虹を見たかい 3

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虹を見たかい 3

「どきどきはする……かな、たしかに……」  翌日の放課後、原田に連れて行かれたのは川の上流で水がたまり、深い淵になっているところだった。 「夏はここで遊ぶのが一番だ」  そうなるだろうなとは思っていたけど、水辺にせり出した岩の上でおもむろにボクサーパンツ一丁になった原田は、準備運動もなしにざばんと水に飛び込んでいった。  大きな体を受け容れた水面は派手に水しぶきをあげる。水晶みたいな透明な水の粒が夏の日差しを受けて、きらきらプリズムを描く。  ふつふつ小さな泡を体にまとわりつかせながら浮かび上がった原田は、ぶるぶるっと乱暴に頭を振った。長めの前髪をかき上げると、精悍な顔立ちがあらわになる。  ほんとこいつ、造作だけなら田舎には珍しいいい男だ。それだけは公正に見て認めざるを得ない。  なんだか事情があって天性喪失を急いでるみたいだけど、今まで普通にしてて彼女が出来たことはなかったんだろうか。なにしろ競合相手の絶対数そのものが少ないんだから、不自由はしなさそうなのに。  原田が少し泳いで水から上がって来る。河原のごろごろした石を大股で乗り越える度、筋肉のついたいい体が主張してくるようだった。 「なんかスポーツしてるのか?」 「ん? いや、部活は金がかかるからなあ……子供の頃からここで泳いだり、畑手伝ったり、あとは大五郎のボトルに水入れて筋トレ?」  なるほど大五郎。ばあちゃんちにはなかったけれど、スポドリのペットボトルでも代用可能だろうか。  スマホにメモしていると(ちなみに電波は死んでいる)、原田が持参したタオルを頭に乗せながら言う。 「天ヶ瀬はさ」 「あ?」 「なんだかんだ言いつつ、ひとの話ちゃんと聞くよな。天性だって、隠す奴もいるのにちゃんと答えてやってたし」  たしかに、微妙な能力の奴もいるし、家の方針によっては検査を受けないこともある。いじめに発展することもあるから、不躾には触れない、が最近の世の中の流れではある。 「……面と向かって訊かれてるのに、無視するってわけにはいかないだろ」  目の前で話してるのに聞いてもらえないというつらさが、俺にはわかるから。  原田はあぐらをかいてわしゃわしゃと頭を拭った。 「おまえ、もしやいい奴? なんでそんな頭にしてんの」 「いい奴は頭金色にしちゃ悪いってのか」 「いや。似合ってるしいんじゃね」  ついさっき「そんな」って言ったくせに。ほんとに思いつくまま、良く考えもせずに口を開いているんだろう。のびのび育ちやがって。  こっちはいらだってるっていうのに、原田は不意に髪を拭う手を止めて、目を細めた。 「こっちから見ると日の光が透けて、天使みたいだ」  ……ばあちゃんだってとうもろこしのひげだったのに、こんな男の口から「天使」なんて言葉が突然出るなんて。  原田はいつもまっすぐ人を見て話す。セックスしてくれ! ととんでもないことを人に頼むときすら。  だから、こいつが言うとお世辞じゃないっぽく聞こえるんだよな。  うっかりほだされそうになって困る。俺は川を覗き込むふりで顔を背けた。 「あれ?」  今度はなんだ。 「血出てるぞ、天ヶ瀬」  言うや否や、なんの遠慮もなしに伸びてきた腕が耳たぶをつついた。 「――っ、」 「悪ィ、」  俺の肩がびくりと反応するのを見て、原田はそれが痛みからだと思ったようだった。 「ピアスの穴から血が出てて……痛いのか? 大丈夫か?」 「ああ。まだ固まってないだけだから」 「? 最近開けたばっかなのか。そういやばあちゃんも驚いたって言ってたな。前はそんな頭じゃなかったのか?」 「――俺もちょっとだけ川に降りようかな」  これ以上いろいろ突っ込まれるのが面倒で、俺は話の流れをぶった切るように立ち上がる。河原に降りるルートを考えていると、原田が不満げな顔をした。 「飛び込めよ。気持ちいいぞ」 「出来ないことは出来ないって言っていいんだろ」 「なんだ? それ」 「おまえが昨日言ったんだよ……!」  大丈夫か。ちゃんと前頭葉あんのか。 「……俺はちょっと嬉しかったのに、忘れてんのかよ」 「ん?」 「なんでもない。