序章 クロノス・カタストロフィ

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  同時に、廊下を息急き切って走ってくる気配がした。司は足音の方を見た。  ホークが青い顔をして、こちらに駆け寄ってくる。司は笑顔を浮かべようとしたが、ホークが司の肩をつかむのが先だった。   ぜえぜえと息を鳴らしながら、ホークは司を覆い隠すようにローブを広げた。 「ウリエルに会ったか?  思った以上に早い、焦った。君の身に何かあってはと、飛んできたんじゃよ。だが、そうか、無事だったんだな。よかった」 「ありがとう、ホーク、無事だよ。何もされていない。ねえ、ホークが僕を学校に行かせたくなかったのは、あの人がいるから?」 「その通りじゃよ。あの、悪鬼の如き魔道士のそばに、君を置いておくのは、不安しかなかった」   ホークは司を離し、波打つ胸を右手で抑えた。司は、咳き込むホークの背中に手を回し、何度も撫でた。 「この気配、充溢する魔力、只者ではないのう」   司の背後から声がした。   ディアが司を追ってくるところだった。司は振り返り、ディアを紹介した。名前を説明するのが精一杯だったが、ホークはなにかを悟ったようだった。 「となりの世界の王のようですね。これは失礼、王よ。会えて光栄です」   ホークは早口に挨拶をして、膝を折った。 「大義である。空間の賢者よ。しかし、我が子をそう独り占めされては困るのう」 「この子は、私の門弟です。あなたのお手を煩わせるほどではないかと」   ホークはすぐに立ち上がって、司の手を引いた。ディアに敬意を見せたが、実はかなり警戒しているように見えた。   ディアは一瞬、ホークをにらんだように見えたが、すぐに踵を返した。 「司は任せた。しっかり守れ、それは我が子じゃ」   声に苛立ちはなかったが、寂しさが溢れていた。ホークは軽くうなずいて、司の手を引いた。   ディアが完全に去った後、ホークはくるりと身体を回した。   嬉しいような、意外なような表情で、司の顔を覗き込んでいる。 「いやあ、司。あんな大物とも会っていたか。  あれは、となりの世界の王なんだよ。  正直を言ってしまえばな、わしは王というものを、少し警戒せねばならない立場にあるんだよ」   司はホークを見つめたが、 「本当に、パラレルワールドなんてあるんだね?」   口から出たのは関係のない言葉だった。 「そうだとも、パラレルワールドはある。あるとも」   ホークはにっこり笑った。 「そこが、空間というものの面白いところでな。決して一面的なものでなければ、一元的なものでもない。多面的で、多元的、多層的と言った方が分かりやすいか」 「よく分からないけど、違う世界がたくさんあるんだね?」 「たくさんはないんだ。残念ながらな」 「でも、たくさん王様がいる、みたいな口ぶりだったよ?  みんな」   ホークは、んー、と唸った。   顔をむっつりとしかめている。 「いいかい、同じ世界はたくさんある、パラレルワールドというものだな。  これは、ほぼ同じ世界の中で無数の可能性が分岐した世界のことだよ。  その結果、無数の世界が存在する、ということなんだな。だから、この世界全ては同じだから、同じ王が全てを統括している。しかし、王が違うということは?」 「全く歴史の違う世界が存在する?」   ホークが試すように言葉を切ったので、司はすぐに答えた。ホークは我が意を得た、というような様子でまたにっこりした。 「そういうことだ。だが、歴史の違う世界はそう多くは存在しない。いくつあるかは分からないが、十本の指で数えられる範囲だと考えられる。これを多いと見るかは意見が分かれそうだが、わしは、少ないと思うんだ」   司はどう思うか?  と言外に聞いている気がしたので、よく考えた。 「いや、多いよ。なんか、多い気がするんだ」   異なる歴史が十個もあって、異なる歴史の全てを想像するのは、とても大きな物語を想定しているような気分にさせられた。   ホークは、ゆっくりと頷いた。 「よろしい。では、寮まで送るとしよう。いいか、ウリエルには決して近づくんじゃないぞ、司。  怒らせるなんてもってのほかだ。  例え、ウリエルによって学友が危険にさらされても、君だけはその時、逃げねばならなん。いいな?」 「嫌だ」   司は急に何だか反抗的な気持ちになって、首を振った。 「司?  どういうことだね?  いいか、これだけは守ってもらわんと、君をここに置いておくわけには行かんのだよ」 「いーやーだよ!」   