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「――は!?」
片付けもそこそこに、諒は声を上げてしまっていた。他に客がいないのは幸いだった。
「うちの祖母が選んでいれてるコーヒーがまずい、って?」
しかも「やっぱり」とはなんだ。
こだわりの強いラーメン屋ではあるまいし、うまいかまずいかは客が決めることだとわかっている。だが恩ある祖母の店のこととなれば、憤らずにいられない。
口に合わないならしかたない。だったら毎月来なければいいではないか。わざわざ何度もやってきて「まずい」とはどういうことだ。
それともあれか。ここが〈映え〉だから、女性を喜ばすのにちょうどいいってことなのか。
そんな「やる」前段の仕込みみたいに使われちゃってるのか、おばあちゃんの店は。
ーーゆるせない。
諒の叫びに、男はびくっと体を強ばらせた。見開かれた目がこちらを呆然と見つめる。やっぱり整った精悍な顔立ちをしているが、もちろんそんなことで水に流せはしない。
「倉吉さん、どうしたの?」
トイレから戻った女性共々「お代は結構ですので、帰ってください!!」と諒は二人を追い出し、念入りに塩までまいた。
明けて月曜。
諒は出社していた。仕事は通信端末会社の社内SEだ。今日も各部署から上げられてくる、社内システムへの無茶な要望をこなしていたら、昼食を食べそびれてしまった。
取り敢えずコンビニでも行こうかなと廊下に出たとき、反対側から談笑しながら歩いてくる一団が目に入った。システム部がある階には会議室もまとめられているから、どこかの部署の会議が終わったところなのだろう。
「今度ぜひ一杯やりたいね。倉吉くんいい店知ってそうだし、任せていいかな?」
未だに飲み会大好きらしい上司が、かたわらの部下らしき男に声をかけている。
――くらよし?
なんだかどこかで聞いた名だ。
面を上げると、瞬間、ばちっと目が合った。
「き、昨日の……!」
社員数数百、自社ビルも十階建てとなると、同じ会社でもすべての社員に会ったことのあるほうが稀だろう。それにしても、あんな失礼な奴と同じ屋根の下にいながら今まで気がつかずにいたなんて。
諒はびしいぃい! と倉吉を指さすと、どこの部か知らないがどこかの部長らしき男に向かって吠え立てた。
「この人、超味オンチですよ!!!! こんな人に店選びなんて――」
「部長、そういえばSEさんにお願いしていた案件がありまして、これで失礼します。――ちょっとこい!!」
ちょっとこい、の部分は諒にだけ聞こえるように告げ、倉吉は諒を給湯室へ引きずり込んだ。
「いてっ、噛むな、狂犬かおまえは」
「美山です!」
「じゃあ美山。なんでおまえがここに?」
「祖母の店第四日曜だけ手伝ってるんです! うち兼業禁止されてないし、別に服務規程違反じゃないですから!」
「……なるほど、身内の店か」
倉吉が納得しているうちに、諒は倉吉の腕から逃れた。
「上司にはずいぶん気に入られているみたいだけど、飲食店に対する態度で本当の人間性がわかるって言いますよね。毎月違う女性を連れてきてるようなチャラい男にまずいとか言われる筋合いないです!」
言い募ると、倉吉の顔はさっと曇った。ほら見ろ、なにも言い返せないだろう。
さらにたたみかけてやる。
「あのスペシャリティコーヒーは味だって最高だし、ばーちゃんが考えて生産国にちゃんと金が行くように考えて仕入れてるんです」
スペシャリティコーヒーとは、その店の一番の自信作、という意味ではない。
生産や発酵、流通の段階まで品質管理され、スペシャリティコーヒー協会の設ける基準を満たした高品質の豆だけを用いている、という意味だ。
当然そのような豆は手間がかかるから、小規模農園で手作業で生産されている。
大量生産品ではなく、スペシャリティコーヒーを仕入れて出すということは、そういった現地の労働力を守ることにも繋がるのだ。
「大規模農園に搾取させないで、現地の小さいコーヒー農家さんを大事にしてるんです。倉吉さんみたいな人にはわかんないかもしれないですけど!」
あの上司の態度からして、倉吉は仕事の成績がいいのだろう。
そういう、輝かしい表舞台ばかりを歩いてきたのだろう男に対してのやっかみも多少あり、諒はきゃんきゃんと吠えたてた。
言い返してきたらさらに返り討ちにしてやろうと身構える。が、意外なことに倉吉はその美貌を曇らせて告げた。
「悪かった。……今日の帰り、一杯つきあわないか」
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