ああ、飛び込みゃいいんだろ」  なんだかやけくそな気分になり、俺は着ているものを脱ぎ捨てた。  原田に比べたら貧相な体が恥ずかしくて、それに躊躇ったら恐怖が勝ってしまう気もして、一思いに身を躍らせる。 「――――!」  目は閉じてしまったと思う。  足裏にひやっと冷たさを感じて、すぐに全身を包まれた。自分の体のどこにこんなに空気がまとわりついていたのか、細かな泡が体とは反対に上に上にと上がっていく。  淵は思っていたよりもずっと深くて、青くて、気持ち良かった。  夏の日差しが澄んだ水を透過して、水底に模様を描いている。それは一時も同じ形を保つことはなくて、いつまでも見飽きない。  水面に出てしまうのが惜しいくらいだったが、眺めているうちに息は切れてくる。仕方ない。上がるか。  ――待てよ。  今ここで浮かび上がって、素直に楽しいと認めるのはなんだか悔しい。結局昨日からずっと原田のペースで押されっぱなしなのだ。  ――そうだ。  俺は手足の力を抜いて、ふうわりと水面まで浮かび上がった。そのまま息を潜めて水に身を任せ、ぷかりとたゆたう。  要するに死んだふりだ。  子供じみているとは思うけど、軽くびびらせてやるつもりだった。なにも考えず浮いているのは気持ちよく、悪戯に関係なくしばらくこうしていようと思ったとき、 「天ヶ瀬!!!!!!!!」  大きな塊が水面の凪を破る。  ばしゃ、ばしゃっと水をかく音がして、肩に触れられたとき、火傷しそうなほどの熱を感じた。 「ま、待て待て待て待て! じょーだん、冗談だって。ふり、死んだふり」  慌てて水面に顔を出し、告げる。水の冷たさではなく、焦りで体が冷えていく。さすがにこれはまずかった。いくらからかってやろうと思ったからって、死んだふりはシャレにならない。 「……ふり?」  やり過ぎた。百パー俺が悪い。素直に怒られよう――覚悟を決めたのに、俺が聞いたのは罵声ではなく、大きな安堵のため息だった。 「良かった……!!!」   逞しい腕が、水に浮かんだまま俺を抱きしめる。  良かった、良かった、とくり返す響きには嘘が一ミリもない。そう気がついたとき、どうしてか泣きそうになった。  こんなふうに誰かに、正面から抱きしめられたことなんて、俺、今まで一度だって――  そんな顔を見られたくなくてうつむくと、原田の厚い胸板に額が触れた。気づいているのかいないのか、原田はよりぎゅっと抱きしめてくる。  それで気がついた。  今、俺、パン一だ。セックスさせろって男相手に。 「……天ヶ瀬」  腰に腕が回り、抱き寄せられる。清流は夏でも冷たいほどなのに、明らかに熱を持つ源がある。腰が触れそうになって逃げると、今度は確かに明確な意思を持って抱き寄せられた。 「はら……っ!」  濡髪の向こうで原田がじっとこちらを見ている。ばかみたいにそうめんを頬張っていた顔とはまるで別人の、真摯なまなざし。  その瞳の中に、俺だけが映り込んでいた。 「……、」  身じろぐと、いつの間にかきつく立ち上がっていた乳首が原田の素肌に触れる。思わず息を詰めると、原田もそれに気がついたようだった。片手で腰を強く引き寄せたまま、もう片方の手で赤く染まったそこを摘まむ。 「ん……ッ! この、――!」  抗議しようと振り仰いだ顎を両手で掴まれる。  噛みつくようなキスをされた。 「……、はら、だ……っ、」  冷たい水の感触しかなかった体が、熱を帯びる。ぴちゃ、という水音は、水をかく音なのか、口の中を嬲られる音なのか、わからなくなる。再び背中に回された腕がつうっと背筋をたどり、腰を引き寄せられたとき、そこはもう気のせいでは済まされないほど熱を放っていた。  おお、きい――  恵まれた体格に比例したそれは暴力的ですらあって、俺は我に返った。体は快感で甘くしびれていたけれど、なんとか力を振り絞って原田の腕の中から逃れる。 「天ヶ瀬、――悪い」 「謝るくらいなら、するな」  ぴしゃりと言い捨てると、さっきまでの荒々しい気配はどこへいったのか、しゅうんと、苦手な風呂に入れられた飼い犬みたいに縮こまる。  その姿があんまり哀れで、だから、思わず口走ってしまっていた。 「ここまでだ。……今日のところは」
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