司の態度に、ホークはすっかり虚を突かれたようだった。司はムカムカとしていたが、ホークを責める気持ちはなかった。 「せっかく出来た友達だもの。それに、そうじゃなくたって、命の危険にさらされている人を見捨てることなんてできると思う?」 「今回だけは、我慢するんじゃ!」 「無理!」   司はペンダントに自分の顔が写っているのに気づいた。ペンダントの自分は元気づけるように笑っている。   意気が上がったので、司は肩をそびやかした。 「むーりーだよ!  ホークの頼みでも絶対に聞くものか!  ホークは、僕がウリエルに殺されそうになったら、見捨てるの?」 「論点が違うよ、司」 「少しも違わない。全然違わないよ!  僕は、ウリエル学長をけっして許さないし、絶対に友達を殺すことを許さない。絶対にだよ!  絶対にだ!  うん、絶対!」   司はホークの口癖を真似て、胸を張った。   ホークは、ぽりぽりと頰を掻いた。 「君をすっかり見誤っとったよ。わしが思う以上に、頑固で、強い子だったな。だが、ダメだ。そんなことを言うなら、ここにいさせるわけにはいかない」 「僕、絶対にここにいる。せっかく友達が出来たんだ!  どんなに、僕の命が危なくても、友達だけは絶対に見捨てられない」   ホークは目を閉じた。 「分かったよ司。お前さんの意気を買おう。だが、もしも友人が危険にさらされて、その危険が時間的に余裕のあるものだった場合は、必ずわしを呼ぶことだ。これだけは守りなさい。いいね?」 「うん、分かったよ。でも、ホークだって友達だから、ホークが危ないと思ったら呼ばない」 「聞かん坊め」   ホークは引き続き笑った。 「司、寮に向かいながら話そう」   司の手を引いて、ホークは寮の方へと歩き出した。   司はホークの横を歩いた。改めて見ると、ホークは縦にヒョロ長かった。司は小さい自分の体を見下ろしながら、地面を靴で擦った。 「いいかい?  死んでしまったら元も子もないんだ。君を育てたわしの手間もなくなってしまうことになるし。君の、あー……」   ご両親、と続けようとしたのが、司には分かった。   そのことには、腹は立たなかったが、相変わらず司の態度を否定し続けるホークが酷く煩わしくも思える。   ホークは司の表情を誤解したのかあわてて言葉を探しているようだった。 「うん、司。とにかく、聞き分けてくれないか?」 「聞き分けない。何があっても、何が何でも。ここで、ここで僕を連れ戻したら……」   司はホークをほとんどにらむように見つめた。 「一生恨む!  例え、ホークがどんなに僕を想ってくれているんだとしても。僕は、この学校でやっと友達が出来たんだから」   司は意思が強くなっていくのを感じながら言い放った。   ホークは柔らかく微笑んだ。 「いいだろう。分かった。忘れるな。私は君の一番の友人だ。そして、私だって友人を助けたいのだ」   優しい言葉を噛み締めながら、司はうなずいた。   二人で寮の階段にまで差し掛かると、かつかつと音を立てて歩きだした。   廊下の左右には、どんな仕掛けがしてあるのかはわからないが、歯車が張り巡らされて、くるくると回っている。  司は物珍しく思いながら、階段の上を見つめた。螺旋階段にも歯車が取り付けられている。   司は歯車を少しだけ触ってみた。滑らかな触り心地で、つるつるとしている。漆の塗られた木のような感触でもあるし、金属のような感触でもあった。   歯車がかたかたと音を立てている。   司は、寮の様子をすぐに見てみたい衝動に駆られて、足を速めた。ホークの息は少し上がっていた。司はあわてて足を緩めた。   ホークは何も言わなかった。   二人がしばらく登ると、垂れ幕が見えて来た。   司は垂れ幕に囲まれたドアを見つけて、ドアノブを探した。ドアノブは見えなかった。もしかして、鍵でも掛けられてしまったのかと、司は慌てたが、ホークは慌てなかった。 「司、ペンダントを回転させなさい」   ホークが突然にささやいた。司はホークが続けて教えてくれた魔法式を入力する。扉についていた歯車がくるくると回転し始めた。   かち、かち、かち、と鍵が開くような音がする。   扉は、きい、と音を立てて、後ろに下がった。   司はホークを振り返って、腕を振った。   ホークも右手をあげて答え、音もなく消えてしまった。   司は寮に入っていった。
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