序章 クロノス・カタストロフィ

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「私は、ディアという。王に会いたい、子供達、案内をしてくれんかのう?」   ディアはエコーがかかったような不思議な声で三人に尋ねた。   王?  王だって?  司は、頭の中に夢の中で何度も見た少年が浮かぶのを感じた。 「大丈夫か?  顔色が悪い、母は心配じゃ」   ディアと名乗る女性は、司の前まで来ると、あごをそっと持ち上げた。  司は不思議な陶酔を感じてくらくらとした。ディアは司の額に手をおいた。 「熱は無いようじゃのう」 「平井君のお母さんなんですか?」   ユリィがおずおずと尋ねた。 「そうじゃよ。そして、お前の母でもある。妾は生きとし生けるものすべての母なのじゃ」   ユリィは、目をぱちくりさせた。   司は落胆に力が抜けそうだった。   ディアが司の母親だと言った時には驚いたし嬉しかった。  違うというのは何となく、直感的に判ったのだが。 「王はどこかの?  妾はあの世界の王なのじゃ。この世界の王と会いたい」   ディアは繰り返した。   別段、焦っても、焦れてもいない、静かな声で問い直している。 「お待ちください、異世界の王。よくぞいらっしゃいました!」   突然、背後から声がしたので振り返ってみると、ラビニアと京極が大急ぎでやってくるところだった。   ラビニアの息は少し弾んでいた。  必死で笑顔を取り繕っているが、その実かなり動揺しているのが伝わってきた。  京極はひどく落ち着いていて、ディアを観察する余裕すら見せていた。   教師陣二人が対面すると、ディアがくすりと笑った。 「ふふふ、子供達、そう焦るな転ぶぞ」   ラビニアの笑顔が凍りついたが、すぐに平静を取り戻した。   京極がどこか冷笑めいた表情で口を開いた。 「あなたの性質は完璧な母性ですか。  どんな魔法を極めた結果なのでしょうか、気になるところですな」 「魔法ではなく、妾の王としての矜持が母性なのだ」 「すべての国民が子供だと?   それはいいのですが、この世界の住人までも自分の国民であるような扱いをすれば、反感を買われるとは思いませんか?   異世界の王よ」 「硬いことを申すな。子供はみな可愛いものだ」   ディアは可愛らしく笑ったが、京極は気に入らなそうに眉を吊り上げた。 「失礼ながら、我が世界には王が不在です。別の世界に行かれるのをおすすめしますが?」 「王がいない?  そんなわけはなかろう。王がいなくて、どうやって統治されているのじゃ?」 「我が世界には国という概念があります。世界を分割統治する小規模な集団が乱立している状況です。今のところ」   京極は明らかにディアを煙たがっていた。   ディアにも、それが伝わったのか顔を曇らせた。 「なんと、それでは争いが絶えないのではないか?」   違った。ディアは司たちの世界の心配をしていた。   京極がディアの機嫌を損ねるのを恐れるようにラビニアが前に進み出た。 「その通りです、異世界の王よ。この世界では、魔法を使えないものが兵器を使って殺し合いをしています。  それもこれも、王が不在だからに他なりません。  ですので、どうか、時間をおいて、また御越境ください。王がいない以上、いかなる交渉にも応じようが無いのです」   京極が、一瞬ラビニアを睨んだように見えた。   その表情に、どこか敵意めいたものを感じて、司は意外に思った。もしかすると、喧嘩でもしたのかもしれない。 「いや、であれば話は早い。  新たな王が現れるまでに、妾がこの世界を統治しよう。  そうすれば、些少な民族同士の争いとやらは、すぐに終わるであろう」   京極はそれ見たことか、という顔をした。   ラビニアは下手を打ったのに気づいたのか、一瞬、顔を強張らせる。 「そう慌てるな。  よその国の領土、別に搾取したりはせんし、しかるべき王が現れれば、すぐに返す。  妾はそこまで不敬ではないでな」   京極が前に進み出た。 「異世界の王よ、申し訳ございません。不要かと」   低い声でぶつぶつと言う京極を前にして、ディアが突然に顔色を変えた。 「何を申すか!   世界が今も戦争に明け暮れているというのに!   平和の使者を不要?   不要だと?   それでも貴様は世界を統治する魔道師が一人か!  嘆かわしい!」   ディアは細い身体からは想像もできないほど、大きな声で怒鳴った。空気がきりきりと張り詰めて、震えた。   京極は驚くほどの無表情でディアを見返していた。   ラビニアは少し涙目で、再び頭を下げた。 「申し訳ございません!   不要というのは言葉の綾です!   我々の世界は我々の手で救わねばならないという……」 「む、そういう意気があっての言葉であったか。  では、咎めるのは妾の不徳である、許せ」   京極は、見るからに不機嫌だったが、無理やり笑っている。   