序章 クロノス・カタストロフィ

21/51
前へ
/51ページ
次へ
  食堂には、歯車仕掛の使い魔がすいすいと行き交っていた。低めのテーブルと、横長のベンチ椅子が用意されていて、生徒たちが敷き詰められるように座っていた。   食堂の天辺には、シャンデリアがあって、室内を煌々と照らしている。 「食券なんて、初めて買うなあ」   司は魔法のかかった食券の前にお金を置いて、呟いた。   随分並んでやっと辿り着いた頃には、魔法の食券機の券は随分減っていた。   司がカレーライスの食券を取ると、お待ちください、という女性の声だけが聞こえた。司はヤクートにこれがどういうことかを尋ねた。 「待ってりゃ、その場所に使い魔が運んでくれるよ」 「そうなんだ。虚数世界では、これが普通なの?」 「うん、だいたいそんな感じ」   ヤクートは、ケバブ、と書かれた食券を取り上げた。   ユリィは、少し迷って司と同じカレーライスの食券を取って、ニッコリ笑った。  司は、また、頰がピンク色に染まっていく自分に気づいて、あわてて顔を背けた。  ユリィは泣きべそをかく手前の顔になった。   司はあわてて、微笑みかける。   ユリィの顔は安堵に染まった。 「隅に座ろう、完全アウェーだ」   ヤクートの言う通りだった。  食堂中の敵意を、三人が一手に引き受けているように感じる。  司は辺りを見渡して初めて敵意に気づいた。  食堂の格子越しに見える自分の顔が呆れているのに気づいた。 「お前、やっと気づいたのか?」   ヤクートも呆れ顔だった。 「本当に、大物だなあ」 「大物なんかじゃないよ。三対一の有利な戦いに参加して、勝利に貢献しただけじゃないか」   司は浮かれた気分を完全にしぼませ、冷静に、やや悲観的に試験を分析し始めた。 「でも、本当に平井君がいなかったら、勝てなかったよ」   ユリィはサラダの券も取り、召喚獣を一匹、呼び出した。   突然、ユリィの肩に乗っかったのは、赤い小鳥だった。 「お野菜が来るまで待っててね、シャルシャ」   鈴の音のように綺麗な声色で囁いて、ユリィはシャルシャと呼んだ小鳥の鼻先をこしょこしょくすぐった。   司はシャルシャをじっと観察した。 「ユリィ、その小鳥、シャルシャは、難易度の高い召喚魔法で呼び出されるものじゃないかい?」 「あ、う、うん、中級の後半くらい。私、これくらいしか取り柄がないんだけど」   ユリィの頰はすっかりピンク色だった。 「おいで」   司は興味津々の極みで、シャルシャに向かって手を伸ばす。   ユリィは驚いて、シャルシャを遠ざけようとした。 「召喚獣は、召喚主以外には懐かないよ?  って、シャルシャ?」   シャルシャは、差し出された手に飛び移って、親しそうに司の頰に顔をこすりつけた。 「いつもなら、手を小突き回すのに……」   代わって、ヤクートが手を伸ばすと、案の定、小突き回された。  ヤクートはあわてて手を戻しながら、恨めしそうにシャルシャをにらんだ。 「こいつ、さては主人の心に同調してるな?」   ヤクートが悪態を吐くと、ユリィはぽかんとしていたが、やがて、顔をりんごのように赤くした。   司は、少しその意味を考えていたが、ぼんやりとしか分からなかった。 「ヤクートと、ユリィはもしかして、仲が悪いの?」   司はやっと導き出した答えを口にする。ヤクートは、にやにやしながら首を横に振り、ユリィはかなりの勢いで縦に振った。 「すっごい、仲良いぜ!  なんたって、ガキの頃から落第仲間だ」 「もう!  でも、もう落第仲間じゃないもの!  平井君がいるし!」   ユリィは、ヤクートにむかって舌を出し、次に司に笑いかけた。 「小さい頃から、一緒だったんだ……」   司は自分の声のトーンが明らかに落ちたのに気づいた。司は自分の声の調子に、少し驚いた。  「二人は友達だったんだね?」 「おう、人種も家も遠かったんだけど、同じ先生に習ってたんだぜ。  その先生が、やけに、大事に育てる大事に育てるってうるさかったんだよ。  そのせいで魔法を教えてくれないから、今まで落第続き」 「ま、まあ、虚数世界の法律では、十二歳にならない子供には魔法を教えちゃいけないんだよね、本当は。誰も守ってないけど」   ユリィは、穏やかに笑った。 「じゃあ、落第って?」 「派閥が決めるの。