Color.2《キッカケ》

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「旅館って……全然そんなイメージ無いな」 龍は驚いて片眉を上げた。高級レストランとか、都会のカフェとか、そんな洒落たものが合いそうな感じがする。旅館といえばどうしても素朴な雰囲気しか出てこなくて、水城がそこで働いている姿を思い浮かべようとしたけれど、ダメだった。 「まあ、とっくに家は出てるし、大学入ってからはほとんど帰ってねえから。……ほら、出来たぞ」 水城は半ば無理やり話を終わらせる。その顔にどこか翳りがあったような気もしたけれど、次の瞬間にはいつもの微笑みに戻っていた。 水城がテーブルに運んできてくれた土鍋の蓋を開けると、ほかほかと白い湯気をたてながらお粥が姿を現す。 真ん中にはちょこんと梅干し__ではなくてゴマが振ってあった。 「梅干し嫌いだったもんな」 「……何で知ってんだよ」 「作ってやった事あるからに決まってんだろうが」 「…………」 龍の正面に座った水城は、事も無げににやりと笑った。鮮やか、というよりは些かからかうようなその笑みに、龍はムッと眉をひそめて彼を睨んだ。 「ほら、早く食え。冷めるだろ」 水城に急かされ、龍は蓮華で粥をすくって口元に運ぶ。 「熱っ……!」 そりゃそうだ。ただでさえ猫舌なのに、出来たてホヤホヤの粥をどうして平気で食べられると思ったのだろう。__とことん、水城がいるせいで調子が狂う。 「お前、やっぱ可愛い」 クックと肩を揺らしながら、水城は目頭に涙が浮かぶほど笑いこけた。 「可愛くねぇっての!!」 水城に差し出されたコップからごくごくと水を飲んで舌を冷やす。子供とか、燐のような線の細い男子ならともかく、自分のようなむさ苦しい男に可愛いはおかしい。とことん、水城の目が腐っているとしか龍には思えなかった。 「あー、はいはい。ほら、お兄さんがアーンってしてやろうか?」 「……ふざけんな」 幾らか声のテンションを落として睨みつけると、水城はまだ小さく笑いながらもそれ以上はからかって来なかった。 付け合せのだし巻き玉子は、龍好みの薄味。粥も程よい塩味と火の通し加減で、さして食欲は無かった筈なのに気付けば鍋ごと平らげていた。 龍が食べている間、水城はずっと彼の一挙手一投足を食い入るように見つめていた。1口食べる度に、美味しい?と聞いてくるのがうざったらしかったけど、実際美味しかったから龍にとっては満足だ。 「あんたはメシ要らないのかよ」 「あー、俺はいいんだよ。家帰りゃ何でもあるしな」 器の片付けをしようとしたら、いいからとリビングのソファに座らせられた。皿洗いくらい自分にだってできるのに……とは思いつつも、水城が気遣ってくれているのは分かっていたから大人しく従ったのだ。 「コーヒー飲むか?」 「……ココア」 「ん、分かった」 何か、むず痒い気持ちでいっぱいになる。我儘を言ってもいいのではないかと、そんな不思議な感覚だ。 窓の外はすっかり暗くなって、紫闇の世界をポツポツと民家から漏れ出る明かりが照らす。高層マンションの遥か下に広がるその風景にはもうすっかり慣れてしまっている筈なのに、それから背を向けるように部屋を見れば、キッチンには水城がいる。 (何で、俺なんか好きなんだろ……) 今日一日、というか放課後から、だが。 水城に呼ばれて、彼に送ってもらって。夕食まで作ってもらって。よく燐には鈍感だと言われる龍でさえ、彼の細やかな気遣いには流石に気がついていた。 例えば車から降りる時は、必ず扉を開けて待っていてくれる。空調の調節だって、龍が小さく身震いしただけですぐに温度設定を変えてくれるのだ。 容姿は完璧、それに教師という手堅い職業。その上、料理までできる。これがいわゆるスパダリってやつなんだろうかと、龍は勝手に思った。些か性格に難はあるが、それを差し引いても女は喜んで飛びつくだろう。何せ、外面は性格まで素晴らしい訳で。 (……あれ、そういえば。__どっちが素って訳でもないのか?) 教室にいる時の、つまり龍以外といる時の水城は、絶えず優しい笑みを浮かべている。今のところ他の生徒に怒ったのは見た事も聞いた事も無いし、けれど龍に対してはどうだろう。 無理やり数学準備室に龍を連れ込んだ時、水城はひどく冷たい顔をしていた。
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