color.1《突然の告白》

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ふふっと、滑らかな唇が弧を描き、身を乗り出した燐の顔が、龍のすぐそばまで来て、止まる。童顔のくせに、その瞳は妙に大人びて__仄暗い。龍の背中に、何とも言い難い寒気が走った。顔を背けたくても、背けられない。 鼻先が触れ合いそうな程に近づくと、龍は怪訝な顔を燐に向けた。 「……何だよ、お前の顔ただでさえキモイんだから、あんま近づくな」 「うわっ、リュウったらひっどーい。ぜんっぜんオトメゴコロ分かってないんだから」 するり、と燐の細い指が龍の鼻筋に触れ、そしてすぐに離れていく。台詞とは裏腹に、燐は龍が気持ち悪い、と言った方が嬉しそうな顔をするのだ。……猫のように、天邪鬼でわがまま。龍は、いつもそう思う。 「てかさ、もしかしてリュウの事助けてくれたのって水城先生?」 今の行動は無かったかのように、燐はいつものテンションで会話を始めた。教室の前方で、数人の女子に囲まれて何やら話をしている水城を指さし、龍にそう問いかけた。 「あ、ああ……」 龍は、釣られるように燐と同じく水城へ視線を向けた。クラスの大半の女子がそこに集まっていて、誰もが水城に話しかけてはうっとりとした目をしている。……そんなに、イケメンが良いのだろうか。 水城は水城で、嫌な顔ひとつせず彼女達の話を聞いている。__何でだ。 ちくり。また、胸が痛む。 (何だって言うんだ……。風邪でも引いたか?) 首を傾げ、もう一度水城の方に視線を投げると……。 「__っ!」 水城と、完全に目が合った。周囲にはたくさんの生徒が、女子達がいて、誰もが羨むような光景なのに__。彼の、その全て見透かすような鋭い瞳は、真っ直ぐに龍を見抜いている。先程のような、一瞬じゃない。 気の所為で済むような、そんな簡単なものじゃない。龍だけを、映している。 咄嗟に、龍は水城から目を逸らした。……あのまま見つめ合っていれば、自分の何かが狂ってしまう感じがしたのだ。まるで__外敵に狙われる小動物のような気分。心の臓の音が、やけに耳に鳴り響く。 ガタッと音を鳴らしながら、龍は慌てたように席から立ち上がった。 「うわっ、ビックリした__って、リュウ!?どこ行くの!?」 「トイレ」 「は!?ちょ、次の授業始まる__」 動揺している燐の声を背中に受けながら、龍は教室を飛び出した。……あの空間にいたくなかった。__何でだろう、女子に囲まれている水城が、嫌だった。 俯き、早足で歩く。すれ違う生徒は皆、それぞれの教室で戻っていくのに対して、龍はその荒波を逆流するように反対方向へと歩き続けた。 沖へ、沖へと深い海に沈んでいくように、心がもやもやとした暗い闇に囚われていく。 「っ……」 人が、生徒の波が途切れるまで龍は宛もなく歩いた。予鈴が鳴り響き、無機質に並び続ける扉の向こうで、生徒が礼をする為に、一斉に立ち上がる音が聞こえてくる。 自分がそこに居ないことに対してやや罪悪感を抱きつつ、それでも足を止める事はしなかった。 だから、気が付かなかった。 「__う、龍!……どうした!?」 その匂いが、瞬く間に辺りに広がる。さっきは分からなかったけど、思ったよりも筋肉質な体が、龍を抱き寄せた。 「おい!大丈夫か!?」 「あ……れ?水城先生、何で……」 ずっと俯いたままだった龍が、頭上から降り注ぐ甘い声に顔を上げると、心配そうにこちらを見つめる水城の双眸が見えた。切れ長の瞳が、龍を映し出す程に近付く。 幾分と高い身長のせいか、水城の体にすっぽりと挟まった龍は、一拍置くと__。 物の見事に、その体を硬直させた。 「うわああああ!?」 どん、と体を突き放し、龍はその反動で大きくよろけた。作用反作用の法則とか、そんな事はどうでも良くて。 勢い余ってその場に尻もちをつきそうになった龍の体を、水城は難なく受け止めて、またぐっと二人の距離が近付いた。 「ちょ、あの……水城、先生?」 暗黒微笑。……燐が怒っている時に浮かべるそれと同じ、腹黒い微笑み。 「__龍、どうしてここにいるの?」 切れ長の黒い瞳の奥は、一切笑っていない。どんな孤高の女でも一瞬で籠絡させるようなその甘い微笑みに、感情が伴っていないのだ。……恐ろしすぎる。龍は、ぞっと背中に寒気が走った。 「え、えっと……」 「俺が何度も声掛けたのに、全然聞こえてなかったみたいだね」 「ふぇっ……!?」 (何度も?何度も、呼んでくれてたのか?) 「お前のじゃ、まだこの時期の廊下は冷えるだろ?」 微笑みを絶やさないまま、水城はそっと龍の手を握った。まるで、求婚する騎士と姫のようだ。その温い手に触れた途端、龍の心臓は爆発するように高鳴り出した。 (……な、何だこれ) 水城の、細い指が逃げようとする龍の手を絡めとる。鼻先が触れそうな程に、ぐっと水城の端正な顔が近付いてきた。腰にもう片方の手を回され、龍よりも何倍も強いその力で押さえつけられる。 下肢が触れ合い、スーツからふわりと香水の匂いが漂ってくる。 「……すっかり痩せたね、龍」 「は?……なに、言って__」 「覚えてないの?俺の事」 水城の顔が、一瞬切なげに歪められたのは気のせいだろうか。すぐ側の教室から、教師の話し声が聞こえるのに。……それさえ、耳には入ってこない。ただ、甘美なその息遣いだけが、龍の耳を擽る。 「覚えてるって……俺、水城先生と会ったことなんか……」 そう言った瞬間。水城の瞳は、傷ついたように光を失った。顔から微笑みが消え去り、ただ冷たく美しいその顔だけが、怒ったように龍を見据えた。 「……おいで、龍」 水城は、龍の手首を握ったまま体を離した。龍に抵抗の暇を与えず、教室とは離れた方向に廊下を歩いていく。……教室に案内してくれた時のような、優しさの残る手の引き方ではなくて、物を引きずるような、強引な掴み方で、龍を引っ張った。 「ちょっ……水城先生!?」 龍は、半ば戸惑うようにその足を無理やり止めた。不安げなその声が、広い廊下にこだまする。 「__本当に、覚えてないのか」 「……?何が、だよ」 教師だから敬語を使わないといけないとか、そんな事は忘れていた。ただ、無性にその悲しいしらべが胸に残る。 (なんで?なんで?……なんだ?この、感覚は) 胸が苦しい。水城に触れられている手首から、龍の冷えきった全身に熱が流れ込んでいくようだった。 水城は、ゆっくりと時間をかけて振り返った。その背中は女子生徒に対する、大人の姿勢ではなくて。……何かを怖がっているように、僅かに震えている。 「……俺は、お前を知ってる。__昔から、お前を愛してる」
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