才能があるか、ないか」   司が、尋ねると、ユリィはちょっと肩を縮めて答えた。 「ヤクートと私、ディスエルの派閥が一番、弱っちいんだ。  その中でも、最弱の最弱が、私たち三人、才能なし」 「派閥は三つあるんだけど、その中でも最高の最高があいつら」   ヤクートは、ちらりと対角線上にいる四人を見つめた。  司たちを散々からかった少年が、苛だたしそうに食事をフォークで突き刺している。 「対照的ってわけか。でも、くだらないことだって、今日証明されたね」   司は、頬杖を突いた。   向かい側のヤクートと、ユリィに向かって笑いかける。 「君たちは落ちこぼれじゃないよ。君たちが一番の点数を取ったんだから」 「なんで分かるんだ?」   ヤクートはキョトンとしていた。 「どう考えてもそうでしょ?」 「まだ分からないじゃないか」   ヤクートは、司の言葉にあまり根拠がないのに気づいたらしく、ちょっと残念そうだった。   司は重大な勘違いに気づいて、あわてて手を振った。 「ごめんごめん、僕の中で一番の点数だったってこと」 「お前、本当に大物だよ」   ヤクートはいっそ、感銘を受けてしまったのか、両手を投げ出した。 「でも、みんなだって、どのチームが一番かな、って考えてたでしょう?」 「たしかに、それはそうだけど」 「僕は、よくわからない審査員の先生に評価されるより、すごくいい人だなって、感じた君たちに評価される方が、嬉しいよ」 「筋が通ってるんだか、通ってないんだか……」 「平井君って、おかしな人ですね」   司は、目を丸くする二人にそれぞれ視線を向けた後、戸惑いを隠せない自分に気づいた。 「ここの人は、ほかの人の評価を気にしすぎてる気がするな。  ここで、例え退学になったって、君たちが素晴らしい魔法を使えるのは変わらないのに」   自分の意見を述べてみると、二人は一層に唖然としたようだった。 「じゃあ、なんで、司はここに来たんだ?」 「うん、君たちのような人に会いに。もちろん、魔法も学びたかったけどね」   司は厨房の方を気にしながら、頷いた。 「僕は、僕の家族を探しているんだ。  家族が、素晴らしい人だといいな、って考えてたけど、ちょっと今は不安かな。  こんなに自己中心的な世界に生きる人が、素晴らしい人の可能性は低いでしょう?   見る限り、自己中心的じゃないのは君たちくらいだし、ということは、君たちと友達になれるくらい、家族がいい人である確率は少ないなって」   ヤクートとユリィは、ちょっと司の言うことが分からないようだった。   その時、食事がようやく三人のところに運ばれてきた。司は、カレーライスを受け取った。   ユリィはサラダから、トマトを取って、シャルシャに渡す。  シャルシャはくちばしの先で器用にトマトをついばみ、やがて飲み込んだ。   司はカレーをすくって口に運んだ。   少し独特な味がした。   その内に慣れるだろう、と感じながら、司はカレーをまたひとさじ掬った。 「家族がいないって、お前も貴族だろ?」   ヤクートは聞いてしまった後、どうやら後悔したらしく、ひどくまごついた。 「うん、でも、貴族ってどういうことなんだい?」   司は何一つ気づかないような顔を装って、尋ねた。 「そりゃあ、魔法が使える家系だよ」 「なんで、そんな違いがあるんだろうね」 「考えたこともなかったよ」   ヤクートは安心したようなそうでないような表情で、首を振る。 「貴族って言葉も、なんとなく気に入らないね。自分たちを特別視しているみたい。  魔法が使えようと使えまいと、おんなじ人間なのに」   司はもうひとさじのカレーを掬い上げて、口の中に入れた。  やっぱり、独特な匂いがする。  司はスプーンを置いて、頬杖を突く。 「何言ってんだよ。魔法が使えた方が絶対偉いだろ?」 「魔法だって、個性の一つだよ。力があるから偉いなら、ミサイルを使える人の方が偉いだろ?」 「ミサイルって、召喚獣?」   ユリィは、ぱちくりと瞬きをしている。司は、なんと説明しようかと考えて、 「人を大量に殺す兵器」   と、包み隠さず言った。   ユリィは怯えて肩を縮めてしまった。 「実数世界では、そんな恐ろしいものを研究しているの?  なんだか、怖いんだね」 「魔法だっておんなじでしょ?」   司は首を傾げてみせる。ヤクートはとんでもないというように、肩を怒らせた。 