46人が本棚に入れています
本棚に追加
/51ページ
教室に着くと、一番前の席が空いていた。みんな、最前列の努力家という評価を犠牲にしてでも、ハリル・京極と積極的に関わり合いになりたくないようだった。
全て木製の教室で、殺風景だった。何も、置かれていない。生徒がぎゅうぎゅう詰め込まれているだけだ。窓は開け放しで、風がひゅうひゅうと流れ込んでくる。
教室は少し、かび臭かった。
司には分かった。これは、本のかびの匂いだ。
多分、教室の奥にある扉の先は書庫になっていると司は直感した。
考えている内、京極が扉を開けて顔を出した。
京極はひどく不機嫌そうな顔をしていたし、教師の中ではトップクラスに不穏な空気を放っていた。
三人は仕方なく最前列に座った。
「よろしい、一人を除いて、全員が揃ったようだ。授業を始める」
百人近くいる生徒が姿勢を正した。司も、ヤクートもユリィもそれに倣った。
京極はふんと鼻を鳴らした。
「ここで習うのは召喚術だ。召喚術は、我々とは違う外の世界にいる存在と心を通わせ、呼び出し、使役する魔法だ。一歩間違えば、自分で呼び出した召喚獣に殺される心配もある。非常にデリケートなものだと思いたまえ」
京極は、ユリィの頭の上に乗っているシャルシャに目を止めた。興味深そうな表情で釘をさす。
シャルシャが、心配そうにくるると鳴いた。
「さて、外に出よう。今回はレベルが高いようだ。君たちの実力を遠慮なく見せてもらおう」
京極は朗々と流れるように言葉を紡ぐと、さっと入口へと向かった。
ヤクートが顔を青くした。
「多分召喚術が使えないのは俺くらいだよ。やばいなあ、補習くらうかも」
「最初から、補習をするものかな?」
「京極ならやりかねないような気がするな」
「見た目の印象だよ。あの人、きっといい人だ」
「でも、見るからに怖いぜ?」
ヤクートは身震いした。司は肩をすくめて、渋るヤクートの背中を押した。
ユリィは緊張の解けた表情をしていたが、それでも少し不安があるらしく、シャルシャを胸に強く抱いていた。
シャルシャは鳥類なので、少し居心地が悪そうだったが、特に暴れたりはしない。
司は司で、昨日、子猿を召喚しただけだ。
やはり、少し心配があった。
召喚魔法のページをめくりながら、司はじっと見つめた。
と、いつのまにか司の背後に回っていたのか、ぬっと大きな影が三人を覆った。
ぎょっとして振り返ると、京極が三人を見下ろしていた。
「無駄だ。他の魔法ならいざ知らず、召喚魔法を付け焼き刃でやるのは危険すぎる。
さっきも言った通り、召喚獣と心を通わせる術を持たねば、召喚獣に殺される。
昨日の子猿でいい、今回は全員の力量を把握するだけだ」
ぶっきらぼうに言い終えると、京極はまた最前列を歩き出した。
司は腹をくくることにした。
「いい人、かも?」
ヤクートは目を点にしていた。
「生徒が死んじゃったり怪我をしたら困るもの」
ユリィは悲しそうに呟いた。
「ユリィはいいよな、召喚魔法の才能だけはあって」
「だけ、って。まあ、そうだけど」
ユリィは口を尖らせたが、渋々うなずいた。
「ユリィには優しいっていう才能もあるよ?」
「司、魔法の話だって」
「あ、ああ、でも、優しいからシャルシャが懐いているんじゃないかな?」
「結局それって、召喚魔法の才能じゃん」
ヤクートは鋭く突っ込んだが、ユリィはかなり元気付けられたのか、心なしか胸を張っていた。
ヤクートは、ししし、と笑った。瞬間、シャルシャに頭を突かれて、抗議の声を上げる。ユリィはそっぽを向いていた。
司は、集団がどこに向かうのかと気になり始めた。京極は皆を引率するだけで、どこに行くかは言っていない。先頭の生徒は、なんとなく前に進んでいるようだった。
