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「アラーナ・・・・・・?」  アルベルトは、微睡ながらぬくもりを探して手を彷徨わせた。その手に当たる感触は冷たく、手の届く位置に大切な宝物がないことに気付く。 「アラーナ!」  勢い起き上がったアルベルトの目に映るのは、使ったことのなかった王と王妃の部屋のみで、人の気配はなかった。 「・・・・・・、いないのか・・・・・・」  空虚に響いた言葉にアルベルトは失笑する。 「大事な女を傷つけて、何が国王だ――」  吐き捨てるように呟いた言葉は、何よりもアルベルトの心の叫びだった。  シーツを掴むと、アルベルトは立ちあがる。  どんな気持ちでこの部屋を去ったのだろうか。アラーナが目覚めるまで起きておくべきだったのだ、気持ちも何も伝えていないのだから――。  アルベルトは事が終わった後でアラーナが起きた時に不快な思いをしないように温かい湯で絞った布でアラーナを拭い、隣の王と王妃の寝室に運んだ。寝室は、二人の行為の色んなもので使える状態ではなかったからだ。  眠るアラーナの横に潜りこんで、アラーナを抱きしめていると、何故かとても気持ちよくて、知らぬまにアルベルトも眠ってしまったようだった。  時計をみると、まだこの部屋に入ってから四時間ほどしかたっていなかった。  それなのに、このスッキリとした充実感は、今から徹夜で仕事だって出来そうだ。  アルベルトが睡眠障害を患ったのは、まだ子供の頃だ。母親が突然いなくなってしまったのが原因だったはずだが、そのころのことはあまり覚えていないので、本当にそれが原因だったのかはわからない。気が付いたら、眠りに落ちるまでに時間がかかり、眠っても浅く、疲れてしまうことが多くなった。薬を常用し日常生活には問題はないが、時折イライラとして自分の感情を抑えることが出来なくなることもある。  アラーナがいた二年間は、薬の量も減り、国王としてやるべきことのほかにも沢山の政策を発案し、それが実現していくことがアルベルトのやる気を引き出して、どんな懸案であっても楽しかった。 「それを私は・・・・・・」  母親に会いたくない一心で、アラーナを傷つけ、遠ざけてしまったのだ。  アラーナは、一つだって悪くない。アラーナのことを考えてると申し訳ない気持ちで一杯になる。  アラーナのためにと考えて贈った伯爵位は、多少は彼女の役にたったのだろうか。それともやはり邪魔でしかなかったのだろうか。  毎年、カシュー・ソダイがアラーナの元に行き、伯爵位の更新をする。帰ってたカシュー・ソダイからアラーナ様子を聞くことがアルベルトの密かな楽しみだった。  レイモンド・エンディスに後見を頼んだのはアルベルトだった。シエラの考えかカシュー・ソダイの考えかはわからないが、グラスエイトに一緒に住んでいる二人が寄越す手紙や報告書にアラーナの日々が充実したものだとアルベルトは知っている。  それでもいつか、誰かの花嫁となり、アルベルトの元にアラーナ自身が報告に来ることを待っていたような気がする。アラーナが幸せになって初めて、アルベルトも前に進めるような気がしていたのだ。  今年のカシュー・ソダイは、何故かアラーナの元から帰ってきてから楽しそうだった。報告では、今年も沢山の求婚者に戸惑っているとしか聞いていないが、きっと何かいいことがあったのだろうと思っていた。もしかするとアラーナに恋人でも出来たんじゃないだろうかとアルベルトは思っていた。カシュー・ソダイも例に漏れず、アラーナのことは自分の娘のように思っているふしがある。  そのカシュー・ソダイの百合の紋章をつけた馬車で、美しい貴婦人がやってきてカシュー・ソダイの部屋に泊まるようだと聞いたから、アルベルトはヴァレリー・マルクスを巻いて宰相の住処を訪れたのだった。  アラーナだと思っていたわけではない。  訪れた宰相の部屋で襲われていたアラーナを助けられたことは、後で神殿にいって神に感謝しなくてはならないだろう。一時間後だったら、アラーナはリシェール・バルサムに最悪の形で奪われていたことは想像に難くない。。  助かったアラーナは、クリアリス侯爵夫人の元にいくつもりだと言った。あの、女喰いと有名なあの、マリアベラの元にだ――。まぁ、男に心底愛想をつかした女が望んでいくと聞くが、アラーナのことだから、あまり知らないのだろう。女の味方だが男の敵だと聞いている。  それにしても、穴を開けてもらって来いとは、凄い女だ・・・・・・。  アラーナは、たった四年で随分変わっていた。胸の大きさが最たるものだが、もしあの時アルベルトが折れて、アラーナを妃にしていれば、その成長の全てを自分の腕の中で見ることができたのに、と思わないでもない。  風呂で三回ほど抜いてきたお蔭で何とかみっともないことにもならずに、アラーナを抱くことが出来たが、アラーナはそれでも痛そうだった。