美しき被写体

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 ここは僕の楽園だ。  壁一面に張り巡らされた写真に視線を這わせ、僕は薄暗い自室の中で恍惚とした気分に浸る。  気付けば壁紙が分からないほどに、写真の数に膨れ上がってしまっていた。  横顔に笑顔を張り付けた彼。時計に視線を向けて少し困った表情の彼。カフェで昼食を取っている彼。自宅アパートに入っていく後姿の彼――  彼を被写体にすると、どんな場面でもその姿は美しく映り込む。  膨大な写真の中でも彼と初めて出会った時の写真は、僕の一番のお気に入りだ。  桜舞う公園のベンチに、腕を組んでうたた寝している彼の穏やかな姿。  これ以上の写真を僕は今日まで、撮ることが出来ていない。  その日はたまたま写真を撮る練習がてら、僕は被写体探しに公園を歩いていた。  そこにベンチで手足を組んで俯き気味に、眠りこけている彼が目に留まったのだ。  季節は春。桜の花びらが風に流され、彼の周囲で踊っていた。寝てしまうのも頷けるような暖かな陽気に僕は自然と笑みが零れ、気づけばシャッターを切っていた。数枚撮って確認すると、その写真は自分が思っていた以上の出来栄えの良さで驚く。  彼の綺麗に整った顔立ちが桜の花びらによって幻惑的な影を落とし、柔らかな日差しが斜めに射している。スラっとした体躯に合ったスーツに、綺麗に整えられた眉を僅かに眉間に寄せて、大人の魅力をさらに引き立たせていた。  高校生の僕には到底、相手にはされないような人種に違いない。僕は話しかけたい気持ちをぐっと呑み込んで、桜の木に被写体を移してシャッターを切っていく。  撮った写真を確認しては、さっきよりもいい写真は何度撮ったところで再び捉える事が出来なかった。もどかしさに僕は歯噛みする。
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