司は、ちょっとだけ背伸びをして、京極が向かっている場所を予測した。
どう考えても、コロシアムに向かっているようだった。
やはり、戦うのではないか、と心配がよぎる。
コロシアムは四つの塔の隣にある。三人がやって来た教室は、四角形のビルのような場所で。建物を三つ隔てて、すぐの場所にある。
京極はコロシアムへとするすると入って行った。
コンクエスタがすぐ後ろについている。
司は最前列が空いていた理由がようやく分かった。
むしろ、みんな最後列を取り合っていたのだ。
引率されるなら、一番最後列が、もっとも先生に近づきやすいから。
事実、コンクエスタは京極に話しかける隙を狙っているように見えた。
司は別に、そんなことが大した差になるとは思わなかったが、コンクエスタは違うようだ。
考えているうち、司はコロシアムが目前に迫って来た。
三人はコロシアムに入り込んだ。
静かだった。
最初に入った時は、もう少し騒がしかった。
コロシアムは楕円形のまま、席も楕円形に合わせて配置されている。
乾いた砂が太陽にちりちりと焼かれていた。
生徒たちが一斉に散らばるのを見ていると、試験の時とは全く違う場所にいるような気分にさせられた。
「どんな召喚獣でもいい、呼び出すがいい」
京極が、小さいが不思議によく響く声で命じた。
生徒たちが一斉にペンダントを弄り始めた。
司も子猿を呼び出すために、ペンダントを操作した。
ペンダントが薄く発光し、光が線を結んで子猿の形で空間を切り取った。
橙色の光をバックに、子猿の影がくるりと現れた。
司を見るなり人懐っこく、するすると身体を登って来た。
司が子猿の頭をくすぐり撫でると、一層、人懐っこく、ききっと笑った。
ユリィはシャルシャの他に、小さい猫や、黒い鳥、アライグマを呼び出して、パンクズのようなものを投げ与えた。
ユリィの様子を見て、周りの生徒がくすくす笑った。
「術師が使い魔に媚びるなんて」
という声が聞こえてくる。
「悪い方法ではない」
と、京極が重々しく口を開いたので、全員が黙りこんだ。
「少なくとも言うことを聞かせるのに四苦八苦している者よりは、いくらかマシだ」
何人かの顔をじろりと見回しながら、京極は冷ややかに言い放った。
コンクエスタが打ちのめされたような顔をしている。
「ただ、餌付けは、非常に効果的ではあるが、召喚獣が大きいほど、効果が薄くなる。強力な戦闘能力を持つ召喚獣は、パンクズでは満足しないだろう」
京極はどっちつかずに話し続ける。
コンクエスタは途端に元気づいて、呼び出した大きなトカゲの頭に手を置いた。
司の子猿を対照的にあざ笑っている。子猿が敵意の視線をコンクエスタに向けるのがわかる。司は、子猿を持ち上げて、抱きしめた。
子猿は、もう敵意を忘れたようにうたた寝を始めた。
「今日が最初の授業であるからして、私が説明することになっているが、これから、授業で君たちに得点をつけさせてもらう。
それで、順位をつけるわけだ。
何、虚数世界の学校でもやっていることだ。採点基準が、生徒に多少だが見えやすくなっているというだけだ」
京極はユリィに向かって薄く微笑んだ。
「ユリィ・イスフィール、君に特別点を与える。君が、今のところ、一位だ」
生徒たちが敵意にざわついた。
特にコンクエスタの動揺は激しかった。
一番大きくて強そうな自分の召喚獣を見せつけるように身体を引いたが、京極はそちらを見ようともしない。
「最初に私が言ったことを覚えているか? コンクエスタ・アレクサンドル」
京極がじろりとコンクエスタを見た。
コンクエスタは黙り込んだ。
「では、覚えているもの」
京極はもう一度、一同を見回した。
しんと静まり返ってしまった。
