序章 クロノス・カタストロフィ

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  虚数世界の時間の街。   機械仕掛けの街。   道は石造り、家々は真鍮などの金属で出来た金色の街だ。緩やかに明滅する光が所々にあってやけに眩しかった。  司は思わず目を細めたが、ヤクートとユリィは目を輝かせるばかりだった。   ディスエルは司と同じで、目を細めているが、それはきっと眠いからだろう。   歯車仕掛の使い魔が、石造りの道をすいすいと行き交っていた。   歯車仕掛なのは使い魔ばかりでなく、家々の設備も全て歯車仕掛だった。   洗濯機も、コンロも、テレビさえも、歯車で出来ている。   見るもの全て目新しかった。 「でも、どんな店があるの?」   司が、うきうきしながら尋ねると、ヤクートは腕を組んでにやりと笑った。 「魔力で動く透視鏡!  女子寮が覗け……」   シャルシャがヤクートの横っ面を翼で叩きつけた。 「ご、ごほん、天体観測に便利だな、うん」   司は女子寮を覗く、という言葉が妙に引っかかった。ちらりとユリィを見ると、頰をふくらませて突っ立っていた。 「平井君も、覗きたいの?」   司は答えられなかった。 「やめておけ、平井司は稚児と同じくらいの恋愛観しか持たない。その質問はあまりにも酷だ」   代わりに答えたディスエルはくあっと欠伸をした。   ユリィは虚を突かれたようだった。 「稚児?  ってどういうこと」 「文字通りさ」   ディスエルは肩をすくめて、すぐ横の店先で立ち止まった。   ユリィが司をじっと見つめていた。 「あ、その、ユリィが嫌がることはしないよ」   司は、すぐに首を振った。   ユリィは、それでこそ平井君です、と言いたげにうんうんと頷いた後、ヤクートを横目で睨み付けた。  ヤクートは懲りずに、店先に置いてあった透視鏡を手に取って、一本、一本を見比べていた。   司も透視鏡には興味があった。   天体観測はもちろん、それより、もしも普段は見えないものがあるなら、家族を探すこともできるかもしれないと考えた。   ヤクートの発想はある意味では天才的だと思った。   司は透視鏡をじっと見つめた後、一本を手に取った。  透視鏡は、円筒形の片眼鏡のようなもので、片目をつけると、どこまでも遠くが一気に見通せた。 「見たいものを思い浮かべて、じっと見つめるんだ」   司は強く家族を思いながら、透視鏡を見つめた。   けれど、黒い穴が見えるだけだった。   唇がゆっくりと離れ、隙間から弱い風が流れ込むのを感じた。司は透視鏡を元に戻して、じっと地面を見つめた。   やっぱり、父親も母親もいないのかもしれない。   ぼんやりした頭で考えながら、司は歩き出した。 「何を見てたんだよ、司?  顔色が悪いぜ、大丈夫か?」   ヤクートが慌てて尋ねる。ディスエルが、咎めるようにヤクートを遮った。 「あまり詮索するな、根性が悪いぞ」   ディスエルは何かを悟ったようで、胸の前で腕を組んだ。   ヤクートは、ぽかんとしていた。   司はヤクートに向かって笑いかけようとしたが、どうやら失敗したらしく、ヤクートはぎょっと顔を強張らせた。   ユリィが突発的に手を挙げた。 「ね、平井君、お茶をしよう?  みんなで!」   ユリィの必死な提案に、司は今度こそ本当に笑みを浮かべた。   四人は変な空気になったまま、喫茶店を探した。   左手側の通りに、喫茶店はあった。三人はすぐに店に立ち寄り、ドアを開けた。   ドアの前に、札がかかっている。オープン、と書かれていたので、四人は安心して中に入った。   入ると、大量の置き時計や、壁時計がずらりと並んでいた。時計に取り囲まれる形で、八つの円形テーブルが並んでいる。   三人は一番奥に座った。   同時に、司とディスエルの前にココア、ユリィの前に抹茶ミルク、ヤクートの前にコーヒー牛乳がやって来た。   司以外の三人はさして驚かずに飲み物を飲み始めた。   司は、驚きながら三人を見つめた。 「予言だよ。一般的な時間魔道師なら、これくらい些細なことは予言できる」   ヤクートが説明した。司の反応が少し意外なようだった。 「たしかに、僕、ココアを頼んでいたと思うけど」   考える楽しみがあってもいいと思う。   思いながら、司はココアを口に運んだ。   カレーと違って、なんとなく馴染み深い味が口から胃の奥にまで染み渡っていくようだった。   司は、感嘆の吐息を吐きながら、もう一度、ココアに口をつけた。舌がびりびりした。   ヤクートはコーヒー牛乳をぐびぐび飲み、飲み終わると、司に顔を向けた。   少し慎重な動作だった。   先ほどのことを気に病んでいるのかもしれない。 「司は本屋に行きたいって言っていたよな?」 「うん、本を買いたい」   司は自分がにこにこしているのに気づいた。ユリィもヤクートも、にこりと笑ったからだ。 「いいぜ。次は、本屋街に行こう!  いろんな本が集まってるのは……」 「『本の山通り』、だと思う。街の中心に行かないとだから、だいぶ歩くよ?」   ディスエルが机にばたりと倒れこんだ。 「私は歩きたくない。