「魔法は、みんなを守るためさ!」 「うん、ミサイルだってそういうふうに思いながら作ってるかも」   司は、力説した後に、後悔した。魔法の世界に住む人に、こんなことを言ってしまったら、反感を買うに決まっている。 「やっぱり、司は変な奴だな」   ヤクートはケラケラ笑った。   冗談か何かだと思ったらしい。ユリィも、なんだ冗談か、という顔をしていた。   と、ユリィは、司の背後を見て目を丸くした。   司は自分の傍から手がにゅっと伸びてくるのに気づいて、身を引いた。すらりとしていて、雪のように白い手だ。   白い手はミニトマトをつまみ上げたかと思うとピンク色の唇の中に放り込んだ。   誰かと思えばディスエルで、美味しそうにトマトを噛みしめている。 「君たちは、毎日こんなものを食っているのか、うらやましいな」 「おいこら、お前は何しにきたんだよ。どうせ、本の買いすぎで食費がないんだろうが!」 「そ、そんなわけがないだろう。ところで、平井司」   ディスエルは司の両肩に手を置いて、耳にふうっと息を吹きかけた。  司はぞっとしながら、身体を逸らそうとしたが、ディスエルの腕は司をがっしりと掴んで離さない。 「本の買いすぎでお金のない私に、何か食事を恵んでくれる気はないか?」 「お前、やっぱり、金ないんじゃねえか」   ヤクートが思いっきり鼻を鳴らすが、ディスエルはどこ吹く風だった。 「カレーの残りでよければあげるよ」   いい加減、スパイスの匂いや辛さに耐えかねた司は皿を横に押した。  ディスエルは急いで皿を抱え上げ、スプーンを奪い取った。必死でカレーを喉に流し込むと、司の横に座り込む。 「平井、君はいい奴だ」   ディスエルは大して感謝してもいないような口調で告げると、カレーの皿を使い魔に放り投げた。 「お前、将来ちゃんと金を返してやるんだぞ?」   ヤクートは頭痛を堪えるような様子で、呟いた。   ディスエルは水のボトルを探して、手を彷徨わせている。  顔色が悪く、本当に調子が悪いのか、机にべたりと頰をくっつけ、「うう」と呟いた。 「み、水」 「持ってくるよ。待ってて」   司はあわてて立ち上がった。  辺りに視線をさまよわせると、食券のあった場所に、水のボトルが置いてあって、フリーと書かれていた。  司は急いで、水のボトルの方まで走った。   その途中、足を引っ掛けるつもりだったのか足が差し出されたが、司は飛び越えた。   舌打ちを背中に受けながら、司は走った。   戻る時は、三本の足が途中に立ちはだかったが、司はやはり、飛び越えた。   水が少し跳ねて、足の持ち主の顔を濡らしてしまったので、慌てて謝り、また舌打ちを食らった。   舌打ちは無視して、司は机に戻った。   そのまま、コップを渡すと、ディスエルは目にも見えない速さでひったくって、水を喉に流し込み始めた。   流し込んだ後、ディスエルは目を閉じて眠り始めた。 「あー、あと、三十分で、結果が出るんだってさ」   なんだかおかしな雰囲気になってしまったのを断ち切るように、ヤクートは司に告げた。  どうやら、水を取りに行っている間に、伝達されたらしい。 「なんか、不安になってきた」   ヤクートは肩を落として、拳を握りしめた。 「俺がやったの、森を出すだけだし、俺だけ入学できないかもしれない」 「私も、召喚獣出して、後方で待機していただけだし、もしかすると、平井君だけ、合格かもしれない」   二人は突然に憂鬱になったのか、肩を縮めてしまった。 「大丈夫だよ。多分、四人とも受かるさ」   司は少しも不安を感じなかった。   ディスエルの落ち着いた様子を見習ってほしいものだと思いながら、シャルシャの頭をくりくりと撫でる。   シャルシャは気持ち良さそうに目を細めている。 「やっぱり、変な自信だよな」   ヤクートはユリィに同意を求めるように水を向けた。 「もしかして、平井君はナチュラル・ボーン・オムニサイエンスなの?」   ユリィは期待と、困惑の入り混じった声で尋ねた。   司は自分がきょとんとするのに気づいた。   ユリィはヤクートと目を見合わせた。 「ナチュラル・ボーン・オムニサイエンス、生まれついての全知です」 「全知って、あはは、まさか!」   司は、ちょっと馬鹿にした響きを自分の声の中に見てしまって、口を塞いだ。   ヤクートとユリィは、いっそ安心した様子だった。