「覚えているなら言いたまえ、平井司」
司はぎょっとした、確かに覚えていた。
「ここで習うのは召喚術です。召喚術は、我々とは違う外の世界にいる存在と心を通わせ、呼び出し、使役する魔法です。
一歩間違えば、自分で呼び出した召喚獣に殺される心配もある。
非常にデリケートなものだと思うべきである」
「完璧だ。完璧ゆえの脆さも少し感じたが、君にも特別点だ、平井司」
京極は空中に指を走らせた。
何かを書いているような仕草だった。
「私がそう前置きをしたということは、つまり、それこそがこの授業でもっとも大事なことだということだ。
いいか、私が最初に言ったことが、この授業でもっとも大事なことなのだとわきまえたまえ。
力を見せびらかしてもらうために、君たちを集めたわけではない」
京極は冷ややかに笑った後、ペンダントに手を伸ばした。
「そもそも、今の時点での君たちの力量など、どんぐりの背比べだ」
京極の背後に、巨大な影が現れた。最初、それはきっと建物か何かだとみんな思っただろう。司自身もそうだった。
全員、すぐに気づいた。影は巨大な動物だった。コロシアムの半分を覆うかと思うほどの巨躯だった。
司は、大きな影が虎であることに気づいた。
蒼白と漆黒の縞が連なった前腕と顔、体躯と、雄々しい瞳。瞳は青く、サファイアを連想させた。
司は感心しながら見上げていたが、周りを見ると、全員が腰を抜かしていた。
あの黒い竜やシルシオンを知っているから、自分にはきっと耐性がついているのだと司はすぐに気づいた。
巨岩のように大きな足が、どしりと地面を叩き、尻尾が空気を弾きながら、地面に沈む。大虎はその場に寝そべって、京極に頭を差し出した。
京極は恐れることもなく、大虎の鼻の辺りを慣れた手つきで二度も撫でた。
大虎はその間、心地好さそうに目を細め、少しも獰猛にならなかった。
「今日は、お前を紹介するだけだ。すぐに戻すが」
京極は驚くほど平坦な声で大虎に言い聞かせ、すぐにペンダントを操作した。
大虎の中心に、黒い渦が現れ、身体が吸い込まれていく。大虎は苦もなく空間に吸い込まれ、消失した。
「理論上、どんな魔道師も、神そのものとさえ等しい獣を従えられると言う。
精進したまえ。君たちの中に怠け者がいなければ、この話も絵空事にはならん」
京極は、ユリィと司に挟まれた、ヤクートをちらりと見たような気がした。
ヤクートはしょげ返って、聞いていないようだった。
どうも、自分だけが召喚獣を使役していないのに気づいてしまったらしい。
司は、あとで京極の言ったことをちゃんと伝えてあげようと思った。
ヤクートを気遣いながら、司は会場全体を見る。今はこんなに小さな子猿しか呼び出せないけれど、別にいいことだと思う。
いつか、あんなに大きな存在と心を通わせられると思うとワクワクする。
「ようし、やってやる!」
小さな声で呟いて、拳を硬く握り締めた時だった。
コロシアム中の召喚獣が、ぐるりと身体を回した。みんな、怖々と振り返ったように見えた。生徒たちはぎょっとしたのか、自分の召喚獣を見下ろしたり、見上げたりした。
間髪入れず、召喚獣たちが司に猛突進を開始した。
司はぎょっとした。
子猿がきいきいと声をあげた。
ユリィの召喚獣は、怯えて泣いたり吠えたりしながらも、ユリィを守ろうと陣形を組んだ。
召喚獣たちはユリィとユリィのしもべを無視して、ひたすら司を追いかける。
司は子猿を抱えながら走り出した。
ヤクートが突っ張る司の手を引き、その場に引き倒した。
ヤクートを見上げて、何をするつもりかと問おうとするのだが、地面から生えて来た木々が遮った。
ヤクートが唯一使える魔法、森の空間だ。
司は木々に隠れながら、召喚獣をやり過ごすことにした。
