Color.2《キッカケ》

9/17
前へ
/41ページ
次へ
燐や黒田の時とは違い、担任……という言い方が正しいかは分からないが、とにかく水城に部屋に入られるのは嫌だった。 帰れ、帰らないの押し問答を玄関の扉前で数分繰り広げていたが、結局龍が折れた。龍は何としてでも平然と室内を物色しているこの教師を帰らせたかったのだが、 『俺、お前の為に仕事切り上げて送ってやったんだけどな……』 子猫のように今にも泣き出しそうな顔で言われてしまえば、うっと息を詰まらせるしかなかった。しかし、いざ部屋に入れればケロッとして余裕綽々の笑みを浮かべるのだから、腹立たしい事この上ない。 「………」 「へぇ、やっぱ広いなここ。家賃高いだろ?セキュリティもちゃんとしてるし」 居心地良さそうに大きく伸びをする水城。龍は、彼の呑気な横顔を睨みつけた。 「何しに来たん……ですか、早く帰れ……じゃない帰ってください」 「無理して敬語使わなくていいぞ?初めて会った時もそうだったけどさ、敬語とか苦手だろ?」 「…………チッ」 まるで見透かされているようだった。敬語が苦手、というか話し慣れていないせいというか、そもそも人と話す事があまり好きじゃない。__自分の気持ちや考えが伝わらないと、すぐにイラついてしまうのだ。 あからさまな舌打ちは水城にも聞こえていた筈だが、彼は何も無かったかのように上着を脱ぐとソファにそっと置いた。 「__キッチン借りるけど、いい?」 「……は?」 聞き間違えかと呆然とその場に立ち尽くす龍の横を通り過ぎ、水城はワイシャツの袖をめくりながらキッチンへと向かった。 リビングと繋がる形で造られたアイランドキッチンは、素朴さと暖かさを兼ね備えたような明るめの空間だ。水城がそこに立つだけで、その洒落た雰囲気も相まって今から料理番組が始まるのではないかという気さえしてくる。よく、俳優やらなんやらがテレビで手料理を披露するというやつだ。 「あんたは__」 「水城」 「……水城先生、料理もできんのかよ」 キッチンに立つ水城とは調理スペースを挟んだ所に置かれた脚長のスツールに腰をかけ、テーブルに頬杖をつきながら龍は彼の手元を眺める。 龍は元々、しっかりと朝昼晩三食摂るタイプなので冷蔵庫にはある程度食材が詰まっているが、それでも一人分の食事を作るのはなかなか億劫だ。とはいえコンビニ弁当のように、出来合いのあからさまに塩分が濃いような物を食べる気も起きず、結局スーパーに行って揚げるだけのお惣菜とか、自分で味を調整できるようなものばかり買っている。 水城は、龍が予想していたよりもずっと手際良く調理を進めた。しなやかな右手で包丁を握り、乱雑にしまい込まれていた野菜達を目を見張るような速さで切っていく。 土鍋の位置を聞かれた時は、龍でさえ何処にあるのかさっぱりだった。姉の明日香が買ってきた事だけは知っていたので、二人で散々探した結果、まさかのキッチンではなくリビングの収納棚に仕舞われていた事には苦笑するしかなかったが。 土鍋を火にかけ、ひと段落した様子の水城の顔を盗み見つつ、龍はふと疑問に思った事を口にした。 「料理、好きなのか?」 水城は、若干驚いたように目を丸くした後、小さく口の端に弧を描いた。 「__好き、とは違うかな。……やらなきゃいけない事だな」 「やらなきゃいけない?」 「__俺の実家、旅館だからさ。ガキの頃からよく手伝わされてたんだよ。料理はそのせいで自然に覚えた」
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

532人が本棚に入れています
本棚に追加