ほっと胸をなでおろして、また親しげに司の方を見てくる。 「なんか、安心したみたいな」   二人の顔を見比べながらそう呟くと、ユリィがディスエルの方を気にして声を落とした。 「だって、全知の人が一緒だと、なんでも、分かっちゃうんだよ?  やっぱり、怖いじゃない?」 「今履いているパンツが、赤色のレースだってこともバレちまうもんな」 「ち、違うもん!  ちゃんと普通の履いてるもん!」   ヤクートの茶々に、ユリィは耐えかねて立ち上がった。 「大丈夫だよ。分かってるから」 「お前、やっぱり分かってるんじゃ?」   ヤクートがにやにやしながら司に肩を寄せる。 「うん、分かってるかも」   司は少し考えたあと、ヤクートに向かって笑い返した。   ユリィは、ひぃっと喉を鳴らした。 「冗談だよ、ユリィ」   司はまた頬杖を突いて、ユリィに向かって笑いかける。 「もう、ひどいよ。」   ユリィはシャルシャをひったくって、そっぽを向いてしまった。司は助けを求めて、ヤクートを見つめる。  お手上げ、のポーズをしていたので、司は声を殺して笑った。 「ごめん、ユリィ、でも、僕は多分、預言者とかじゃないかな。預言者だったら、もう少し、ましな人生を送れたかもって」 「司は、日本人なんだろ?  日本って、裕福じゃん。不幸だったのか?」 「経済大国の人間だって、不幸な人は不幸だと思うよ。まあ、僕の不幸なんて大したことじゃないさ。その不幸のおかげで、好き勝手できた場面も結構あったからね」   ヤクートは、司の両親がいないことを今更思い出したのか、咎めるような視線を向けるユリィに、苦笑いを返していた。   司はあんまり気にしなかった。 「両親は、ラビニアって先生が探してくれているらしいんだ」 「へえ、そうなのか。あの、厳しそうな先生がねえ」 「私もちょっと意外だな」   ヤクートもユリィもちょっと首を傾げていた。 「でも、どんな方法で探してるんだろうね?」   司は、ふと気になって二人に尋ねた。   もちろん、二人に聞いたって分かるわけがないのだが、魔法世界ならではの方法なら知っているかもしれない。 「全知のスキルを持っている知り合いに当たってみる、とか?」   ユリィは自信なさそうに呟いた。 「全知って、そんなにたくさんいるの?」 「いや、世界に七人くらい。半全知は、結構たくさんいるらしいけどね」 「半、全知?」   司はホークが自分を半全知だと言っていたことを思いだした。  ホークと同じくらいすごい人が結構たくさんいるのだと思うと、びっくりだった。 「まあ、半全知だって、すごい難しい条件が揃わないと発動できないものがあったり、手軽だけどその分、全知のカバーする範囲がすくない、とかいろいろあってさ。  言うほどすげえもんじゃねえのさ」   ヤクートは長々と説明したが、司は少し混乱した。全知に範囲なんてあるのだろうか。  全知は全てを知っているから全知なのではないか。 「そこら辺は、授業で習えると思うぜ、それより……」   ヤクートが振り返る、ラビニアが食堂にゆるゆると入ってきた。   両手を腰のあたりで合わせ、ホールを見渡す。   一拍、間を置いたあと、ラビニアは厳かに口を開いた。 「では、一人ずつ名前を呼びますので、可否のシートを取りに来なさい!   なお、シートには、少し水準の低い生徒に対する補習の要否も書いています。  要と書かれた人は、補習の日時を追って知らせます!  では」   ラビニアは名前を呼び始めた。   ユリィがびくびくと肩を震わせる。  まるで、ラビニアがしゃべるたびに、否、と言われているような様子だ。  司は、でも、あまり心配していなかった。心配したところで、結果も変わらないし、間違いなく、ユリィは水準を超えていたと思う。   司は、ぼんやりと、自分の結果を考えてみた。   魔法の技能では、間違いなく誰よりも低い。   けれど、機転だけでその差をひっくり返した。だとすると、入学否はなくとも、補習は受けなければならないかもしれない。   補習はどんなものだろうか。   みんな、補習を嫌がるけれど、未熟は承知なので、そんなに嫌ではなかった。むしろ、学ぶ機会が増えるなら万歳だ。   一番最後に試験を受けたせいか、どうやら四人の名前も最後に呼ばれることになるらしい。司はじっと待ち構えていた。   けれど、補習は惨めかもしれない。   