音で分かった。森に入れず、迂回しようとする召喚獣が何匹かいる。
それと同じ数、森に分け入った召喚獣もいる。
気づくと同時に、めきりと音がする。
木がへし折られた音だ。
司は慌てて地面を四肢で押し付け、獣のように走り出した。
すぐに人間走りへと戻り、司は木と木の間を縫って逃げることにした。ヤクートを振り返るが、召喚獣はヤクートに目もくれないようだった。
司は色々な可能性を考えた。
もしかすると、今、自分は殺されようとしているのかもしれない。
コンクエスタが、けしかけているのかもしれないし。
ウリエルの策謀かもしれない。
他の誰かのせいかもしれない。
司は、頭に酸素が行かなくなる感覚に見舞われて、くらくらと辺りを見渡した。胸の前を、ツノのようなものが通り過ぎた。
司はひっくり返りながら、地面に這いつくばった。
ぜえ、ぜえ、と息を吐きながら、四方八方を見る。
召喚獣が、四方を取り囲んでいた。
まさに、四面楚歌だった。
巨大なサイ。
コンクエスタが出した大きなトカゲ。
アナコンダ級の蛇。
鳥人。
司は恐ろしさにうずくまりながら、必死で逃れる方法を考えた。
可能だとすれば、司が生まれつき使うことができた魔法。夢で見たものを召喚する力だ。
だが、司は昨夜に夢を見ていない。
ということは、呼び出すものを明確にイメージできないと言うことになる。
司はペンダントを握りしめて、魔法を使う準備をしたが、魔法の式はすでに忘れている。
「面倒なことを!」
京極が怒鳴る声が聞こえる。
召喚獣たちが一斉に雄叫びをあげるのと同じ時だった。雄叫びはあっという間に悲鳴に変わり、司の身体を射抜くものは一つもなかった。
恐る恐るに顔を上げると、京極が胸を波打たせ、怒りの形相で辺りを見渡していた。
「なにが、起きた? 説明をしたまえ! 誰か!」
京極はいきり立ち、怒鳴り散らしながら司の身体を引っ張り上げた。
司は首でも締められるのかと思ったが、京極は司の無事を確かめているだけだった。司はひっくり返りそうになりながら、「大丈夫、大丈夫ですから」と繰り返した。
京極は司を離し、ひとつだけ大きく呼吸をした。
「今日の授業はここまでだ。次の授業へ行きたまえ」
京極が言い終わると同時、森の空間が消え去った。
司はほっと息を吐きながら、ヤクートの方へと駆け寄った。
「ありがとう! 助かったよ!」
腕を振りながら笑いかけると、ヤクートは司を捕まえて、思いっきり抱きしめてきた。
司は、肋骨がきしむのを感じながら、ヤクートに制止の声を上げようとするが、無駄だった。
「し、死んでないんだな? 司、生きてるな? 良かった。良かったあ」
ヤクートは言い終わると、ようやく司を離してくれた。
「悪い、昔のこと思い出して」
ごしごしと目をこすって、やがて地面にぺたりと座り込む。両ふとももに手を置き、ヤクートは部族の長のように佇んでいる。
「司まで死んじゃったらどうしようかって、考えたんだ。でも、良かった」
「うん、ヤクートの機転がなかったら死んでたよ。きっと」
司は、お辞儀をした。
ヤクートは照れ臭そうに頰を赤らめ、はにかんだ。
「ユリィは? ユリィは大丈夫かな?」
司は顔を上げてユリィを探した。
視線を回していると、低く喚くような声がした。司は、声に聞き覚えがある気がして、慌てて方向を探る。
コンクエスタが立っていた付近にまで視線をさまよわせると、ユリィとコンクエスタが言い争っているように見えた。
というより、ユリィが一方的に突っかかりヒステリックに問い続けている。
ヤクートも司も仰天して、ほとんど飛び掛るようにユリィを引き剥がしに行った。
ユリィは泣きじゃくっていた。
ユリィの腕の中に、ぐったりとした小鳥が見えた。