司はラビニアを観察した。  やけに下手に出ているが、あまりラビニアのイメージと合わない。  ディアは王だと言っていたし、相当、立場が上の魔道師であるのはすぐに分かった。   異世界というのは、どういうことだろうか。 「並行世界があるって、聞いたことがある」   ヤクートがぼそぼそと耳打ちした。   並行世界、ということは本当に別の世界ということだが、そうであるなら、もう一つの世界であるあの惑星が見えるのは少しおかしいような気もする。 「そうだな、間違いない。あれは、並行世界の住人だろう。おかしな匂いがする」   ディスエルが不愉快そうに鼻を鳴らした。 「平行、世界……」   ユリィが熱っぽくディアを見つめた。   シャルシャの頭を無意識にこそこそと撫でている。シャルシャも、今にもディアのところに飛んでいきたいのか、つぶらな瞳をディアの姿でいっぱいにしていた。   召喚獣は、並行世界から生き物を呼ぶ力だと聞いたことがある。だから、関心があるのかもしれない。   司は一度、ユリィから目を切って、もう一度ディアを見た。   水掛け論が繰り返されていた。 「とにかく、遠慮をせず、妾の援助を受け入れるのじゃ」 「いいえ、我々の世界は我々の世界のものが……」   とにかく、いいえを繰り返しながら、ディアとラビニアは静かに睨み合っている。   京極は頭痛がするように額を抑えていた。 「何を遠慮しておるのじゃ。楽土が築かれるなら、それが一番であろう?   王権は王が誕生し次第に返すとも。おうさ、何を迷う?」 「ですから……」 「ラビニア教授監督官、学長を呼びましょう。そもそも、我々が決めるべき事案でもありません」 「どちらにせよ学長は拒むと思いますが」   ラビニアは疲れ切った声で頭を振った。 「その時はその時です」   京極はにやりと笑った。 「存分に暴れてもらいましょう」   と、口の形だけで言い放ったのが、司には分かった。   そういえば、学長の存在に、頑ななくらいにこの学校は触れて来ようとしなかった。   学長は一体どんな人物なのだろうか。   司は妙に背筋が寒くなった。 「ラビニア教授監督官、京極教授、この私を差し置いて、なかなか楽しい話をしておいでですね」   ラビニアと京極が身を硬くし、振り返った。   司は見た。   大気が焦げるような迫力を醸し出す灼熱の魔道師が、突然、自分たちの前に現れた。   ラビニアは額に手を当てため息を吐き、京極は沈鬱な顔を隠すためか、頭を下げている。   炎に見えたのは深紅の髪だった。血のように赤かった。   瞳も赤ければ、服も赤かった。   顔の真ん中に縫い目があって、それは、額から胸へかけてを貫いていた。   ペンダントは、神話魔法のもの。十字架だった。   微笑みを浮かべているが、だからといって、人を安心させるような雰囲気ではない。   ラビニアが躊躇する理由がわかった。   もしかすると、ホークも彼女が嫌でここに来なかったのかもしれないと思った。 「ウリエル学長……」 「そうです、私が神の炎、ウリエル。世界を滅ぼすラッパが鳴るとき、かならずあなたの前にいる。  絶対零度の炎、灼熱無限度の炎。  炎の雷。  そんな私を差し置いて、王だなんだと語るのはいささか無礼とは思いませんこと?   それでは、神に命を捧げますか?」   ウリエルの妙な口上に、ラビニアはまたまた頭痛がするように額を抑えた。 「ウリエル学長、ややこしくなるので来ないようにと」 「ふふ、そんな口の聞き方をしていいと思っておいでか?   あなたの生殺与奪など、私が五指のうちの小指でも動かせば、鉛筆をころがすのと同じくらいわけもなく、与え、奪うことができるのですが?」   ウリエルは歌うようにつらつらと言葉を並べた。   司は、この妙な尊大さがディスエルに似ている気がした。   ただ、ディスエルと違って、絶対に気を許してはならない人物だとすぐに分かった。 「ウリエル学長、異世界の王の前です。  せめて頭をお下げになられると、こちらの心持ちもかなり軽くなるのですがね」   京極が皮肉をわざと滲ませながら低くどもった声で言った。   ウリエルは気にした様子すら見せず、ディアの方へと歩いていく。 「異世界の王よ。  よく来てくださいましった。  中々の強キャラオーラで、私の部下が当てられているので、あんまりキラキラしないでくださいますか?」 「妾の輝きは生まれついてのものじゃ、許せ」   ディアもウリエルも悪びれない。   ふと、ウリエルが司に注意を向けたように見えた。   司は、ウリエルの瞳に冷たい敵意を感じたような気がしたが、もしかすると、それは背後にいるディスエルに向けた視線だったかもしれない。  ディスエルが身体を捩るような気配がした。   ウリエルは手を差し出した。   ディアは遠慮なくウリエルの手を取り、微笑みを返した。 「お帰りくださいませ!   