少しそんな考えがよぎった。   間違いなく、補習を受けていると知られれば、からかわれる対象になるだろう。本物の学校生活は経験がないから、本当にそうなるかは分からないが……。   そう思うと、少し心臓が高鳴ってくる。   大丈夫だとは思う、でも、やっぱり、何かダメなところはきっとあって、思った以上にラインが高いところにあるのかもしれない。   隣のヤクートを見ていると、へらへらしてはいるものの、余裕がなさそうに辺りをキョロキョロしていた。  司と目が合うと、情けなく笑いながら、「大丈夫だって」と励ましてくる。   司は、ニヤッと笑いかえすことにした。   まず、ユリィの名前が呼ばれた。   ユリィは心臓を吐き出すのではないかと思うくらい顔色が悪かった。   機械仕掛けの人形を思わせる動きでラビニアの方へと歩き、紙を受け取った。  ラビニアは、ユリィの肩に手を置き、喜ばしそうに微笑んでいた。  ユリィは一メートル近く、喜びのあまり飛び上がったように見えた。   ウサギのように、こちらに飛んできて、司に飛びかかったかと思うと、首が締まるくらい強く抱きしめてきた。  司は脳がひっくり返ったような気がした。顔が沸騰しそうなくらい熱かった。   ユリィはあわてて離れ、額が割れるくらいの勢いで土下座をした。   司は何も言えずに、口をただ開けているしかなかったが、ユリィが怒ったのかと聞いてきたので、首をぶんぶんと振った。   その間に、ヤクートの番が回ってきた。   ヤクートは出来る限り威厳を保とうと胸を張っていたが、逆効果だった。  ダチョウが歩く様子によく似ていた。誰彼となく、それを揶揄されて、喧嘩っ早く飛びかかろうとしたがラビニアが睨みつけたので、すぐにやめた。   ヤクートは紙を受け取った。   ラビニアはユリィの時と同じ表情でヤクートを見つめた。ヤクートは、紙をめくって、飛び上がった。   ざまあみろ!  と、自分をののしった生徒たちに睨みを利かせ、ヤクートはこちらまで走ってきた。   からかい損だと思ったのか、生徒たちは歯噛みしていた。   司の番が来た。   司は少し安心していたが、いざとなると、心臓が高鳴って仕方がなかった。   ヤクートとユリィが元気づけるように背中を押した。   司は重い足を無理やり引きずった。   誰も、司を笑わない。どころか、恐れるように一歩引いた生徒さえいた。司は一度、辺りを見渡した。 「なんだ、当てつけか?」   対角線上にいたコンクエスタが、肩をそびやかした。   司は、意味が分からずに、ラビニアに向かって問いたげな表情を投げかけることにする。どうやら成功したらしいが、ラビニアは答えなかった。   代わりに、用紙を差し出した。   紙には大きく、可、と書いてある。   その下に、     戦闘座学講習(要)。   時間魔法補習、(要・任意)     と書かれていた。   戦闘座学『講習』と、書かれている。   補習ではない。 「よかったですね」   ラビニアはそれだけを言って、司たちがいたテーブルまで歩いていった。ディスエルの所に向かったのだとすぐに分かった。   ディスエルは紙を見て、口をへの字に曲げたが、ヤクートとユリィが喝采をあげていたので、どうやら受かったらしい。  ディスエルはまんざらでもなさそうに、用紙を自分の胸元に突っ込んだ。   ユリィがあわててディスエルを叱ったが、他に物が入れられる場所がない、らしき言葉を放って、ユリィの口にレタスを突っ込んだ。   ユリィは頰をもごもごさせていた。   司は三人のところに戻ることにした。   ラビニアと入れ替わるように席の前に立つと、ヤクートがニヤリと笑った。続けて、胸にこつりと拳を当ててきた。 「やったな、全員、入学だ!」 「ほんっとうに、よかったあ!」 「私は何もしていないのだが?  なぜ、入学可なんだ?」 「僕、分からないけど、でもディスエルがいなかったら、あれは切り抜けられなかったよ?」   四人はそれぞれの言葉を交わしたが、なんだか可笑しくなってけらけら笑いだした。 「さて、次の重要事項だぜ。今度は、補習だ」 「う、うう、私、時間魔法の補習。たしかに全然ちんぷんかんぷんなんだよね。使わなかったのになんで分かったんだろう?」   ヤクートの意図をすぐに理解したユリィが紙を見下ろして答えた。 