温厚なユリィが喧嘩を売った意味がようやく分かった。
司とヤクートはユリィの手を引き、子猿を抱え上げた。
どういう経緯か聞くのを我慢して、歩き出した。
ウリエルがいまにも出てくるのではないか、という恐ろしさが肺が凍るほど巣食っていた。
司とヤクートは暴れるユリィをひっぺがすと、二人で身体を持ち上げて退散した。
背後に、司一行への嘲笑が浴びせかけれられたが、やはり構っている余裕はなかった。
コロシアムから出て、ドームの裏側に走った。
太陽が照り返る銀色の壁の側にユリィを座らせて、ひくひくとしやくり上げる肩を撫でる。
「あ、あいつ、笑ってたの! 絶対、あいつがやったんだ。平井君と私の召喚獣を傷つけたに決まってる!」
司はユリィの考えの飛躍に少し驚いた。
「昔からそうなんだ。召喚獣が傷つけられると、こうやって喚き出しちまう」
「喚いてないもん!」
ユリィはヤクートに食ってかかろうとしたが、司が首を振るとすぐに身体を止めた。
司とヤクートは顔を見合わせた。
「ユリィにとっては、召喚獣が傷つくのが本当に耐えられないことなんだね?」
「私、この子たちが大好きだから。この子たちが傷つけられるの、絶対に嫌」
ユリィはシャルシャを抱きしめて、頰を擦り付けた。
司はようやくユリィの召喚獣に気が向き始めた。膝を折り、ぐったりとするシャルシャの頭に手を置く。
「ちょっと傷ついているだけだ。召喚獣はきっとすぐに死んだりはしないよ」
直感だったが、司は自信を持って行った。
ペンダントの中の自分が言うように命じたからだ。
「ほ、本当? この子は助かるの?」
「もちろんだ。それと手当をするより、早めに元の世界に戻してあげたほうがいい。その方が回復が早い」
ユリィは迷ったようだったが、すぐに従った。
シャルシャは頭をくるりと回して、ユリィの小指を甘噛みした。
大丈夫だ、と示すように目を細めるのが分かった。
ユリィは心配そうではあったが、納得はしたらしい。
シャルシャを異世界へと帰還させ、虚空を見つめる。
「授業、すごく早く終わっちゃったから、ちょっと早いけど、お昼ご飯にしようか?」
司はペンダントが指し示す時間が十時ごろを指しているのに気づいた。授業は九時に始まり、召喚魔法の授業は二時間分。一時限ごとに九十分だとすると、二時間も時間が空いたことになる。
「あんまり、お腹減ってない」
ユリィがぐすりと鼻を啜りあげて、気の進まなそうな顔をする。
「じゃあ、どこかを回ろうか?」
司は、うなずいて次の提案をした。ユリィもうなずいて立ち上がった。
「それにしても、何だったんだろうな? 召喚獣がいきなり司を襲い初めてさ」
「コンクエスタが、高笑いしてたの。絶対あいつの仕業だと思う」
ユリィは怒りに身震いしていた。
「それはどうだろう?」
司は空を見つめ、浮かんでいる異世界を観察しながら呟いた。
「コンクエスタにそこまで出来るかな。あんなにいっぱいの召喚獣を操るなんて。単に暴れてるんじゃなくて、あの召喚獣は全員が統率されてたよ?」
「確かにそうだな。気になるといえば、ユリィの召喚獣は全然、司を襲うそぶりを見せなかったこともそうだ」
「私の召喚獣は、みんな戦ったり襲ったりする意思を持たないから。誰かを攻撃したりしない。私が傷つけられた時だけは、自衛するみたいだけど」
司は、ユリィの優しさがとても愛おしくなって、心の底から微笑みかけた。
ユリィはどきりとしたのか、俯いてしまう。
「とりあえず、行こう。僕は、図書館に行きたいと思っていたんだけど」
「い、行くのか? 図書館」
今度はヤクートが身震いをしている。
司は反応を意外に思って、ヤクートの顔を見つめてみる。
ヤクートは気味が悪そうにユリィと目を見合わせた。
