美味しく召し上がれ(受賞記念)

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 毎月第四週の日曜日、美山諒は祖母の経営する古民家カフェを手伝っている。その日は祖母が同じ家の別棟を使って華道教室を開いているので、留守番を請け負うのだ。  所々に色硝子のはまった窓。  今では作る職人もいない、凝った意匠の建具。  三和土に施された小さなタイル。  所謂〈映える〉カフェということで、祖母の店は女性に人気があった。  女性に人気。ということは男性が混ざっていると自然と目が行くということでもある。  ネルドリップのコーヒーを落としながら、諒はカウンター越しに男性客をうかがっていた。  ――あの人確か、先月も来てたよなあ。  そして諒の記憶に間違いがなければ、そのとき向かいに座っていたのは、別の女性だった。  年の頃は自分と同じ二十四、五か、少し上くらい。  ここからでは話している内容までは聞こえないが、それは空気を読まずに大きな笑い声を立てたりしないということでもある。  つまりはチャラっとしたところのない、落ち着いた物腰。艶のある黒髪を適度に遊ばせていて、Tシャツにラフなジャケット姿もこなれている。アンティークの籐椅子に腰を下ろすと少し窮屈そうだから、手足が長いのだろう。  華奢で小柄。高校の文化祭では三年間女装でメイド喫茶をやらされた諒としては、まったくもって羨ましい限りだ。  男の目から見てもかなり「男前だなあ」と感じる男。  ――なのに毎月連れてる女性が違うって……残念極まりない。  しかし客のことをあれこれ詮索するのも褒められた趣味ではない。諒はコーヒーをいれるのに再び集中した。  男であれ女であれ、誰かと一緒にカフェで過ごすっていうのがおれからしたらもう、羨ましいもんね。  いつの頃からか研究が進んで、子供は皆それぞれ「天性」を持って生まれるということがわかっている。  ここでの天性というのは、単なる学術的な呼称で、昔ながらの「なにか素晴らしい才能めいたもの」という意味ではない。  たとえば電話が鳴っただけで相手が誰かわかる、とか。  ご近所の奥さんの妊娠に本人より先に気がつくとか。  そういう比較的プラスの方向のものもあれば、  自分が乗りたいときに限っていつも遅れがちな公共バスが時間ぴったりに来て、絶対乗り遅れる、とか。  個室はいくつもあるのに絶対にトイレットペーパーがあと一周分しかないところに入ってしまう、とか。  調味料の小袋がこちら側のどこからも切れない、とかいうものもある。要するに「あってもなくても困らない」能力だ。  子供時代から特に思春期の間強くなり、最初の性交と同時に喪失すると言われている。  天性の喪失=セックスした、ということだから、もう天性がないことを隠す女子もいる。もともとあってもなくても困らない能力だが、セックスと結びついているという、実に微妙なものなのだ。思春期の少年少女にとって。  ――まあおれはまだ喪失してないけど。  苦々しく事実を噛み締めると、湯を注ぐ手元が狂いそうになる。  諒の「天性」は「味覚が異常に鋭敏になること」だった。  月に一度、一週間ほどの天性期間中、なにを食べても一口で調味料の含有量までわかってしまう。  天性が顕著になる十歳くらいの頃には「特技」と呼んでも良かっただろう。  母の料理を「これとこれとこれが入っていて、美味しい」などと具体的に褒めれば、大喜びだ。ミネラルウォーターの銘柄当てなども百発百中で、家族間の余興にちょうど良かった。  けれど、そんなことを言っていられたのも数年。  母の仕事が忙しくなった頃、皿に盛られたおかずを「あそこのスーパーと同じ味がするね!」と子供の無邪気さで告げてしまった。  以来、母は食事の仕度にストレスを感じるようになり、諒との間には見えない壁ができた。  諒が別居の祖母に懐いているのは、その影響も少なくない。  問題は家庭内だけに収まらなかった。  中・高校生にもなれば、気になる女の子とデートの一つもする。それがたまたま天性期間に当たってしまうともういけない。  ランチに入った店の食事を味わうのを夢中になって、彼女をほったらかしにしてしまう。 「レモン入ってて美味しい~」とご満悦な彼女に「レモンバームで香りつけてるだけで、レモン入ってないみたいだけど……」などと余計な一言を告げてしまう。  人間、料理人でもなければそこまで食材など意識していないものだ。  重要なのは、食べながら好いた相手と会話をするということなのだから。  当然機嫌を損ねた彼女らには振られる。噂は噂を呼び、そもそもお声がかからなくなる。あとはもう、リーマンショックなみの評価額大暴落。  元々天性はたいした能力ではないことが多いし、若いうちに喪失してしまうのが普通だ。なので誰かに愚痴をこぼすこともできない。  いいなと思った女性に本当のことを話すにしても、未経験であることをいきなり自己申告することになる。それはためらわれた。  そんなわけで、社会人三年目の今の今まで諒は絶賛未経験、童貞道を邁進中なのだった。  毎月別の女を連れてくる男が多少気になってしまっても、そこは致し方ないというものだ。 「すみません」  声をかけられて諒は我に返り、レジに立った。女性二人連れ客の会計を済ませ、テーブルを片付けにフロアに出る。  くだんのカップルの席は、女性がトイレに立ったらしく、男ひとりだった。  片付けながらさりげなくうかがうと、女性をとっかえひっかえ、実に羨ましい境遇であるはずの男は、なぜか浮かない顔をしていた。  それさえ絵になる様子で物憂げなため息をついたかと思うと、祖母の選んだころんとしたフォルムのカップを手に取る。  口元に運んだとたん、眉間にきゅっと皺が寄った。そして呟いたのだ。 「……やっぱり、まずいな」  と。
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