「俺は、空間魔法と時間魔法どっちもだ。ディスエルは?」   ヤクートがディスエルに水を向けるとディスエルは胸元から紙を引っ張りだした。 「道徳」 「お前らしいな」   ヤクートは、苦笑いしていた。   司は自分の紙を見下ろしてヤクートと目を合わせる。 「司は?」 「戦闘座学講習と、時間魔法補習」   ヤクートが首をかしげた。 「戦闘座学だって?  なんだろ?」   続けてユリィに尋ねるのだが、どうやら分からないらしかった。   そこで、ディスエルが補足した。 「来年度から始まる教科だろう。補習ではなく、講習、ということは、まあ、そのままの意味なんだろうな」 「つまり、特別授業ってことか!」   ヤクートは声をひそめて、司に詰め寄った。 「ど、どういうこと?」   司はよく飲み込めなかった。   ディスエルは号を煮やしたのか、じろっと紙面を見下ろした。 「新しい教科を教えるための試運転。  そのために、才能ある学生が推薦される。君はそれに選ばれたということだ。  あの、いけすかない学生は知っていたようだが」   司はまだ、自分を恨めしげに見るコンクエスタにちらりと視線を向けた。 「推測するに、コンクエスタは戦闘座学講習を受けられると、信じて疑わなかったのだろうな。  ふふん、いい面当てだ。愉快、愉快」   ディスエルは、黒い髪に手櫛を入れながら、本当に愉快そうに笑った。   司は椅子に座って、一息を入れたい気分だった。足元を見ると、両太ももが、ぶるぶると震えている。 「座れ座れ、まさか司がそんなに緊張していたとは」   ヤクートが呆れ混じりに司を椅子に押し込んだ。   正直、司自身も驚いていた。   あわてて椅子に座ると、落ち着きと共に机に突っ伏してしまう。   ヤクートがかなり心配したのか肩を揺り動かしてくる。  司は魔法や、試験での疲労ではないのだとぼんやり考えた。多分、人に当てられたのだろう。   ぼんやりとした眼が、ペンダントに映っている。   司はじっと考え込んだ。   これから、どうなるのだろう。何が起きて、何が始まるのだろう。   ホークは学校について驚くほど何も教えてくれていないことに今更気づいた。  けれど、ホークは恐らく、司が乗り切ることを知っていたのだろう。そうでなければ、あんな態度は取らない。   だとしても、多少は心の準備ができる情報を教えてもらいたかった。   司は、ペンダントを持ち上げて、まじまじと見た。   自分が自分を見返している。よくやった、と笑っているように見えた。  『喪失感が収まらないんだ。何故だろうか?』   司はペンダントの自分に問いかけた。   誰も、何も答えなかった。 「なあ、司、午後、街に出ないか?」 「街?  出れるの?  本屋に行けるの?」   夢みたいなことだと思った。 「保護者の許可証を持ってれば」   司は一気に気持ちが落ち込むのに気づいた。もちろん、もらっていない。 「三人で楽しんできなよ」   司は必死で笑顔を取りつくろった。 「許可証、もらってないんだ」   ヤクートとユリィは顔を見合わせた。 「じゃあ、学校を回ろう!」  「そうだな!  それが一番いいと思うぜ!  いやあ、俺、学校の中も見て回りたかったんだよ」   二人の好意が滲み出るみたいだった。司は何だかとても申し訳なく感じた。 「一応、お許しが出ないか試してみようぜ!」 「そうだよね!  平井君、特待生だし!」   ヤクートもユリィも拳を上下に振った。   特待生、とは、少し意味合いが違うような、と思いながらも、司は黙って頷いた。 「そんなに簡単なものだろうか。短絡的でいいな、君たちは」   ディスエルは大きなあくびをしながら、苦言を呈したが、二人は気にしない様子だ。二人して、司の手をちぎれるくらい引っ張った。   ラビニアが、許可証を集めていた。   司たちの席まで来ると、ヤクートとユリィ、ディスエルから許可証を集めた。 「あの、先生、僕、許可証がですね」 「ああ、受け取っていますよ」   ラビニアはポケットから許可証を引っ張り出した。   署名欄に、ホーク、と書かれていた。   司は、ホークへの疑念が完全に無くなったのに気づいた。
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!

46人が本棚に入れています
本棚に追加