「一年前から、お化けが住み着いているって話だぜ?」
「お化け? 虚数世界にはお化けが実在するの?」
司は、驚いて二人の顔を交互に見た。
「いや、存在は実証されてないけど。実数世界よりはもしかすると身近にあるかも」
司は、別段、気味が悪くはならなかった。
実は、司は自分がお化けなのかもしれないと思って過ごしていた時期があるので、もっと身近な気分だった。
「ラプラスの間のラプ子さん。
なんでも知っていて。
ラプラスの間で出会うと、恥ずかしい過去とかエピソードをばらされちゃうの。
すごくちっちゃくて可愛い女の子らしいけどね」
「俺は天を突くほどの巨大な大女だって聞いたぜ?」
「小さい女の子の方が怖くないし、天を突く程に大きかったら、図書館に収まらないでしょ?」
ユリィはぷっくりと頰を膨らませた。
司にはユリィが恐々としているように見えた。
「でも、魔法がある以上、お化けだっていそうなものだね」
司は率直な感想を言ってみる。
ユリィはとんでもないと言う顔をした。
「いない方がいいよ! 怖いもの!」
ユリィの声は少しひきつっていた。
すかさず、ヤクートがからかうようにお化けの真似をすると、ユリィは頰を膨らませてそっぽを向いてしまった。
司はユリィの召喚獣が反撃でヤクートに飛びかかるのを見つめながら、図書館はどこにあるんだろうと考えた。
考えている間に、ヤクートは召喚獣の手痛い反撃を受けて、全身が引っかき傷だらけになっていた。
子猿たちはユリィに仇なす敵として、ヤクートをこらしめているようだ。ヤクートはその度に引っ掻かれるので、あわてて頭を抱えた。
「ユリィ、悪かったよ! こいつら、戻してくれ!」
子猿を振り払おうとするのだが、すばしっこい身体で腕をするすると登られたり、ぶら下がられたりするだけだった。
ヤクートは涙目になりながら、司にも助けを求めた。
司は子猿を一匹ずつ引き離して、自分の腕に乗せた。
子猿は喜んで、司にしがみついた。
引っかこうとしないのに不公平を感じたのか、ヤクートは子猿たちをじろりとにらみつけた。
「ヤクートはおもちゃで、平井君は、休憩所なんだね」
ユリィは司に向かって手を差し出した。子猿たちが腕を渡って、ユリィの肩に飛び乗った。
すぐに、ユリィのペンダントに吸い込まれ、いなくなった。
「俺がおもちゃってどういうことだ? こら!」
「だって、子猿たちはそう思ったみたいだもの」
「まじかよー。いや、というかさあ。司はなんでそんなに召喚獣に好かれるんだ?」
「好かれてないよ。襲われたもの」
「あれは、何かがおかしかったんだって! 絶対、司を誰かが殺そうとしたんだ! でも、狙われる理由が司にはないはずだよな?」
司には少しあった。
もちろん、ホークとのことだ。ホークは世界有数の魔道師メーカーだと言っていた。その魔導師メーカーの秘蔵っ子だとでも思われているのかもしれない。
そうなると、司はコンクエスタのような人物にとっては邪魔で仕方がないだろう。
コンクエスタが召喚獣を全て操って司を殺そうとしたというのは少し荒唐無稽だが。
司は、じっと考え込みながら、犯人の正体を考えた。
「でも、理由は分からない」
司は結論づけた。
「さあ、どこかに行こうよ」
司は三人の前を歩き出した。
不安が胸にまだ巣食っていた。ウリエルの仕業だというのが最も可能性がある気がするが。
「あ、見て!」
司の思考を寸断したのは、ユリィの声だった。
司とヤクートは指された方向を見た。コロシアムの入り口をうろうろしている生徒が見えた。視線の先にはディスエルがいて、司をじっと見つめていた。
三人の視線に気づくと、何もなかったかのように踵を返し、急いで走り出した。
