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今年、私は3年生のクラスを受け持っているのだ。高校三年間の大事な締め括りの日、その卒業式、彼らの門出をどうすればいいのだろうか。そんなことばかりを考えていた。
代理を立てなくてはならないかもしれないとか、校長とその辺りのことを打ち合わせなくてはならないとか、生徒達には門出の言葉をどう伝えるべきだろうかとか、伝えるなら手紙なのか、ビデオレターなのかとか。
現実的ではあるけれども、実際に起こることとして、本当に考えられていたのかと言われるとそうではなかった。まるで他人のことのようにそれらのことを考えていた。
受付で支払いを済ませ、ロビーを通り抜け外へ出る。真っ直ぐに続いている並木道を通り、雑音に埋れた街の交差点を渡る。
野良猫の昼寝を眺め、いつもと変わらぬ空を見上げる。
見慣れた自宅マンションに辿り着き、自分の部屋に入り、草臥れたソファーに座るまで、私はずっと卒業式のことを考えていた。
ソファーに座った時、現実として襲ってきた恐怖は一瞬だったと思う。
ぼんやりと『そうか死ぬのか』と小さく溜息を吐くように呟いていた。
次の瞬間には仕方がないと思えていた。
いつか人は死ぬのだし、それが少しだけ早まっただけの話なのだ。
否。
明日死ぬ可能性も否定はできないのだから、早まったとも言えないだろう。
病気で、ガンで死ぬという確約があるわけでもないのだ。
明日、いや今日。
今から事故に遭って、通り魔に遭って死ぬかもしれないのだ。
つまり、他人より少し死ぬ確率が高まっただけだ。
兄弟姉妹もいないし、両親も亡くなっているし、祖父母も亡くなっている。
よって残す者がいない。
葬儀なども大規模なものにならなくて済むわけだし、喪主をして頂く人や葬儀を手伝ってもらう人などには、迷惑をかけてしまうが、それは少し許して頂くとして。
とりあえず、金銭的にもいくらか余裕はあるし、保険にも入っている。誰かに多大な迷惑をかけることにはならないだろう。
などと考え始めてしまえば、あとは仕事のことをどうするのかといった具合に考えが進んでいけた。
生きていたところで、幸せなわけでもないのだから、今ここで、この辺で死んでも特別悔いは残らない。
ただ出来るのなら、彼らの門出をきちんと見届けたい。それが叶えられれば本当に幸せだ。神の罰は重すぎる気もするが、受け止めるしかない。
残された日々があるだけ幸せなのだ。
大したことではない。
「舞くん、おはよう」
その声に私は現実に引き戻された。
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