私は、王というものをこれっぽっちも、全然、まったく、髪ほども、毛ほども、信頼していないのです!   お帰り遊ばせ。おとといきやがれ」 「信頼しないで王に委ねないから、戦争は起きているのであろう?」 「それこそ些少なことですね。  魔道師以外の人間、言ってしまえば猿のような命が命と命を奪い合っている。  些少、些事、卑小、野卑、こんな言葉を使うことすら勿体無いような、クズの中のクズが、争いあっている。  虫の食物連鎖にまで、あなたは注意を払うのですか?」   ウリエルは特大の毒を吐いたが、ディアは考えげにするだけだった。 「それは、非常に大事な仕事だな。  食物連鎖のバランスが狂えば、人の営みもまた崩れよう。  些事に手を抜くほど、妾は怠け者ではない。  心配じゃのう。  そちらの世界の長は、今、どうも、怠け者がやっておるようじゃ」   司は、どうやらディアには皮肉はきっと通じないと考えた。   ウリエルも司と同じに思ったのか、果実が潰れたような笑みを浮かべただけだった。その笑みが、また何とも恐ろしい。   ひっと、喉を鳴らす音が背後からする。  ユリィかと思ったが違った。  ディスエルの体が打ち震えている。  司はペンダントの中の自分が突然、命じるのに気づいた。  声に従うまま、ディスエルの手を取った。 「大丈夫、落ち着いて。何があったか知らないけれど、今は僕がいる」   司は自分が何を言っているかよく分からなかった。  生まれてから一度も言ったことのないような、こそばゆいセリフだったが、今は恥ずかしがってもいられなかった。   ディスエルの手の平から、恐怖が伝わってくる。   小刻みに、か弱く、震えている。   ディスエルは司の手を握り返して、何かに堪えるようだった。 「だ、大丈夫、ディスエル?」   ユリィがこそこそと気遣う気配がした。   ヤクートも、振り返ったようだった。 「大丈夫か?  おい、顔が真っ青だ!」 「問題ない、余計な気を払うな。それより、逃げろ。  あの女が指を動かせば、本当にこの場にいる人間の命は手のひらの上だ。  逃げるんだ。  一メートルでも遠くに」   ディスエルの言いたいことは分かった。   司は動かなかった。   動けなかった。   足が地面に縫い付けられたみたいだった。重い足を必死で持ち上げようとするのだが、一ミリも動かない。   かっはっ!  息を詰めて、思いっきり吐き出すような音がした。  司はあわてて振り返った。ユリィがのどを抑えてうずくまっている。   ディスエルは、棒立ちで血の気を失っている。   ヤクートは獣のようにウリエルをにらんでいる。   突発的に、ヤクートを止めないと危険だと思った。   ヤクートはどこか、獣めいたところがあるとは思っていたが、今は、防衛本能に訴えて、攻撃に移ろうとしている。   司が止めようとすると、ディスエルも同じことを考えていたのか、ヤクートの腕を取っている。 「平井、あの女……」   ディスエルはウリエルに指をさした。切っ先がぷるぷると震えていて、必死で気を張っているのが判る。 「人間の防衛本能を揺らし、恐怖を刻み込み、攻撃を誘発する空間を張り巡らせている」   司はあたりを見渡した。   空間に、薄い光の膜が張っているのに気づいた。 「君には、なぜか効き目が薄いようだ。あの、ディアという女にも。  だから、ヤクートを連れて逃げろ。  私は、ユリィを連れて逃げ……」   ディスエルの腕が振り払われ、ヤクートが黒豹のように跳躍した。  司は身体を抱き留めようとしたが、ヤクートは止まらない。   司は弾き飛ばされ尻餅を突いた。   ヤクートの身体能力をまざまざと見せつけられた。   同時、ヤクートは頭上から飛来した。巨大な影に押さえつけられた。 「また、骨の折れることを!」   京極が憎しみの形相でヤクートに向かって手を差し出していた。   どうやら、この黒い影は京極の魔法らしい。影は熊の形をしていた。   司はウリエルの表情を見て、凍りつきそうになった。   ウリエルは、オモチャを奪われた子供のような顔をしていた。  ヤクートが襲いかかっていれば、容赦なく返り討ちにして、殺すつもりだったのだと、すぐに判った。   推理でも推測でもなく、事実だった。   司は、この世で絶対に理解できない存在がいるとすれば、ウリエルそのものだと思った。   戦え!   逃げろ!   自分が同時に叫ぶ。   司は動かなかった。   動けなかった。   ウリエルが突然にけたけたと笑った。 「この世界を管理する管理しないの話でしたねえ、そういえば。いいでしょう、では、こんな趣向はいかが?」   すらりと長い腕を上空に舞わせて、ウリエルは一枚のスクロール、巻き紙を取り出した。  巻き紙は、すぐにディアの手に渡り、その内容に目を走らせた。
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