真っ赤な血が、彼女にとって自分が最初の雄であることを証し、アルベルトは妙に興奮してしまったが、医者にみてもらったほうがよかったのだろうかと少し心配になる。  アルベルトは、想いに耽りながら自身の部屋に戻った。  この寝室は唯一アルベルトが寛げる部屋だった。アラーナにこの部屋を見せることは恥ずかしくなったわけではない。未練がましいと思われているだろう。  アラーナの顔がこの部屋に入った瞬間に驚きと喜びに溢れたのを思い出すと、恥ずかしいよりもくすぐったい気分になる。  アラーナが初めてアルベルトのために刺繍したハンカチ、沢山の花々を織り込んだ刺繍のタペストリー、二人で散歩したときに摘んだ花で作ったドライフラワー、アラーナの描いた絵と詩。  自分が追い出した女のものをいつまでも飾っている女々しい男だと呆れられたかもしれないが、アルベルトは構わなかった。 「アラーナ――・・・・・・」  愛していると、告げてしまった。もう、アラーナを抱くと決めた時点で、薬を渡した時点で、覚悟はしていたが、その言葉を告げることは勇気がいった。  けれど、アラーナには「言わないで」と拒否されてしまった。  アラーナは、アルベルトの「愛している」という言葉で本当に辛そうな顔をしたので、アルベルトはそれ以上は何も言えなかった。自身の想いをぶつけるように、アラーナを抱いてしまったが、想いは伝わっていないだろうとアルベルトは、思惟に耽る。 「愛してるんだ・・・・・・」  アルベルトは、侍従を呼ぶと用事を命じて、風呂に入った。スッキリした顔で戻れば、命じたものを用意して部屋を訪れた宰相が待っていた。 「お前の計画通りだろう?」  皮肉気なその言葉に、カシュー・ソダイは「いえいえ、あなたの頑固さには計画が狂いぱなしですよ」と呆れたように笑い、アルベルトの望みのものを渡す。 「いってらっしゃいませ・・・・・・」  カシュー・ソダイは、慇懃なほど丁寧に頭を垂れ、自らの主人であるアルベルトに花束を渡した。薄紅色のその花は、カシュー・ソダイがアラーナを訪れる時にいつも携えていた花だった。  アラーナの好きな花、アラーナが温室で育てていた花だった。それをアラーナが去ったあともアルベルトが育て、今や温室の一角を占拠するほど咲き誇っている。 「ああ、いってくる」  アルベルトは、花束を抱えて、昼間訪れたカシュー・ソダイの部屋に歩みを進める。アラーナが微笑んでくれることを願って――。 *  *  *  アラーナは目覚めた時、ぬくもりに包まれていた。素肌で触れる人肌は、恥ずかしいというおもいよりも心地よさのほうが優っていた。腕枕はいささか硬いが、アラーナはアルベルトの胸にすっぽりと収まって、まるで自分がアルベルトのために生まれてきたように感じられた。 「私は思い込みが激しいのね」  クスッと笑えてしまう。初恋という想いだけで、国王であるアルベルトに抱いてもらえたのだから、大したものではないだろうか。  アルベルトを起こさないように寝台から降りると、アルベルトが注いだものが降りてくる感覚にゾクッと震えた。  子種をもらっても薬が効いているから、子供は出来ない――。自分のした行為が、少しだけ切なくなってしまうのは感傷だろうか。 「アルベルト様、ありがとうございます」  アラーナは寝台の横の椅子に置かれていた自分の着てきたものを身につけて、部屋を出た。  王と王妃の部屋を出た瞬間に、崩れ落ちそうになり、しゃがみ込んでしまった。 「アラーナ!」 「シエラ!」  抱きしめてくれるシエラにしがみつき、アラーナは笑顔のまま少しだけ泣いた。 「アラーナ、大丈夫?」  シエラはほかに何と声をかけていいかわからなかった。 「ええ。もう、いいの――。もう思い残すこともないわ――」  アラーナはシエラから見ても無理をしているようには見えなかった。 「アラーナ、歩ける?」  頷いたアラーナは、確かに自分で歩いてはいたが、少し歩きづらそうだった。シエラも覚えのある痛みのせいだろう。  部屋に戻ったアラーナに風呂を進め、客間の寝台にまで送り届けると、「今日はもう夜会も出ないと欠席の返事をしているから、ゆっくりしてね。夜ごはんは、後で持ってくるわね」  まだ夕刻と言っても早いくらいの時間だった。アラーナの話し相手になるべきかゆっくり休ますべきか考えて、シエラはアラーナを一人にすることにした。アルベルトはまだ寝ていたというから、カシュー・ソダイに相談するべきだろうと、部屋を出た。  アルベルトはアラーナが風呂に入っている間にシエラを呼び、お水や布を用意させて待たせていたのである。  シエラは二人が寝ている間も心配しながらまっていたので、少しだけ疲れてやつれてしまったように自分で思えた。  アルベルトのアラーナへの気持ちはもう聞いている。だから、シエラは待つだけだ。  大事な二人が幸せになるための下準備は既に整っているのだ――。
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