第一話 少年時代

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第一話 少年時代

 私の生まれは米国のロードアイランドだ。富豪の別荘地で、緑あふれ、海の美しい自然の豊かな場所に、少年の頃の私の住まいはあった。豪邸だったが、人が来ることや集まることはない静かな邸宅だった。  大理石で出来た広い屋敷には、祖母、母、私と使用人たちが暮らしていた。  母のステラは美しかった。  年をとっても若々しく、いつまでも少女のようで、可憐な人だった。ゆるく波打つ淡い金髪に、陶磁器のような肌。澄んだ青の瞳。豪華なドレスを引きたてる、ほっそりとしたウエスト。  幼い頃から音楽を習い、歌うことが好きでよくひとりで歌っていた。特に好んでいたのは、ヴェルディやプッチーニの歌劇のアリアだ。  彼女が歌う様子は軽やかで、透明感のある歌声は天にどこまでも登ってゆくようだった。  まるで庭に舞い降りた金細工の小鳥だと私は感じていた。  母は若いころに家庭教師の音楽家と駆け落ちをしたことがある。恋に落ちた二人でボストンで落ちあい、ニューヨークのブルックリンに隠れ住んだという。その間、二人は安酒場で働き、日銭を稼いでいた。    その間に彼女が身ごもったのが私だ。私がまだ生まれる前に、母は祖母の手によって邸宅に連れ戻された。  音楽家は既婚者だった。彼は怖気づいたのだろう、母と私を捨てて妻子の元に帰った。母は途方にくれて泣き明かしたと聞く。  その後母は私を産んだ後、酒びたりになった。  子供のころ、ステラがよく言っていた。  酒を飲み、言葉を涙のようにこぼしながら。 「私は彼に愛されていたの。捨てられたんじゃないわ。彼は今も私を愛してくれているはずよ。本当だったら、今も……」  何が愛だと言うのだろう。不倫して逃げるような男に期待するなんて馬鹿馬鹿しい。だがしかし、屋敷に引きこもって暮らしている母の、生きる心のよりどころは、私ではなくその男だということは分かっていた。  母の目は現実を見ていなかった。彼女のまなざしはいつもどこか、遠くをさまよっていた。  私が生まれたことは、母の人生を狂わせた。いや、母自身が狂っていたとも言える。少なくとも私の目には、彼女は傷ついた哀れな少女のようにも見えた。見えない愛を求めて、わずかばかりの過去の愛にすがりついていた。
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