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「早く良くなるといいね」
「…………ん」
看病する者として当然とも言えるその言葉に、僕は彼女の優しさを感じるとともに、一抹の寂しさを覚えてしまった。彼女が早く僕の看病から解放されたいと思っている、と邪推しているわけではなかったが、僕が完治することで彼女が僕の側を離れてしまうということが、どうしようもなく我慢ならないことに思えたのだった。さながら僕は小児だった。そして幾分邪悪だった。
「しばらく寝てな?」
「…………ん」
彼女は遅めの朝食であろうサンドイッチをもぐもぐしながら言った。
病人の家に来るということで、当然彼女はマスクを着用していたのだが、それすらも僕は耐え難いことのように感じていた。食事中の彼女は当然マスクを外していて、どこかそれは免罪符のように見えた。
マスクに隠れていた部分も含め、彼女の顔がよく見えた。僕は喜びを覚えた。さながら僕は小児だった。そして幾分邪悪だった。
「…………」
「……だめだよね、君にも移っちゃうね」
気付けば、僕はサンドイッチを食べ終わったばかりの彼女に抱き付いて、唇に唇を寄せていた。触れる直前で思い留まり、それは未遂に終わった。そういう演技だった。
僕は悪くない。僕から先にしたわけではない。僕はそれをしたいという気持ちをわかりやすく表明しただけだ。だから、僕は悪くない。
瞬間、脳を優しい感覚が襲った。その優しい感覚は、どうやら唇を通して伝わって来たようだった。僕は慌ててしまった。
「……いいの?」
「いいよ。私に移って、君が治ったらいいのにな」
この時、僕は諦めてしまった。僕はどうしようもなく小児のようで、どうしようもなく邪悪なのだろうと。そして、それはどうか風が運んで来たものであってほしいと、強く思った。
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