司とヤクートとユリィは一斉に顔を見合わせた。
「あいつが犯人ってことはないよな?」
「まさか! ディスエルがどうして、そんなことするの?」
ヤクートの推測に、とんでもないとユリィは首を振った。
「あいつ、ウリエルを妙に怖がってた。命令されてやったのかも」
「ディスエルは誰かのいいなりに人を殺そうとしたりはしない気がするな」
司はユリィに同調することにした。
やっぱり、この考えもあまりに荒唐無稽な気がした。
ヤクートもあまりにも取り留めのない言葉だとは思っていたらしく、強いて否定はしなかったし、だからといって肯定もしなかった。
三人はコロシアムをぐるりと回りながら、しばらく無言で過ごしていた。
春の日差しはまばゆかった。
空中に浮かぶ魔法の粒子が一層に、そう思わせるのか司の知っている日差しよりずっと眩しい。気温はちょうどよかった。
涼やかな空気が肺に流れ込み、静かな気流に体が少しだけ流される。
司は欠伸をした。
ヤクートもつられて欠伸をしている。
コロシアムから離れて教室の裏をうろうろしていると、教室棟と図書館の建物の間に、ラビニアとホークが顔をつき合わせていた。
三人は息を潜めて、側の物陰に隠れた。
低い声で話していたが、どちらもよく通る声なので断片は聞き取れる。
「やはり、王は……」
「ええ、完璧な歴史年表」
「保管……」
「やむをえない」
「今すぐ、放棄」
ラビニアが渋い顔をして、首を振る。
「殺されるぞ?」
京極が諭すように釘を刺す声が聞こえた。
三人は仰天して、顔を見合わせた。
ラビニアは、京極になにかを言って、その場を去ってしまった。
京極が苛立たしげにこちらに来たので、三人はすぐに走り出した。
京極は逃げた道とは違う方向へ逸れたので、三人はしばらくして足を止めた。
ユリィが怯え切って交互に司とヤクートを見る。
「なんか、よく聞こえなかったけど、ラビニア先生が、殺されるって……」
「ラビニアとは限らない。司のことかもしれないと思わないか?」
話の流れでは、ラビニアが殺されると示唆したのだと司も思ったが、ヤクートの言っていることは必ずしも間違っているとは思えなかった。
司は、胃が重たくなりながらも、なにも気にしていないかのように振る舞うことにした。
「その時はその時さ。大丈夫だよ、きっと」
「お前、本当に肝が据わってるな」
ヤクートは感心したが、ユリィには内心の不安を見抜かれているような気がした。ユリィは心配そうに司を見ていた。
司は肩をすくめて、歩き出した。
時間はまだまだあったが、何となく早足で、ユリィは付いてくるのに苦労しているようだった。司は足を緩めた。
もしも、殺されるのが自分だとしたら、どんな備えをすれば殺されずに済むのかも分からない。
だから、苛立ちと焦りが胸を過ぎるばかりだった。
ラビニアではなく、自分が殺されると確定したわけでもないのに、こんなに恐れるのだから、確定したらどれほど焦燥に溢れるだろうか。
心臓が今までにない速さで鳴っている。
「とにかく、食堂にでも行こう。そこで時間を潰そうよ。いや、そうだ! 魔法の練習をしようよ!」
司はとびっきりの名案を思いついて、二人を振り返った。
ユリィとヤクートは顔を見合わせた。
司の態度が少しおかしいのに気づいたのか、しばらく顔をまじまじと見つめられた。司はすぐに振り返り、教科書を探した。
そう言えば、教室に置いたままだったと気づいた。
ヤクートもユリィもすっかり忘れていたようだが、遅ればせて気づいたらしい。二人ともあわてて走りだした。
「持っていかれてないといいけど……」
心配はなかった。
教室に戻った三人は教科書をすぐに見つけ、中庭で魔法の練習をすることにした。こ
最初のコメントを投稿しよう!