面倒だ」 「じゃあ、お前は先に帰ってな」   ディスエルの苦言に、ヤクートはにべもなく答えた。 「夜ご飯を三人に奢ってもらうまでは帰らない」 「奢らせるつもりなのかよ!」 「金がない。とにかく、金がない。  神様に仕えたところで、下っ端には金が回ってくるはずもない。  あの神様とかいう、じじいがくれるのはせいぜいパンとワインだ。食べ合わせが最悪な上に、ワインはまだ飲んじゃいけないと来る」   ディスエルの腹がごろごろと鳴った。 「そのくせ、金なんていりませんという顔をしながら、じじいに祈りを捧げる敬虔な牧師様は肥えていく。  神を信じていない私が、一番にお金にふさわしいというのに。  一銭も転がり込んで来ないんだ。これは、立派な不平等だと思わないか」 「お前のいうことは、難しくて分からないね、全く」   ヤクートは答えつつ、コーヒー牛乳をもう一杯飲んだ。   どうやら、二杯のコーヒー牛乳を飲む未来が待っていたらしい。 「とにかく、ご飯をください」   ディスエルは司の両手を握って力なく振った。 「いいよ、ディスエル、君のおかげで勝てたから」   司は優しく手を解いた。 「ふむ、教会にいる御神体を拝み倒すより、君を拝み倒す方が、よほど有益だな」 「僕は拝まれるのは嫌だな」   司は、あわてて首を振った。 「ほら、変な目で見られるから」   司があわてて付け足すと、ヤクートが突然に両手をすり合わせた。 「おお、平井司様!  我らの勝利の神よ!」   ヤクートの大げさな動作に、司は吹き出した。ユリィもクスクス笑った。 「でも、軍神マルスも裸足で逃げ出すくらい、すごい作戦だったと思う!」   ユリィは笑ったのを気にしたのか、すぐに賛辞を送ってきた。 「いや、でも、ラビニア先生の能力は制限されてたから。もし、本気だったら、正直に言って勝てなかったと思う」 「そりゃあ、当たり前だ。意識が高いなあ、司は」   ヤクートは気後れした様子で、肩をすくめた。 「私、今度に戦うときは、百匹くらい、お猿さん出せるくらい上達するから!」 「いや、戦闘系の召喚獣を出せるようになれよな」   ユリィは胸を張ったが、ヤクートの少しきつい突っ込みに、頰を膨らませた。   ディスエルがくすくすと笑って、ユリィの頭をするりと撫でる。 「それより、プロポーションだな。初等部の頃から、胸が成長していないようだが」   言い終えてから、ユリィの胸をぺたぺたと触る。ディスエルはそうしつつ、司にウインクした。なにもかもお見通しなのかもしれない。 「こんなまな板のどこがいいのやらね」   ユリィから手を離して、ディスエルはニヤニヤと笑う。 「ま、まな板じゃないもの!」   ユリィは胸周りを必死で隠しながら、顔を赤くする。ディスエルはすかさず、自分の胸を強調するように突き出した。   司は、ユリィが弁護を求めているような気がした。  まだ、第二次性徴期も迎えていないんだから、別に、とか。  女性の価値はプロポーションじゃないよ、とか、いろいろ考えたのだが、何か違うような気がする。 「僕は、そんなの気にしない……と、思う。ユリィは、その、素敵、だと思う」   結局、出た言葉は途切れ途切れだった。   ヤクートが口笛を吹いた。   ユリィは顔を赤くして俯いてしまった。   ディスエルは不機嫌そうに黙ってしまった。 「もちろん、ディスエルだって、魅力的だ」 「おやおやおやー?  二枚舌はいけないな」   ディスエルは司のあごを持ち上げて、胸のあたりをトントンと突き始めた。  司は勢いにあとずさりながら、動揺が体を駆け巡っていくのをかんじた。   別に、二枚舌じゃない、と言いたかったが、ディスエルにあごを持ち上げられているので、ふごふごと変な声が出るばかりだった。   ディスエルは司が椅子と一緒にひっくり返るまで突き続けた。   司は弱めに頭をぶつけて、呻いた。   ユリィがディスエルをたしなめ、司に手を伸ばそうとしたが、躊躇した。  代わりに、ヤクートが司を引き起こし、にやりと笑う。   司は顔が赤くなるのを感じながらも笑い返そうとしたが、多分、失敗した。   ディスエルは急いで司のココアと自分のココアのコップを入れ替えているところだった。   司の前に、ココアの二杯目がやって来た。   助け起こされた後、椅子に座りなおす。ディスエルは、鉄面皮でココアをごくごくと飲んでいた。相当に熱いはずだが……。   司は、新しいココアをちょっとだけ飲んで、ユリィの方を気付かれないようにちらりと見た。ユリィはちょっとだけ椅子をこちらに引き寄せていた。   司は何か、変な感じを振り払うためにココアを飲み干した。   喉が焼けるようだった。 「本を、買いに行きたい!」   全員が、飲み物を飲みきったのを見計らって、司は言い放った。みんな、立ち上がり、変な空気を振り払うために、入り口へと向かった。   裏側から見ると、扉は歯車仕掛けになっている。三人が近づくと、歯車がくるくると開店して、ドアが開いた。   外に出てみると、本屋が立ち並ぶ街並みが広がった。
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