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源太郎 誕生
児玉源太郎は1852年4月14日、長州の支藩である徳山藩(現 山口県周南市)に父 児玉半九郎忠硯と母 モトの間に長男として生まれた。
源太郎には姉がすでに二人いたが初めての男児の誕生に児玉家の跡目ができたことを半九郎は大喜びをしたという。
しかし源太郎はものごころのつかない5歳のときにこの父親と不運にも死別することになる。
父親の半九郎は昔風の侍で自分の意見は何がなんでも曲げないという激しい性格の持ち主であったと言われている。
そのような気骨のある侍であったが徳山藩からは当時100石の扶持を与えられていた中級武士であった。
半九郎は当時日本の風潮であった公武合体を主論とする藩に対して尊王攘夷の重要性を何度も激しく説いたが藩主をはじめすべての家臣は一切聞きく耳を持たなかったという。
それどころか藩はあまりにも執拗に尊皇攘夷の説得を迫る半九郎に対して疎ましく感じたあまりに自宅での蟄居を命じたのであった。
その藩の姿勢に憤った半九郎はそれ以来、自宅内にて蟄居を甘んじて受け入れたがそのかわりに毎日の食事をまったく受け入れずに無言の抗議の姿勢を貫いて憤死したとされている。
このように自分の意志を命を賭けてまで貫こうとする相当一途で激しい気性の父親の元に児玉源太郎は生まれたわけである。
当然その熱いDNAを源太郎はは引き継いでいたはずである。
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