの男の元へ行った。これはまぎれもない事実」
「だから諦めろと?」
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