九、時をつなぐ夢

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 本番まで残すところあと一週間となった。  今日で助六の公演が終わる。桜の季節から始まり、梅雨も明けた今まで、芝居小屋は連日大入り、大盛況だった。この勢いを保ったまま、夏芝居につなげていければいいと煌は思う。  最後ということで、煌と識、十夜は客として升席にいた。  そういえば最後までじっくり観たことがなかった。  やはり君菊演じる揚巻はすごい。登場しただけで観客が沸きに沸く。彼を取り巻く空気、視線、歓声、すべてを受け止めながらも君菊は一輪の花のように凛と舞台に立つのだ。  八代目の助六も見事だった。  蛇の目傘が翻って、力強く堂々とした口上。  圧倒的な存在感を誇るその姿はやはり一座をまとめあげるにふさわしい。  君菊という華と、八代目市川團十郎という主役。  彼らは芝居で、どのくらいの人々の心を揺さぶってきたのだろう。  芝居は時に人の心を動かす。勇気を与える。つまらない日常に、つらい現実の中で、ほんのひととき楽しんでもらえたら。元気になってもらえたら。  煌が役者を志したのも、とある劇団の地方公演を観て感銘を受けたからだった。自分の将来について、ただ漠然と考えていただけだったあの頃の自分に、道を指し示してくれた。あんな高揚は初めてだった。  自分も舞台に立ちたい。人に何かを感じてもらえるような役者になりたい。  今までこの感覚を忘れていた。なぜ自分が役者になりたかったのか。その答えを。    夏芝居は毎年若手だけで行われ、人気役者は登場しない。代わりに安価なので、通常の芝居よりは敷居は高くないだろうと思う。問題なのはその認知度だ。  なるべく多くの人に来てもらいたかった。  一人でも多くの人に知ってもらいたい。  通常の芝居小屋と同じように、盛り上がってもらいたい、楽しんでいってもらいたい。  気持ちが先へ先へと後押しする。 「何か宣伝したほうがいいかもしれない」  稽古の合間、煌はそう言って汗を拭う。初夏の稽古場は窓を開け放しているとはいえ暑かった。 「ビラを配るってもな、印刷なんてないし」  十夜は元気が有り余っているのか木刀を軽く片手で回している。  識は涼しげな顔をして扇子を仰いでいた。その表情とは裏腹に、さっきから一言も口をきかないところを見ると、かなり暑さに弱いらしい。  煌は考え込みながら窓の外を見遣った。  暑くなりゆく往来でも、人がひっきりなしに行き交っている。  今市村座では演目は行われていないものの、芝居小屋は他に二か所ある。加えて芝居町を一目見ようと観光目的で訪れる人々も多い。人が途絶える暇など無いに等しかった。 「俺さ、この前日本橋に行ってみたんだけど、芝居町に負けねぇくらいの賑わいだったぞ」 「浅草もそうだし、もったいないよな。宣伝するに絶好の場所も人も揃ってるのに……」  ふと煌にある考えが浮かんだ。 「俺たちが広告塔になればいいんだ……!」 「俺らが宣伝して歩く、みたいな?」  十夜の目が輝き出したところで、識が初めて口を開いた。 「悪くない。目立つことをするのは好きだ」  扇子をぱちりと閉じた識の目に不敵な光が宿る。  やはり自分がしっかりしなくてはと気を引き締める煌だった。
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