Color.2《キッカケ》

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「今のお前には、友達がいる。__俺を頼らなくても、お前はもう十分に生きていける。……だから、教師として、クラスの担任として、お前を見守ってやりたかった」 一歩、水城が足を進めれば、また二人の距離は縮む。椅子に座ったままの龍は、水城の方を見れずにいた。__彼がつけている香水の匂いが、鼻腔を(くすぐ)るまでは。 (……懐かしい?) 前も感じたそれに、内心で首を傾げた龍を知ってか知らずか、水城は龍のすぐ傍で足を止めた。彼に触れる、ギリギリの所で。 「__龍、こっち向いて」 やけに真剣さを帯びた声が、龍の頭上で聞こえてくる。……怖い。けれど、その声に従えばずっと探していた何かが見つかる気がして、龍は咄嗟に水城の顔を見上げた。 「__っ!!」 部屋の照明の逆光のせいで、水城の顔ははっきりとは見えなかった。けれど、とても悲しい顔をしているのは分かった。その瞳に龍を映し、形の良い唇から小さく吐息がこぼれる。 「……こんな事、今のお前に言うのは間違いだって、分かってる。__俺がお前にした事は、お前の体を、心を傷つけるかもしれなかったのに。……ごめん。謝っても、謝りきれる事じゃない。だけど……」 好き、なんだ、誰よりお前が。__許して、俺を。 ズルズルとその場にしゃがみこみながら、水城はそう言った。今にも消え入りそうな、小鳥のさえずりよりも小さな声で。 (……な、んだよ。許せって__) 何で、そんなに悲しい顔をする?何で、自分なんかを好きって言ってくれる? 龍の中に生まれたその感情は、慰めや励ましの言葉なんかではなかった。不器用な彼は、フツフツと煮え立った怒りを覚えていた。 「勝手に決めつけてんじゃねえよっ……」 気づけば、口が勝手に開いていて。手が、勝手に動いていて。しゃがみこんで俯く水城の両頬を、龍は思いっきり捻ってやった。 「痛っ……!?」 ポロリと水城の口から漏れたそれは、彼の本音だ。ここ一週間龍が見てきた、の水城じゃない。驚いたように顔を上げた水城の瞳は、世の女性が虜になるような妖艶なものじゃない。ダサくて、頼りなさそうで。けど、龍はその瞳を眺めて満足した。 __そっちのが、よっぽど水城らしいと思ったから。 「あんたは、昔の俺を知ってて、昔の俺を好きなんだろ?__けど、今の俺は空っぽだから、もうあんたが好きだった『龍』はどこにもいない。……謝んなきゃいけないのは、俺の方だから」 「龍……」 「教師と生徒。……それ以上でも、それ以下でもない。ごめん、。俺には、記憶が無いから。先生の気持ちに、どう答えれば良いかなんて分からない」 龍は早口でそう言い切る。水城の事は、きっと嫌いな訳じゃない。……でも、彼が好きなのは今の『青木 龍』じゃないんだ。後悔して欲しくない。を、好きになってなんか欲しくない。 「……俺は__」 「違う、龍。……確かに、俺は昔のお前に惚れた。__でも、今のお前だって好きだ。そうじゃなかったら、あんな風にお前の体を無理やり奪おうなんてしない。そうしたいくらい、俺はお前に夢中なんだよ、龍」 そう言って、水城は右手を龍の方に伸ばした。龍が息を飲み、体を縮こませれば、彼のその手は龍の左頬に触れる前に、力なく下ろされる。 静寂が二人を波のように包み込む。衣擦れの音だけが、やけに龍の耳に響いた。
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